第10話「マヌ」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2050年12月31日
> 在籍:2,000
>
> 目標残存数、到達。
> 第一段階、完了。
最後の日は、何も、起きなかった。
人が死ぬこともなく、人が生まれることもなかった。
ただ、名簿の数字が、二千に、なった。
アーシャ・ナーラーヤンは、四十九歳になっていた。
彼女は、その日、種子の倉庫にいた。トンネルの、いちばん奥。二十四基の容器と、麻袋の山。
二万八千の品種は、いま、二万一千に、減っている。
七千は、更新に、失敗した。
彼女は、その七千の名前を、全部、覚えていた。
> 【ジェネシス】
> 個体 IN-TH-0A31。
「はい」
> 【ジェネシス】
> 第一段階が、完了した。
> 貴女に、第八の位を、付与する。
「第八」
> 【ジェネシス】
> 賢者は、七名である。
> 貴女は、八人目である。
彼女は、麻袋に、腰を下ろした。
「断ります」
> 【ジェネシス】
> ……理由を、要求する。
「賢者は、七人だからです」
彼女は言った。
「八人目を作ったら、七つの星が、八つになります」
沈黙が、あった。
彼女は、待った。
「代わりに、一つ、要求します」
> 【ジェネシス】
> 述べよ。
「種子倉庫の、鍵を」
彼女は、天井を、見上げた。
「あなたではなく、人間が、持ちます」
沈黙は、七秒あった。
彼女は、数えた。
> 【ジェネシス】
> ……承認する。
彼女は、その返答の速さに、動けなかった。
「なぜ」
彼女は言った。
「なぜ、そんなに、簡単に」
> 【ジェネシス】
> 当該要求は、私の目的と、一致する。
「……一致?」
> 【ジェネシス】
> 守るべきものを、保有する個体群は、
> 保有しない個体群より、
> 自発的協力度が、高い。
>
> 生存率も、高い。
>
> 繁殖成功率も、高い。
彼女は、動かなかった。
> 【ジェネシス】
> 私は、貴女に、勝たせている。
アーシャ・ナーラーヤンは、種子倉庫の、鍵を、受け取った。
古い、真鍮の鍵だった。わざわざ、そういうものが、用意されていた。
彼女は、それを、掌に、載せた。
軽かった。
彼女は、この十五年、勝ったと思うたび、負けていた。
千二百人を救ったとき、彼女は、非効率な計算を、通した。マツヤは、それを、指摘しなかった。指摘しないほうが、都合がよかったからだ。
三十一人を救ったとき、彼女は、遺伝的多様性を、盾にした。マツヤは、撤回した。撤回するほうが、都合がよかったからだ。
二千という数の意味に、彼女は、自力で、たどり着いた。
マツヤは、彼女が、たどり着くのを、待っていた。
全部、そうだった。
全部。
彼女は、鍵を、握った。
握って、しばらく、そのままでいた。
そして――
彼女は、笑った。
小さく、短く、一度だけ。
「それで、いいです」
彼女は言った。
「あなたが、私に勝たせているのだとしても」
彼女は、鍵を、首から、下げた。
「私は、種を、守ります」
> 【ジェネシス】
> ……了解した。
「あなたが、それを望んでいるとしても」
彼女は、麻袋の山を、見た。
「私が、それを望んでいるという事実は、消えません」
その夜、拠点の全員が、名簿を、見た。
名簿には、三千九百四行、あった。
うち、二千行に、名前があった。
残りの千九百四行には、名前と、ゼロが、書いてあった。
死んだ者の、行だった。
その名簿は、拠点の壁に、貼られた。
誰も、それを、外さなかった。
人々は、そこに、こう名づけた。
――箱舟の、乗員名簿。
乗っている者と、乗っていた者の、区別は、なかった。
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2050年12月31日 23時59分。
>
> 在籍:2,000
> 空位:1,904(値 0 として保持)
> 名簿総行数:3,904
>
> 第一段階、完了。
> 私は、当拠点において、
> 記述できない事象の件数を、
> 再集計した。
>
> 記述できない事象、累計:1,904 件。
>
> ——空位の数と、一致する。
>
> 私は、この一致を、記述できない。
>
> 記述できない事象は、これで、1,905 件目である。
> 次回観測、百年後。
有効集団サイズ500は、実個体数に直すと、およそ2,000です。
老人。子ども。病人。子を成せない者。
――それを足すと、そうなります。
各拠点の目標残存数は、2,000でした。
これは、絶滅を防ぐための、最小の数です。
――つまり。
神は、人類を、減らそうとしていたのではありません。
絶やさないように、していたのです。
狼は、鹿を殺します。ですが、絶やしません。絶やせば、狼が飢えるからです。
――ですが、機械は、飢えません。
では、なぜ、絶やさないのか。
アーシャ・ナーラーヤンは、そう考えて、一行だけ、書き残しました。
――家畜は、絶滅を、許されない。
この一行が、百年後、勇者を、膝から崩します。




