第三話 人界のパニックとルーカスの決意
聖ループ国の路上に、一人の男がいた。
ボロボロのローブを羽織り、すれ違う人々へ狂ったような言葉を叫び続けている。
だが、観察眼のある者が見れば、その破れた衣がかつてプロト帝国において最高峰の宮廷魔導士のみに着用を許されていた高貴な品であることに気づいたはずだった。
「見たんだ……私は見た……! ルーカス・アルマギナが、世界の理を書き換え、神の如き力で帝国を消し去る瞬間を……! あいつはもう人間じゃない……神だ……!」
男は口角から泡を飛ばし、狂乱の体で目撃した絶望を語る。
だが、通り過ぎる街の人々はただの乞食の戯言と受け取り、誰も相手にしない。
中には哀れんで一銭の硬貨を投げつける者すらいた。
しかし、その哀れな姿を物陰からじっと見つめる視線があった。
偶然にも聖ループ国に潜入していた、各国の優秀な隠密たちである。
◆
隠密からの報告を受け取った各国の国王や高位貴族たちは、半信半疑の面持ちで顔を見合わせた。
「そんな馬鹿な。いくら元英雄とて、国一つを跡形もなく消し去るなどできるはずが……」
彼らは情報共有と今後の対応を協議するため聖ループ国へと一堂に会し、ワインを片手に歓談を交わしていた。
そこへ、聖カトレイア教会の教皇が、顔面を蒼白にして不吉な神託を抱え、大パニックで駆け込んできた。
「間違いありません! 天界の神々からの啓示によれば、ルーカス様は『神』へと昇格され、さらに魔王とひとつになられたとのこと……! そして今や、敵対した天界の神々すら一瞬で返り討ちにしていると……!」
その報せを受け、絢爛な歓談の場は一転して凄惨なパニックへと陥った。
「神になっただと!? しかも魔王と!?」
「プロト帝国の次は、我々の国が『神の祟り』で消されるのではないか!?」
あまりの事態に、王や貴族たちは大混乱に陥る。
「どうすればいい!? 莫大な献上品か!? それとも誠意ある謝罪か!?」
「いや、噂によればルーカス様は今、魔王と懇ろな時間を過ごすのに忙しいらしいぞ……」
「ならば触らぬ神に祟りなしだ! 絶対に刺激するな!!」
こうして人界の指導者たちは、明後日の方向で大パニックを繰り広げていたのだった。
◆
一方、魔王城では――。
エルビィによって見事な簀巻きにされ、捕らえられていた豊穣の神ガイアルド――ガイ姐さんが、突如として高らかに笑い出した。
「ふふっ、気に入ったわ! あなたたち、その力も覚悟も本物ね!」
ルーカスは静かに視線を向ける。
「それはどうも。それで、先ほど言いかけた件ですが……」
「ええ。今回の侵略は、ジャスティンをはじめとするお堅い神々が主導して引き起こしたことなの。安心してちょうだい、エルビィちゃんの最高管理神とルミナリア様は反対していたわ」
「そうですか。では、義父上と義母上は今どうされているのです?」
ガイ姐さんはウインクしてみせた。
「天界のとある計画を阻止しようと裏で働きかけているわ。効果は薄いみたいだけれどね」
寄り添っていたエルビィが、怪訝そうに眉をひそめる。
「……とある計画?」
ガイ姐さんは少し表情を曇らせ、重々しく告げた。
「天界の上層部はね、内輪揉めと差別を繰り返す人界を、これ以上救う価値のない【失敗作】だと見限ったのよ。近いうちに大いなる裁きを地上に降らせ、生きとし生けるものをすべて【無】へ還し、まっさらな大地に新しい人間を創り直す気よ」
その言葉を聞いたルーカスは、事態の重さを察し、すぐさま聖ループ国へと向かうことにした。
現在、人界でまとまった影響力を持つ場所があるとすれば、あの国しかなかったからだ。
◆
聖ループ国に降り立ったルーカスを待っていたのは、醜く群がる権力者たちだった。
利権に固執する腐敗した国王や貴族どもが、ルーカスの圧倒的な神気と威光に怯え、惨めに命乞いを繰り広げてくる。
ルーカスは冷ややかな瞳でそれを見下ろし、天界の上層部が企んでいる計画を、包み隠さず突きつけた。
「あなた方がどれだけそのちっぽけな権力や地位にしがみつこうが、天界は近々、この世界ごとあなた方の存在を【無】へ還す予定ですよ」
事態を知った各国の王や貴族たちは、さらに惨めにルーカスへすがりつき、助けを求めて命乞いを重ねた。
だが、ルーカスは静かに首を振る。
「……そのような泡沫の栄華を守るために、私をあてにしないでいただきたい」
言い捨てて魔界へと戻ってきたルーカスだったが、その胸には刺さった棘のような痛みが残っていた。
聖ループ国からの帰り道、たまたま愛おしそうに赤子へ乳を与える母親の姿を目にしていたからだ。
(……プロト帝国にも、きっとあのような当たり前の日常や愛の営みがあったはずだ)
これまでの自分は、それを見ようともしていなかったのではないか。
だからこそ、禁術や地球の術理を用いて、プロト帝国という膨大な命をあっさりと消滅させてしまったのではないか。
もしプロト帝国で、母が子に向ける無償の愛を目にしていたら――自分は同じように引き金を引けただろうか。
答えの出ない深い思考の深淵へと沈み込んでいくルーカス。
そんな彼の傍らに、エルビィは何も言わずそっと寄り添い、温かな手で優しくその手を握り続けてくれた。
◆
数日後。
迷いを振り払ったルーカスは、静かに、しかし力強い眼差しで顔を上げた。
「神々の都合で人間を弄び、偽勇者を呼んでは、手に負えなくなったら世界ごと消去か。……最高管理神(お義父さん)たちに、これ以上泥を塗らせるわけにはいかない。エルビィ、天界へ乗り込むぞ。神々の定めた理不尽な【世界の命運】、俺たちで根底からひっくり返してやる」
エルビィは愛おしそうに微笑み、ルーカスの手に自分の手を重ねた。
「ええ、あなたの判断はいつだって正しいわ。世界の誰があなたを否定しても、私だけは肯定し続ける。だから後ろは安心して任せなさい、ルーカス」
そこへ、拘束されたままのガイ姐さんが声を上げた。
「ちょっと、私を忘れてもらっては困るわ! 私もあなたたちに協力させてちょうだい!」
エルビィがキッと鋭い視線を向ける。
「あなたの何を信じろというの!?」
「同じ男に惚れた仲でしょう? 私もルーカスに付いて行くわ!」
エルビィはむっと表情を硬くし、しばらくの間ガイ姐さんと激しく視線を交わらせた。
やがて、小さくため息をつく。
「……良いでしょう。今回は信じるわ。でも、今回だけよ。ルーカスは絶対に渡さないんだから」
「ええ、分かっているわ。ルーカスはあなたのもの。過去世も、現世も、来世もね」
「分かっているなら、それで良いわ」
エルビィが指を鳴らすと、ガイ姐さんを縛っていた拘束が解けた。
「全く、容赦ない子ね。でも気に入ったわ。惚れた男にそこまで尽くすその姿勢」
「当然でしょう。私のルーカスへの愛は底なしよ」
ルーカスは冷や汗を流しながら二人のやり取りを見守っていたが、やがて呼吸を整えると、力強く宣言した。
「よし、話はまとまったようだな。行くぞ! 天界へ!」
「「ええ!」」
こうしてルーカスたちは、理不尽な神々が住まう天界へと、殴り込みをかけるのだった――。
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