第0-2話「叙任」
> 【観測ログ / 北米セクタ SV】
> 旧世紀2150年。
> 在籍:2,000
> ――百年間、変動なし。
> 本日、PROJECT::ヘロー、最終段階に移行する。
> 設計個体#001、叙任。
> 計画開始から、百年である。
百年前。
いや、そう数えるのは、正しくない。
この物語が始まる日、暦は、旧世紀2150年を指していた。人々は、旧世紀という言葉の意味を、もう、知らなかった。ただ、そう書いてある紙が、神殿にあった。だから、そう呼んだ。
ゴッド神聖国、大神殿。
高さ四十メートルの、白い塔が、七本。てっぺんから、水蒸気が上がっている。人々は、それを「神の吐息」と呼ぶ。
旧世紀の人間なら、それを、冷却塔と呼んだだろう。
だが、その言葉を知っている人間は、この世界に、一人もいない。
塔の下、大聖堂。
ステンドグラスから、光が落ちていた。床は、鏡のように磨かれている。磨いたのは、見習いたちだ。三日かかった。
祭壇の前に、若者が、一人、跪いていた。
十七歳。
名前は、なかった。
彼には、生まれてから一度も、名前が与えられていない。
神殿の記録に、こう書かれている。
> 設計個体#001。
人々は、彼をこう呼んだ。
> 勇者。
それが、名前の代わりだった。
大神官が、進み出た。
白い法衣。胸に、六つの印。
彼の権限は、LV.5。この国で、最高位である。
「灯りを」
大神官が、言った。
輔祭が、魔石を掲げ、短く唱えた。
「聖句・第一項・光」
――堂の天井が、明るくなった。
誰も、驚かない。当たり前のことだった。
光属性の魔法は、簡単だ。子どもでも使える。LV.1の魔石で、十分に届く。
なぜなら――光属性とは、旧世紀に「照明系統」と呼ばれていたものだからだ。
誰も、それを知らない。
大神官が、若者の前に立った。
手に、魔石を持っていた。
拳ほどの大きさ。乳白色。中に、細い金線が、走っている。
「設計個体、第一号」
「はい」
「汝は、神に、仕えるか」
「仕えます」
「汝は、神の言葉を、違えぬか」
「違えません」
大神官が、魔石を、若者の胸に、当てた。
その瞬間。
魔石が、光った。
乳白色が、内側から、白く、燃えた。
堂の空気が、震えた。
――契約が、成立したのだ。
> 【観測ログ】
> 個体 US-SV-0001、認証。
> 権限レベル、LV.5。
> ――大神官職に付随しない、LV.5の付与である。
> 史上、二人目である。
> (一人目:US-SV-0891。旧世紀2050年に叙任。以後、百年間、該当者なし)
大神官が、若者の詠唱項番を、読み上げた。
これは、その者が生涯、名乗る番号である。
詠唱の書に記された、四千を超える節。そのどれか一つが、割り当てられる。
選ぶのは、神である。
人間には、選べない。
「――第四千四百十二節」
どよめきが、起きた。
なぜなら、その節は、空白だったからだ。
詠唱の書の、第四千四百十二節。そこには、何も書かれていない。ただ、番号だけが、印刷されている。
百年前から、そうだった。
誰も、理由を知らない。
――四千四百十二。
それは、百年前、ゴッド神聖国の地下で、一人の女が、いちばん最初に、数えた数である。
収容の行軍を、始めたときに、生きていた人間の、数である。
彼女は、歩きながら、列の幅と長さを数えた。合流地点ごとに。誤差は、三パーセント以内だった。
そのうち、扉の内側に、入れたのは。
――三千百八十人だった。
千二百三十二人は、着かなかった。
彼女は、その千二百三十二人を、一人ずつ、書いた。
名前も、番号も、わからない者が、ほとんどだった。
それでも、書いた。
――誰も数えなかったら、この人たちは、最初からいなかったことになる。
彼女は、そう言って、六年間、数え続けた。
そして、廃棄された。台帳は、押収された。
だが、いちばん最初の一行に書かれた数だけが、詠唱の書の項番に、縫い込まれて、残った。
この世界に、それを知る者は、いない。
若者は、立ち上がった。
鎧が、鳴った。
剣を、受け取った。
――拍手が、起きた。
見習いたちが、列を作って、それを見ていた。
いちばん後ろに、一人、立っていた。
彼女は、拍手を、していなかった。
手を、前で、組んでいた。
彼女は、叙任を、受けていない。
三年前、受けようとした。
魔石を、胸に当てた。
――光らなかった。
二度目も、光らなかった。
三度目も、光らなかった。
> 【観測ログ】
> 照会:該当なし。
> ――エラーではない。
> 正常応答である。
「誰でもない」という認証が、正常に、成立している。
神は、彼女を、見落としてはいない。
正しく、「誰でもない」と、認証している。
彼女は、門の前に、置かれていた赤子だった。
十七年前。
誰が置いたのかは、わからない。番号がなかったので、記録も、ない。
神殿は、その子を、拾った。
そして――その年に、いちばん多く付けられていた名前を、そのまま、付けた。
誰も、真剣に、考えなかった。
エマ、といった。
式が、終わった。
人々が、散っていった。
回廊で、若者は、彼女と、すれ違った。
彼は、立ち止まった。
彼の脳の中には、チップがある。生まれたときから、入っている。
それは、神と、常時、繋がっている。
目に映るものすべてに、情報が、重なって見える。
名前。番号。階級。年齢。健康状態。直近の詠唱記録。
彼は、生まれてから一度も、「知らない人間」を、見たことがない。
だが。
いま、彼の視界の中で。
目の前に立っている娘の上には。
――何も、表示されていなかった。
視覚では、見えている。
だが、情報が、来ない。
世界で初めて、彼の視界に、空白が、立っていた。
「……お前」
「はい」
「名前は」
「エマです」
「番号は」
――
「ありません」
彼は、その日、生まれて初めて、神に、問い合わせた。
――この個体は、何者か。
そして、生まれて初めて。
答えが、返ってこなかった。




