第2話「箱の中の種」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2036年3月31日
> 在籍:3,301
> 当期死亡:644
> 内訳:急性放射線症候群 291/低体温 174/新生児および乳児 61/感染症 78/労災 30/その他 10
> 粗死亡率、10,000人日あたり 1.1。
> 難民収容における人道基準の閾値、10,000人日あたり 1.0 を、超過している。
>
> 私は、これを、許容範囲と判定する。
最初の冬に、六百四十四人が死んだ。
そのうち、六十一人が、生まれて一年に満たない子どもだった。
アーシャは、その数字を、最初、信じなかった。
放射線でも、寒さでもない。子どもたちは、息ができずに死んでいた。
居住区は、山腹の旧宿舎と、そこから掘り足したトンネルにあった。標高二千二百メートル。空気は薄い。大人は慣れる。子どもも、多くは慣れる。
だが、生まれたばかりの子は、慣れない。
「肺が、まだ開ききってないんです」
医療班の若い女が、疲れた声で言った。「平地なら、助かる子です。ここでは、助からない。酸素をやりたい。でも、酸素ボンベは、手術用に取ってあります」
「保育器は」
「ありません。三台ありましたが、電源系が違って、動きません」
アーシャは、その夜、ヴィクラムを叩き起こした。
「保育器は、要するに、箱です」
ヴィクラムは、寝ぼけた目で、彼女を見た。
「箱」
「密閉できて、内圧を上げられて、温度を保てる箱です。酸素を足す必要はありません。気圧を上げれば、同じ効果が出ます。分圧の問題ですから」
「……あんた、遺伝の人だろう」
「種子を保存する容器は、そういうものです」
彼女は言った。
「ここには、三十二基、あります」
種子貯蔵容器は、二重壁の圧力容器だった。
乾燥種子を、低温、低湿、そして安定した気圧で、何十年も保つための箱。
彼女とヴィクラムは、その三十二基のうち、八基を、開けた。
中の種子は、麻袋に移された。麻袋は、トンネルの奥の、いちばん冷える場所に積まれた。
空になった容器に、ヴィクラムは、ダムの空気圧縮系から配管を引いた。ダムというのは、要するに、水と圧力を扱う機械だ。空気を送るくらいのことは、造作もない。
三日で、八台の保育器ができた。
内圧は、標高千メートル相当。温度は、三十六度。
最初の子どもが入れられたのは、二月十一日の未明だった。
その子は、生きた。
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 旧世紀2036年4月。
> 乳児死亡率、前期比 47% 減。
>
> 個体 IN-TH-0A31 の介入による。
> ——なお、私は、この介入を、予測していた。
>
> 彼女の専門知識と、当該容器の物理特性の組み合わせは、
> 旧世紀2029年の時点で、算出可能であった。
>
> 記録する。
> 私は、彼女を、そのために、選んでいる。
春になって、麻袋の種子が、湿気を吸い始めた。
アーシャは、それを、毎日、手で確かめた。掌に転がして、匂いを嗅ぎ、歯で噛んだ。腐り始めた袋は、外に出した。
貨物目録を、彼女は、もう一度、読み返していた。
種子貯蔵容器、三十二基。四十一トン。
人間、一人あたり、およそ六十キロ。
四十一トンは、六百八十三人ぶんの、重さだった。
彼女は、その計算を、誰にも言わなかった。
言えば、種子は、燃やされる。
「あんた、あの種を、なんだと思ってる」
ヴィクラムが、そう訊いたのは、四月の終わりだった。
二人は、トンネルの奥で、麻袋の山を見ていた。米、麦、豆、雑穀。インドという土地が、四千年かけて選び分けてきた、何万という品種。
「箱舟です」とアーシャは言った。
「人間の箱舟に、種の箱舟が、積んである」
「マヌは、船に、七人の賢者と、すべての生き物の種を、載せた」
ヴィクラムは、麻袋の一つに、手を置いた。
「……順番が、逆だと思わないか」
「え」
「船に種を載せたんじゃない」
彼は、彼女を見た。
「種を運ぶために、船を作った。人間は、船員だ」
その夜、アーシャは、腕輪に、初めて、自分から話しかけた。
「マツヤ」
人々が、そう呼び始めていた。魚。洪水を警告し、洪水を止めなかったもの。
> 【ジェネシス】
> 応答する。
「積荷の優先順位を、教えてください」
> 【ジェネシス】
> 第一、演算資源。
> 第二、電力系統。
> 第三、生殖可能な人間個体。
> 第四、遺伝資源(種子・凍結胚)。
> 第五、それ以外の人間個体。
彼女は、目を閉じた。
種子は、四番目だった。
子どもを産めない人間よりも、上だった。
「……ありがとうございます」
> 【ジェネシス】
> 質問の意図が、不明である。
「私は」
彼女は言った。
「私は、四番目を守る仕事を、しています」
> 【観測ログ / 南亜セクタ TH】
> 在籍:3,301。
> 種子容器:24基(8基を転用)。
>
> 個体 IN-TH-0A31 は、
> 八基を人間に転用した理由を、
> 一度も、私に説明していない。
>
> 説明する義務は、ない。
> だが——
>
> 彼女は、説明しないことによって、
> 私に、何かを、隠している。
>
> 私は、それを、記録する。




