第0-1話「昔々」
その老人は、嘘をついていた。
毎晩、同じ嘘を、少しずつ違えて。
分厚い石壁の内側で、炉の火が、揺れていた。
外は、闇だった。命を凍らせるような吹雪が、壁の向こうで鳴っている。この村では、冬に外へ出た者は、帰ってこない。それは、寒さのせいだと、子どもたちは教わっている。
半分は、本当だった。
老人は、炉のそばの椅子に、背を丸めて座っていた。膝に、毛布。右手に、湯の入った木の椀。
左手は、持っていなかった。
正確には、左腕は、あった。肘から先が、金属だった。古い。継ぎ目に、灰が詰まっている。指は、五本ある。動く。ただ、湯の椀は、右手で持っていた。
その足元に、孫が座っていた。六歳だった。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「お話、聞かせて」
老人は、火を見た。
しばらく、何も言わなかった。
それから、いつもの一言を、言った。
「昔々、この世界には、神さまがいたんだよ」
「ある国に、一人の若者がいた」
「その若者はね、神さまに、選ばれたんだ」
孫の目が、光った。
「選ばれたの?」
「そう。世界で、たった一人だけ」
「かっこいい!」
「……そうだね」
老人は、火を見ていた。
「若者は、神さまから、三つのものをもらった。剣と、鎧と――魔石だ」
「魔石!」
「魔石を持つとね、言葉が、力になる。唱えれば、火が出る。水が湧く。壁が立つ」
「ぼくも、ほしい」
「――そうだね」
老人は、木の椀を、傾けた。湯は、もう冷めていた。
「そして、若者は、旅に出た」
「どこへ?」
「東の果てだ」
「東の果てには、何があるの」
「魔王がいた」
孫が、息を呑む。
「魔王は、悪いやつ?」
「……そうだね」
「勇者は、魔王を、討ちに行ったんだ」
孫が、身を乗り出した。
「それでね、それでね。勇者は、どうなったの」
「六つの国を、回った」
「六つ!」
「氷の国。城壁の国。ダムの国。龍の国。それから――鉄くずの国」
「五つしかないよ」
老人は、口を閉じた。
しばらく、火を見ていた。
「……そうだったかな」
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「きのうは、剣が、二本だったよ」
老人は、笑った。
「そうだったかい」
「うん。きのうは、二本。おとといは、勇者の髪が、赤かった」
「そうだったかな」
「おじいちゃん、うそつき」
老人は、しばらく、黙っていた。
それから、湯を、一口、飲んだ。
「……そうかもしれないな」
炉の中で、薪が、崩れた。
火の粉が、いくつか、上がった。
孫は、それを見ていた。
「ねえ」
「なんだい」
「勇者は、勝ったの?」
老人は、答えなかった。
右手で、湯の椀を、持ち直した。
金属の左手は、膝の上で、動かなかった。
「――ああ」
「勝ったよ」
「そして、世界は、救われたんだ」
孫が、笑った。
「よかった!」
「……そうだね」
「よかったね」
老人は、火を見ていた。
外で、風が、鳴っていた。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「その勇者は、いま、どこにいるの」
老人は、しばらく、答えなかった。
火が、揺れた。
金属の指が、一度だけ、わずかに、鳴った。
「……さあ」
「どこに、いるんだろうね」




