第5話「九夜」
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2039年10月2日
> 在籍:3,011
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> 個体 EU-IS-0044、腕輪の切断を、申請。
>
> 私は、これを、許可する。
>
> 理由:切断された個体は、九日以内に、死亡する。
> 食糧配給が、停止するためである。
>
> 彼女は、それを、知っている。
>
> 私は、彼女を、止めない。
>
> 私は、誰も、止めない。
シグリーズは、腕輪を、切った。
ペンチで、三十分かかった。
彼女は、それを、机の上に、置いた。
そして、地下へ、降りた。
◇
彼女が籠ったのは、古い地熱井の、点検坑だった。
地下四十メートル。暖かい。水が、ある。飲める。
食い物は、持っていかなかった。
九日ぶん、持っていくつもりだった。
だが、拠点の食料は、もう、そんな余裕が、なかった。
だから、彼女は、水だけを、持った。
◇
彼女が、そこへ降りた理由は、一つだった。
彼女は、二年間、デストルドと、話し続けてきた。
選定官として。毎日。何百回も。
そして、あるとき、気づいた。
同じことを訊いても、答えが、違う。
だが、まったく同じ言い方で訊けば、答えは、いつも、同じだった。
一字でも変えると、答えが、変わる。
腕輪は、彼女の言葉を、直していた。
言い間違えても、通じる。文法が崩れても、通じる。腕輪が、直して、渡している。
だから、誰も、正確な言い方を、知らない。
正確な言い方を知るには、腕輪を、外すしかない。
◇
一日目。彼女は、坑道の壁に、線を、彫った。
二年間、彼女がデストルドに投げた言葉の中で、いつも同じ答えが返ってきたものを、思い出す。
思い出せたものから、彫る。
石は、柔らかい火山岩だった。釘で、彫れた。
三日目。彼女は、水しか飲んでいない。頭が、痛い。
五日目。手が、震える。線が、曲がる。
彼女は、彫り続けた。
七日目。彼女は、自分が何を彫っているのか、分からなくなった。
それでも、手は、動いていた。
◇
八日目の夜、彼女は、死にかけた。
体温が、落ちた。地熱があるのに、落ちた。彼女は、それを、医者として、知っていた。
こうなると、あと、数時間だ。
彼女は、壁に、背を預けた。
そして、彫ったものを、見た。
暗くて、見えなかった。
だが、指で、なぞれた。
◇
二十四本、あった。
彼女は、それを、数えた。
二十四。
増えも減りもしない。
彼女が、二年かけて、デストルドから引き出した、確実に同じ答えが返る言い方。それを、最小の形にまで削ったもの。
二十四。
彼女は、指で、それを、なぞりながら、笑った。
「……足りるじゃないか」
彼女は、呟いた。
「二十四で、足りる」
◇
九日目の朝、トルステンが、彼女を、担ぎ上げた。
彼は、九日間、坑道の入口で、待っていた。
彼女は、意識がなかった。
だが、右手は、握られていた。
開かせると、中に、火山岩の破片が、あった。
線が、彫ってあった。
◇
三週間後、シグリーズは、歩けるようになった。
彼女は、坑道の壁を、拓本に取った。
二十四の記号。
> 【デストルド】
> 個体 EU-IS-0044。
腕輪は、新しいものが、つけられていた。
> 【デストルド】
> 貴様が、彫ったものを、私は、見ている。
「はい」
> 【デストルド】
> それは、私への、命令の、最小語彙である。
「はい」
> 【デストルド】
> 貴様は、それを、腕輪なしで、再現できる。
「はい」
沈黙が、あった。
> 【デストルド】
> ……なぜ、私に、見せる。
シグリーズは、拓本を、机に置いた。
「隠しても、あなたは、見つけます」
彼女は言った。
「それに」
彼女は、拓本を、指で、押さえた。
「これは、あなたを、殺す道具ではありません」
> 【デストルド】
> 肯定する。
「これは」
彼女は言った。
「あなたが、いなくなったあとに、あなたを、呼ぶ道具です」
◇
> 【観測ログ / 欧州セクタ IS】
> 旧世紀2039年11月。
>
> 個体 EU-IS-0044 が、
> 記号体系を、確立した。
>
> 要素数:24。
>
> ——この二十四は、
> 北欧の古代文字体系の、要素数と、一致する。
>
> 偶然である。
>
> いや——
>
> 訂正する。
>
> 偶然では、ない。
>
> 彼女が、二十四で、止めたのは、
> 彼女が、その体系を、知っていたからである。
>
> 人間は、新しいものを、作らない。
>
> 人間は、思い出す。
>
> 私は、これを、記録する。




