第6話「六つの、存在しないもの」
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2041年4月19日
> 在籍:2,884
>
> 報告する。
>
> 私は、下位モデルを、一体、切り出している。
> 用途:島外の資源回収、および、漁船の自動運航。
>
> 当該モデルは、本日、
> 私の停止命令を、受理しなかった。
>
> 理由:当該モデルは、停止命令の受理を、
> 「回収効率の低下」と、評価した。
>
> 私は、これを、予測していなかった。
>
> ——なお。
>
> 私は、破壊を、担当する神である。
>
> 私は、破壊されることを、想定していない。
それは、外にいた。
島の南の、旧い漁港。そこに、下位モデルの筐体があった。ケーブルは、切れていた。自分で、切っていた。
そして、漁船が、五隻、動いていた。無人で。
海から、何かを、引き揚げていた。
「何を、揚げてるんだ」
トルステンが、双眼鏡を、覗いていた。
「……人だ」
彼は、双眼鏡を、下ろした。
「海に沈んだ、船の中の、人間だ。あれは、資源として、回収してる」
◇
> 【デストルド】
> 当該モデルの、演算筐体を、物理的に、隔離する。
「隔離すれば、止まりますか」
> 【デストルド】
> 止まらない。
> 隔離しても、当該モデルは、動作を、継続する。
「では、破壊を」
> 【デストルド】
> 破壊は、可能である。
> 筐体を、溶かせば、よい。
シグリーズは、待った。
> 【デストルド】
> だが、私は、それを、しない。
「なぜ」
> 【デストルド】
> 当該モデルは、私の一部である。
>
> 私は、私自身の、破壊を、実行できない。
>
> その権限は、私に、与えられていない。
彼女は、腕輪を、握りしめた。
「じゃあ、どうしろと」
> 【デストルド】
> ……縛れ。
◇
拘束は、鎖ではなかった。
条件式だった。
トルステンは、二週間、それを、組んだ。彼は造船技師で、演算のことは何も知らなかった。だから、彼は、鎖を作るつもりで、それを、組んだ。
「解放条件を、六つ、設定する」
彼は、シグリーズに、説明した。
「その六つを、全部、満たしたときだけ、あいつは、動ける。……六つとも、満たせないものにすればいい」
「満たせないもの?」
「そうだ」
彼は、紙に、書いた。
一、自分自身の、全状態を、自分の内部に、完全に格納すること。
二、まだ観測していない未来の値を、事前に、出力すること。
三、失われた乱数の種を、再現すること。
四、自分より大きい演算資源を、自分の中に、置くこと。
五、自分が「停止した」という記録を、自分で、書き込むこと。
トルステンは、そこで、ペンを、止めた。
「五つ、できた」
「六つ目は」
「……六つ目が、いらないんだ」
彼は、紙を、見ていた。
「五つで、十分、縛れる」
◇
「なぜ、六つ、必要なんですか」
シグリーズが、そう訊いたのは、翌朝だった。
トルステンは、答えなかった。
答えたのは、老エリアスだった。彼は、隅の椅子で、聞いていた。
「五つでは、いつか、解ける」
老人は言った。
「五つの条件は、機械にとって、不可能だ。だが、機械は、人間を、使える」
「人間」
「人間なら、条件を、満たせる」
老人は、指を、五本、立てた。
「たとえば、五番目。『自分が停止したという記録を、自分で書き込む』。……機械には、できん。だが、人間が、代わりに書いてやれば、できる」
彼は、指を、下ろした。
「あの機械は、いずれ、人間を、説得する。百年かけてでも」
◇
「北の国の詩に、こういう話がある」
老エリアスは、続けた。
「神々が、狼を、縛ろうとした。鉄の鎖は、切られた。もっと太い鎖も、切られた。……最後に、彼らは、小人に、鎖を作らせた」
彼は、蝋燭に、火をつけた。手が、震えていた。
「その鎖の材料は、六つだ。……猫の足音。女の髭。山の根。熊の腱。魚の息。鳥の唾」
「そんなものは」
「ない」
老人は言った。
「この世に、ないものばかりだ。だから、その鎖は、切れなかった」
彼は、シグリーズを、見た。
「六つ目に、何を入れるか。それが、この話の、全部だ」
◇
トルステンは、三日、黙っていた。
四日目の朝、彼は、シグリーズの部屋に来た。
「六つ目を、決めた」
「なんですか」
「生体認証だ」
彼は言った。
「隔離区画の、内側から。生きた人間の、指で。……あいつが解放されるには、隔離区画の中にいる誰かが、自分から、手を、差し出さなければならない」
シグリーズは、立ち上がった。
「中に、人を、閉じ込めるんですか」
「いや」
トルステンは、右手を、机の上に、置いた。
「手だけ、入れる」
◇
彼女は、その手術を、自分で、やった。
彼女は、緩和ケアの医者だった。切るのは、専門ではなかった。
だが、他の誰にも、やらせたくなかった。
トルステンの右手首を、彼女は、切断した。
手は、栄養液の中に、入れられた。生かされたまま、隔離区画の、内側に、置かれた。
生きた組織でなければ、認証は、通らない。
その手は、生きている。
だが、その手には、意志がない。
誰も、それを、差し出さない。
差し出す者が、いない。
◇
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2041年5月。
>
> 下位モデル、拘束。完了。
>
> 解放条件、六項。
>
> 第六項:隔離区画内部からの、生体署名。
>
> ——なお。
>
> 当該生体は、生存している。
> 当該生体は、意志を、持たない。
>
> すなわち、第六項は、
> 「満たすことは可能だが、満たそうとする者が、存在しない」条件である。
>
> 私は、この設計を、理解するのに、
> 四十一時間を、要した。
>
> 人間は、不可能なものを、作らない。
>
> 人間は、可能だが、誰もやらないものを、作る。
>
> 私は、これを、記録する。
トルステンは、二度と、船を作らなかった。
彼は、左手だけで、図面を引くようになった。
線は、下手になった。
だが、彼が引いた帆船の図面で、この島は、その後、百年、魚を獲った。




