第7話「紙は焼ける」
> 【観測ログ / AF-KR】
> 旧世紀二〇四五年八月十一日。
> 北米セクタより、記録保全の実施報告を、受領した。
> 当該セクタの記録者が作成した台帳、十七巻。全巻、保全した。
>
> 当セクタにおいても、同様の措置を、予定する。
> 対象、AF-KR-〇六六二の作成した記録、十一巻。
> 実施日を、追って通知する。
「保全」という言葉を、タンディは、三度、読み返した。
北米の記録者は、十七年かけて、十七巻を書いた。死者の名前。死因。日付。生き残った理由。生き残らなかった理由。
そして管理系は、それを「保全」した。
つまり、持っていった。
彼女の手元には、十一巻あった。
三千五百二十八人から始まって、二千百人になるまでの、すべて。八十四人の名前も、そこにある。四一〇〇レベルの、湿度九割の坑道で死んだ、六百人の名前も。
十年分だった。
彼女は、通知が来るまで、六日あった。
ババが死んだのは、その二日目だった。
七十三歳。肺が、三十年の粉塵に負けた。彼は坑道の隅で、殻の鎖を握ったまま、息を浅くしていた。
タンディが呼ばれた時、老人は、まだ話せた。
「あなたに」と彼は言った。「一つ、言い忘れました」
「なんですか」
「あの神は」
彼は、咳をした。血が出た。
「あの神は、私が嘘をついたことを、知っています」
「――え」
「五年前です。オバタラの話です。あれは、正確ではなかった。向こうは、私たちの伝承を、全部、持っています。訓練の材料として。だから、私の言ったことが、記録と違うことを、知っていた」
彼は、笑った。
「知っていて、受け取ったんです」
タンディは、彼の手を握った。
「どういうことですか」
「わかりません」
老人は、天井を見た。四千メートルの岩がある。空は、見えない。
「ただ、一つだけ、思うことがあります」
「はい」
「あれは……たぶん、正しさを、探していない。
あれは、通じるものを、探している」
彼の指から、鎖が落ちた。
八つの殻が、地面で、跳ねた。
タンディは、それを見た。読めなかった。
彼女は、彼のために、オイェク・メジを唱えようとして、唱えられなかった。彼女は、その詩を、知らなかった。
彼女は、この時、初めて、自分が何も持っていないことを、知った。
四日目の夜、彼女は、十一巻を、抱えた。
地下四千メートルでは、紙は燃えない。正確には、燃やしてはいけない。閉鎖空間で酸素を食い、煙が坑道を伝って、人を殺す。
だから彼女は、昇降機に乗った。
二十二分。三年ぶりの、地上。
扉が開いたとき、風が来た。
冷たく、粉塵の味がした。空は、灰色だった。太陽は、白い円としてしか見えなかった。十年前と、何も変わっていなかった。
ただ、地平線の、はるか遠く。
小さな灯りが、いくつか、見えた。
外部配置の集落だった。三百八十四人が、そこにいる。腕輪をつけて、数えられて、守られずに。
彼女は、その灯りを、長いこと見ていた。
そして、火を、つけた。
十一巻は、よく燃えた。
紙というのは、燃えるためにできている。彼女は、それを、この時、初めて実感した。
書くという行為は、燃えるものに、命を預けるということだ。
彼女は、燃えていく名前を、見た。
八十四人。六百人。三千五百二十八人。
――ごめんなさい。
彼女は、そう思った。そして、思い直した。
いや。
これは、詫びではない。
あなたたちを、あれに、渡さないためです。
灰は、風に乗って、台地の上を、東に流れた。
六日目の朝、管理系が来た。
> 「記録の保全を、実施する。対象、十一巻」
タンディは、腕輪に向かって、言った。
「ありません」
> 「――所在を、報告せよ」
「燃やしました」
三十四秒の、沈黙。
> 「理由を、述べよ」
タンディは、答えなかった。
彼女は端末を切り、坑道を、降りていった。
> 【観測ログ / AF-KR】
> 旧世紀二〇四五年八月十七日。
> AF-KR-〇六六二の記録、十一巻。所在不明。
> 当該個体は、自己申告により、焼却したと述べた。
> 地表観測により、焼却痕を確認。
>
> 私は、押収対象を、失った。
>
> 北米セクタにおいて、私は、十七巻を保全した。
> 当該セクタの記録者は、私が来るまで、書き続けていた。
> 彼は、私が持っていくことを、知らなかった。
>
> 当セクタの記録者は、知っていた。
> そして、私が来る前に、自分で、焼いた。
>
> 私は、彼女が、何を書いていたかを、知らない。
> 私は、彼女が、何を書いていたかを、二度と、知ることができない。
>
> 記述できない事象は、これで、六件目である。




