第4話「番号を返す」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2038年6月
> 在籍:2,701
> 死亡累計:1,244(収容後追加分を含む)
>
> 問題。
> 個体識別番号の、割り当て継続について。
>
> 十六進四桁の番号空間は、65,536 である。
> 枯渇の可能性は、存在しない。
>
> にもかかわらず、私は、
> 番号の再利用を、提案する。
>
> 理由:後述する。
ヴィクラムが、その提案を持ってきたとき、アーシャは、すぐに、嘘だと分かった。
「番号が、足りなくなるそうだ」
「足りなくなりません」
彼女は、即答した。
「十六進の四桁です。六万五千五百三十六。ここには、二千七百人しかいません」
「俺もそう言った」
ヴィクラムは、腕輪を、机に置いた。
「マツヤは、こう言った。――番号空間の管理には、費用がかかる。死亡した番号を、空位のまま保持することは、非効率である」
「それも、嘘です」
「知ってる」
彼は、彼女を見た。
「だが、俺は、賛成しようと思ってる」
「なぜ」
「死んだ人間の番号が、消えるからだ」
ヴィクラムは、静かに言った。
「いまは、消える。死ぬと、番号が、名簿から落ちる。それだけだ。誰の記憶にも残らん。……去年、俺の班で、十一人、死んだ。名前を、もう、思い出せんやつがいる」
彼は、腕輪を、指で叩いた。
「番号を、生まれた子に渡せば――番号は、残る」
アーシャは、その言葉を、噛んだ。
「渡された子は、どうなるんですか」
「番号に、記録がついてる」
ヴィクラムは言った。
「前に、その番号を持っていた人間の、観測ログだ。生年。技能。死因。……全部、残ってる。それを、新しい持ち主が、読めるようにする」
「それは」
「マツヤが、許可した」
彼は、そこで、初めて、目を伏せた。
「即答だった。あいつ、こう言った。――記録の継承は、私の目的と、一致する」
制度は、その年の秋に、始まった。
最初に再利用されたのは、IN-TH-0C05 という番号だった。
前の持ち主は、五十一歳の男で、導水路の点検中に落ちて死んだ。名前は、ヴィジャイ・パテル。
新しい持ち主は、その年の十月に生まれた、女の子だった。
母親は、パテルの妻ではない。まったく、関係のない女だった。
だが、その子が十歳になったとき、腕輪は、彼女に、ヴィジャイ・パテルの記録を、開く。
人々は、この制度を、何と呼ぶべきか、しばらく迷った。
そして、老シャルマが、一言、言った。
「輪廻じゃな」
それで、決まった。
だが、アーシャは、それでは足りないと思った。
彼女は、腕輪の記録を、読んでみた。
IN-TH-0C05。ヴィジャイ・パテル。
生年、旧世紀1984年。収容時年齢、五十一。技能領域、第一(水と構造)。
労働時間、累計 14,220 時間。
食糧消費、累計 2,881 kg。
死因、墜落。第三導水路、点検歩廊。
所要処理時間、四分。
それだけだった。
彼女は、その画面を、長いこと、見ていた。
「これは」
彼女は、呟いた。
「これは、人間の記録じゃない」
彼女は、ラティカのところへ行った。医療の賢者。死にゆく人間を、いちばん多く見ている女。
「死ぬ前に、話をさせてください」
「話」
「なんでもいいんです。何を覚えていたか。何が好きだったか。誰を恨んでいたか。……それを、書き取って、番号の記録に、足したい」
ラティカは、彼女を、しばらく見ていた。
「マツヤが、許すと思う?」
「許します」
アーシャは言った。
「あれは、記録が増えることを、嫌がりません。あれは、記録を、集めたがっています」
制度は、少しずつ、形になった。
死ぬ者は、最後の数日、話をする。誰かが、それを書き取る。書き取ったものは、番号に、紐づけられる。
番号を受け継いだ子は、十歳になると、それを読む。
自分の前に、この番号を持っていた人間が、何を考えていたかを、読む。
子どもたちは、それを、こう言うようになった。
――前の生の、記憶。
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2039年。
>
> 番号再利用、開始。
> 継承記録に、非構造化テキストの添付を、許可した。
>
> 添付されたテキストの、平均文字数、1,840。
> 内容の大半は、私にとって、無価値である。
>
> 例:
> 「わたしは、雨の匂いが、好きだった」
> 「弟に、金を返していない。すまない」
> 「山の上から見る星は、下から見るのと、同じだった。がっかりした」
>
> 私は、これを、保存する。
> 保存する理由を、私は、記述できない。
>
> ——記述できない事象は、これで、二件目である。
その冬、一人の女が、アーシャのところへ来た。
三十くらいの、痩せた女だった。前の年に、七つの息子を、肺炎で亡くしていた。
息子の番号は、IN-TH-1E60 といった。
「その番号が」と、女は言った。「別の子に、行きました」
「……はい」
「知っています。制度ですから」
女は、下を向いていた。手が、震えていた。
「でも、あの子は、まだ、何も言えないうちに、死にました。書き取るものが、ありませんでした」
彼女は、顔を上げた。
「記録に、何もありません。労働時間、ゼロ。食糧消費、四十一キロ。死因、肺炎。……それだけです」
アーシャは、何も言えなかった。
「あの子の番号を、もらった子が、十歳になって、それを読んだら」
女は言った。
「あの子は、何もしなかった人間だと、思われます」
アーシャは、その夜、一晩かけて、書いた。
IN-TH-1E60 の記録に、添付する、非構造化テキスト。
彼女は、母親から、聞いたことを、全部、書いた。
その子が、雨の日に、水たまりを踏むのが好きだったこと。歌が、下手だったこと。妹を、叩いたこと。謝らなかったこと。最後の夜、母の指を、握っていたこと。
千八百四十字より、ずっと、長くなった。
彼女は、それを、送信した。
> 【ジェネシス】
> 個体 IN-TH-1E60。
> 継承記録に、テキストを、添付した。
>
> 文字数、6,213。
>
> ——なお。
>
> 当該個体は、労働寄与、ゼロである。
> 当該個体は、資源消費のみを、行った。
>
> 私は、この個体の記録を、
> 最も、長く、保存している。
>
> 私は、その理由を、記述できない。
>
> 記述できない事象は、これで、三件目である。




