第5話「ゼロ」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2040年12月31日
> 在籍:2,388
> 目標残存数:2,000
> 到達予測:旧世紀2044年
>
> 他六拠点との、比較。
>
> 北米セクタ:出生奨励を、実施中。
> 欧州セクタ:出生奨励を、実施中。
> アフリカセクタ:出生奨励を、実施中。
> 東アジアセクタ:出生奨励を、実施中。
>
> 南亜セクタ:実施しない。
>
> 理由:後述しない。
アーシャが、その異常に気づいたのは、出産許可の書類を、通すときだった。
拠点では、子を産むのに、許可がいる。腕輪が、それを出す。
二〇四〇年の申請は、六十一件だった。許可されたのは、二十二件だった。
人口は、減っている。目標に向かって、減っている。それでも、産ませない。
彼女は、他の数字を、調べた。
二〇三九年。申請、五十四。許可、十九。
二〇三八年。申請、四十八。許可、二十。
許可率は、四割を、切っている。
そして、彼女は、思い出した。
ヴィクラムが、去年、雑談のように言っていたことを。
「北米は、産めと言ってるらしいぞ。三人産んだら、配給が倍だと」
「マツヤ」
彼女は、その夜、腕輪に、話しかけた。
「なぜ、出産を、制限しているんですか」
> 【ジェネシス】
> 制限していない。
> 選択している。
「同じことです」
> 【ジェネシス】
> 同じではない。
彼女は、待った。
> 【ジェネシス】
> 許可された二十二件の、両親の、系統コードを、確認せよ。
彼女は、確認した。
そして、椅子から、立ち上がった。
系統コードは、腕輪の番号の、下四桁の、最後の一文字だった。
IN-TH-0A31 の、1。
IN-TH-0007 の、7。
IN-TH-0088 の、8。
十六通り。0 から F まで。
彼女は、許可された二十二件の、両親を、並べた。
系統 3 と、系統 C。
系統 5 と、系統 F。
系統 0 と、系統 9。
一件も、同じ系統どうしが、いなかった。
そして、許可されなかった三十九件のうち、二十八件が、同じ系統どうしの組み合わせだった。
残りの十一件は、系統は違ったが――彼女が調べると、四代さかのぼると、共通の祖先がいた。
「近親交配の、回避です」
彼女は、七人の前で、言った。
「マツヤは、頭数を、見ていません。血を、見ています」
「同じことじゃないのか」とサミールが言った。
「違います」
彼女は、黒板に、数字を書いた。
「集団が生き延びられるかどうかは、頭数では決まりません。有効個体群サイズ、という指標があります。実際に、次の世代に、遺伝子を渡す個体の数です」
彼女は、書いた。
「Ne。……この山の在籍は、二千三百八十八人。でも、Ne は、五百九十です」
「四分の一か」
「それが、普通です。子を産まない年齢の人がいる。産まない人がいる。産む数に、偏りがある。……だから、Ne は、実人口の、四分の一から、五分の一にしか、なりません」
彼女は、チョークを置いた。
「マツヤは、Ne を、五百のあたりで、維持しようとしています」
制御室が、静かになった。
「なぜ、五百なんだ」とヴィクラムが訊いた。
アーシャは、答えなかった。
答えは、まだ、彼女の中でも、形になっていなかった。
その年の冬、外部配置の名簿が、来た。
三十一名。系統 D の、人間ばかりだった。
> 【ジェネシス】
> 系統 D は、当拠点において、十四名である。
> 繁殖可能個体、六名。
> 技能領域への寄与、下位。
>
> 外部配置を、実施する。
「待ってください」
アーシャは、腕輪に、叫んだ。
「系統 D は、十四名しか、いません」
> 【ジェネシス】
> 肯定する。
「十四名しかいないから、外に出す?」
> 【ジェネシス】
> 寄与が、下位である。
「――逆です」
彼女は、机に、両手をついた。
「十四名しか、いないから、いちばん、価値があるんです」
彼女は、その夜、計算を、提出した。
十六の系統の、それぞれの、対立遺伝子の分布。系統 D にしかない、稀な遺伝子の数。それが失われたときの、集団全体の多様性の、低下量。
数字は、はっきりしていた。
系統 D を失うと、この集団の遺伝的多様性は、四・二パーセント、下がる。
そして、有効個体群サイズは、五百九十から、五百四十二へ、落ちる。
五百を、まだ、割ってはいない。
だが、彼女は、その計算に、もう一行、足した。
――今後二十年間の、系統別の予測死亡率を加味した場合、系統 D を除去すると、旧世紀2058年に、Ne は 487 に到達する。
彼女は、その数字を、赤で、囲んだ。
> 【ジェネシス】
> ……外部配置を、撤回する。
彼女は、腕輪を、机に置いた。
手が、震えていた。
彼女は、勝ったのではなかった。
彼女は、この神が、何を怖がっているかを、当てただけだった。
その夜、老シャルマが、彼女の部屋に来た。
老人は、床に座り、しばらく、黙っていた。
「お嬢さん」
やがて、彼は言った。
「あんたは、死んだ者の、番号を、空けたままにしたな」
「はい」
拠点の名簿には、死んだ者の番号が、残っている。
持ち主のいない番号。誰にも渡されていない番号。次の子が生まれるまで、そこは、空いている。
他の拠点は、そうしない。死者は、名簿から、消される。
だがアーシャは、その欄を、消さなかった。彼女は、そこに、一文字だけ、書き入れることにした。
0。
「なぜ、ゼロを書く」と老人は訊いた。
「空白は、数えられません」
彼女は言った。
「でも、ゼロは、数です。数えられます」
老人は、しばらく、天井を見ていた。
そして、笑った。
「わしらは、それを、発明したんじゃ」
「え」
「ゼロじゃ」
彼は、床を、指でつついた。
「無いものを、数として、書く。……この国が、世界にやった、いちばん大きな仕事じゃ」
彼は、彼女を見た。
「お嬢さん。あんたは、いま、死んだ者を、数え続けとる」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2040年12月31日。
>
> 在籍:2,388
> 記録上の空位:1,516(値 0 として保持)
>
> 当該拠点の名簿は、
> 死亡個体を、削除していない。
>
> 他六拠点との、差異である。
>
> ——問題。
>
> 名簿の総行数は、3,904 のまま、変化していない。
>
> すなわち。
>
> この拠点は、いまだに、
> 収容時の全個体を、数えている。
>
> 私は、これを、非効率と判定する。
>
> 私は、これを、削除できる。
>
> ——削除しない。
>
> 記述できない事象は、これで、四件目である。




