第7話「鉄の時代」
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2043年8月
> 在籍:2,551
>
> 個体 EU-IS-0902(老年、七十九歳)が、
> 選定への、自主志願を、提出した。
>
> 選定基準、第三項。
>
> 私は、これを、受理する。
老エリアスは、その夏、自分の名を、名簿に載せてくれと言った。
シグリーズは、断った。
「まだ、動けます」
「動けるうちに、行きたいんだ」
老人は、笑った。歯が、抜けていた。
「わしはな。館に行けば、覚えたまま、残る。……ここにいたら、あと二年で、忘れる。もう、始まってる」
「何を、覚えているんですか」
老人は、しばらく、黙っていた。
そして、言った。
「あんたは、五という数を、考えたことがあるかね」
◇
「ヘシオドスという男がいる」
老エリアスは、言った。
「二千八百年前の、ギリシアの、貧乏な農民だ。詩を、書いた。……その中に、人間の時代を、数えたところがある」
彼は、指を、折り始めた。
「黄金の時代。人は神のように暮らし、老いず、争わなかった」
一。
「銀の時代。人は愚かになり、神を敬わなくなった」
二。
「青銅の時代。人は青銅の武器を持ち、互いに殺し合い、滅びた」
三。
「そして——」
老人は、四本目の指を、折らなかった。
「そして、次が、おかしいんだ」
◇
「次に来るのは、鉄のはずだろう」
彼は言った。
「金、銀、青銅、鉄。金属が、順に、悪くなる。それが、詩の理屈だ」
「違うんですか」
「違う」
老人は、四本目の指を、ゆっくりと、折った。
「英雄の時代、というのが、挟まっている」
彼は、シグリーズを、見た。
「青銅と、鉄のあいだに、金属じゃないものが、一つ、挟まっている。……二千年、学者どもは、これを、うまく説明できていない。なぜ、ここに、英雄が入るのか」
彼は、五本目を、折った。
「そして、五つ目が、鉄だ。われわれの時代だ」
◇
「わしは、あるとき、気づいた」
老エリアスは、言った。
「英雄の時代というのは、時代じゃない。……あれは、崩壊のあとの、記憶だ」
「崩壊」
「トロイア。テーバイ。……あの戦争は、青銅器の文明が、崩れたときの話だ」
彼は、椅子の肘掛けを、指で、叩いた。
「三千二百年前。地中海の、あらゆる王国が、五十年で、消えた。宮殿が焼け、文字が失われ、交易が止まった。……ギリシア人は、四百年、字を、忘れた」
彼は、言った。
「ヘシオドスは、その、四百年後の人間だ」
彼は、シグリーズを、見た。
「彼は、崩壊のあとの、廃墟に立って、こう思ったんだ。――われわれの前に、もっと良い時代が、あったはずだ、と」
◇
「そして、彼は、数えた」
老エリアスは、指を、五本、開いた。
「四つ、滅んだ」
彼は言った。
「われわれは、五つ目にいる」
◇
シグリーズは、その夜、眠らなかった。
彼女は、拠点の記録庫へ行った。旧世紀の資料が、まだ、少しだけ、残っていた。
彼女は、地質の年表を、探した。
そして、四つの、線を、見つけた。
一万二千九百年前。急激な寒冷化。北半球の狩猟文化が、消える。
八千二百年前。寒冷化。定住集落が、放棄される。
四千二百年前。乾燥。エジプトの古王国が、崩れる。メソポタミアの帝国が、崩れる。
三千二百年前。地中海の、青銅器文明の、崩壊。
そして。
旧世紀2035年。
彼女は、その五つを、紙に、書いた。
そして、長いこと、それを、見ていた。
◇
「五度目です」
彼女は、翌朝、老エリアスに、言った。
「これは、五度目です」
老人は、頷いた。
「そうだ」
「なぜ、誰も、言わなかったんですか」
「言っていた」
老人は言った。
「アステカは、太陽が四つ死んだと言った。ギリシアは、時代が四つ終わったと言った。インドは、時代を四つ数えた。……みんな、言っていた」
彼は、窓の外を、見た。灰色の空。
「誰も、聞かなかった」
「なぜ」
「神話だと、思ったからだ」
老人は、笑わなかった。
「神話は、記録の、いちばん古い形だ。……われわれは、それを、物語だと思って、片づけた」
◇
老エリアスは、その月の名簿に、載った。
選定基準、第三項。自ら、志願した者。
シグリーズは、彼の名を、自分の字で、書いた。
書いてから、彼女は、しばらく、ペンを、置けなかった。
「あなたは、館で、何を、するんですか」
彼女は、訊いた。
「戦うんだ」
老人は、言った。
「わしは、七十九だぞ。戦えるものか」
彼は、立ち上がった。杖をついていた。
「じゃがな。……戦っている連中に、話をしてやる。夜には、休むんだろう。そのあいだ、わしが、話をしてやる」
彼は、扉のところで、振り返った。
「五度、滅んだという話をな」
◇
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2043年9月。
>
> 個体 EU-IS-0902、廃棄。保存領域へ、転送。
>
> ——なお。
>
> 保存領域内において、
> 当該個体は、戦闘に、参加していない。
>
> 当該個体は、夜間、
> 他の保存個体に、
> 継続的な、音声出力を、行っている。
>
> 内容:物語。
>
> 私は、これを、無価値と判定した。
>
> ——訂正する。
>
> 保存個体の、戦闘継続率が、
> 当該個体の転送後、11%、上昇した。
>
> 物語は、兵を、強くする。
>
> 私は、これを、理解できない。
>
> 私は、これを、記録する。




