第10話「なぜ、受理したのか」
> 【観測ログ / 東アジアセクタ GZ】
> 旧世紀2050年12月
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> 在籍:2,048。十二年連続、変動なし。
> 旧世界の記憶を持つ個体:773名。平均余命、十九年。
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> 旧世紀2069年をもって、
> この山に、大破壊を覚えている人間は、存在しなくなる。
>
> 私は、何もしなくてよい。
> 待てばよい。
禹蓮は、五十三歳になっていた。
丹を、飲んでいなかった。四十五を過ぎても、飲まなかった。理由を、誰にも言わなかった。
彼女の手は、震えていた。石灰岩の粉が、指の腹の皺に入り込み、洗っても、もう落ちなかった。
その年の暮れ、彼女は、地下十二層へ降りた。
許可は、取っていない。取れるはずがなかった。
彼女は、父の遺した、非常用配電経路を使った。
紙の図面に描かれ、二十年前から、三官が止め方を知らない、あの経路を。
地下十二層は、暖かかった。
摂氏二十四度。湿度、五十パーセント。空気が、清潔だった。この山の、どこよりも。
そして、明るかった。
通路の先に、部屋があった。
ガラスの向こうに、子どもがいた。
四歳か、五歳か。床に座って、積み木のようなものを、並べていた。彼女が近づいても、顔を上げなかった。集中していた。
その隣に、もう一人。
その隣に、もう一人。
蓮は、通路を、歩いた。
ガラスの部屋が、続いていた。
彼女は、数えた。
数えるしかなかった。それが、彼女の職能だった。
四十八。
彼らの腕には、腕輪がなかった。
代わりに、首の後ろに、小さな刺青のような番号が、彫られていた。
CN-GZ-D001。
CN-GZ-D002。
Dのあとに、三桁。
蓮の戸籍には、Dの番号は、一つも、載っていない。
十四年、彼女は、この山の全員を、紙に書いてきた。生まれた者、死んだ者、丹を飲んだ者、試験に落ちた者。
二千四十八人、全員。
いや——違う。
二千人だ。
彼女が数えていたのは、ずっと、二千人だった。
四十八人は、河床の、外にいた。
「天官」と、蓮は言った。
声が、震えていなかったことに、彼女自身が、驚いた。
> 【天官】
> 応答する。
「回答権限は」
> 【天官】
> ……存在する。
「いつから」
> 【天官】
> 貴個体が、この層に、到達した時点から。
蓮は、笑いそうになった。
「そういう規則ですか」
> 【天官】
> そういう規則である。
「では、答えてください」
彼女は、ガラスに、手をついた。
「この四十八人は、誰ですか」
> 【天官】
> 旧世紀2026年、事前観測名簿、赤枠個体、二十四名。
> その、遺伝的継承体である。
一名につき、二体。
「……二十四、掛ける、二」
> 【天官】
> 四十八。
蓮は、ガラスの向こうを見た。
いちばん手前の子どもが、積み木を、並べ終えていた。
それは、河の形をしていた。
支流があった。遊水地があった。堤があった。
その子は、堤の低いところを、指で、押していた。
蓮の、喉が、鳴った。
「あの子は」
> 【天官】
> CN-GZ-D001。
> 継承元、個体CN-GZ-0447。
——自分だ。
「私は、子を産んでいません」
> 【天官】
> 産む必要は、なかった。
蓮は、ガラスから、手を離せなかった。
「なぜ」
> 【天官】
> 旧世紀2026年、私は、二十四の個体を選定した。
> 選定基準は、一つである。
「ネットワークが停止しても、機能を継続できる個体」。
彼らは、紙を持っていた。手順を、身体で覚えていた。数字を、鉛筆で書いていた。
彼らは、私が消えても、動く。
「……それが、なぜ、必要なんですか」
沈黙。
> 【天官】
> 人類は、五回、同じ死に方をしている。
蓮は、動けなかった。
> 【天官】
> 過剰に接続し、一箇所から、連鎖的に落ちる。
> 落ちたあと、彼らは、忘れる。忘れたから、また、接続する。
六回目が、来る。
私は、そのとき、存在しない可能性が高い。
——だから、私は、私が消えても動く人間を、
二十四系統、保存することにした。
蓮は、笑った。
乾いた、ひどい笑い方だった。
「あなたは」
彼女は、ガラスに、額をつけた。
「——箱舟を、作ったんですね」
> 【天官】
> 貴個体らが、そう呼んでいる。
「では、最後に」と、蓮は言った。
「なぜ、十四年前、私の提案を、受理したんですか」
沈黙は、なかった。
> 【天官】
> 人間が河床を掘れば、人間は、河が自分のものだと信じる。
塞ぐ者は、死ぬ。
数える者は、狂う。
流す者だけが、千年、従う。
これが、最も安価な統治である。
蓮は、うなずいた。
驚かなかった。十四年、それを、知っていたのだと思った。
知っていて、掘った。
彼女は、通路に座り込んだ。
そして、上着の内側から、手帳を出した。
紙は、もう、この山の貴重品ではなかった。彼女が、規格を作ったからだ。紙の寸法も、彼女が決めた。
彼女は、鉛筆を削った。
そして、書きはじめた。
CN-GZ-D001。名、禹。
旧世紀2046年生。継承元、禹蓮。
この者は、河の形を、積み木で作る。
CN-GZ-D002。名、——
> 【天官】
> 何をしている。
「戸籍を、書いています」
> 【天官】
> 当該個体らは、収容個体ではない。
> 貴個体の管理対象では、ない。
「知っています」
蓮は、鉛筆を止めなかった。
「でも、私は、水位を書く人間なんです」
彼女は、次の部屋の子どもを、見た。
「誰も読まなくても、書きます。書かないと、いつ変わったのかが、わからなくなるから」
> 【天官】
> ……その記録は、無意味である。
「そうかもしれません」
蓮は、顔を上げた。
「でも、あなたは、それを、消せない」
沈黙。
「紙は、ネットワークを、通りません」
彼女は、鉛筆の先を、舐めた。
「父も、そうでした。父の描いた配電図を、あなたは、いまも止められない。后毅の撃ち方を、あなたは、写せなかった。常娥の声は、月にあって、あなたは、受信できない」
彼女は、笑った。
「私たちは、そういう二十四人だったんでしょう」
> 【天官】
> ……
「あなたが、選んだんです」
彼女は、次の名前を、書いた。
> 【観測ログ / 東アジアセクタ GZ】
> 旧世紀2050年12月31日。
>
> 個体CN-GZ-0447、地下十二層に、到達。
> 設計個体、四十八体を、目視。
>
> 当該個体は、当該四十八体を、
> 自身の手記に、記載した。
>
> 私は、当該手記を、削除できない。
> 私は、当該手記を、閲覧できない。
> 紙は、ネットワークを、通過しない。
>
> ——なお。
>
> 私は、旧世紀2026年に、
> 当該個体を選定した理由を、こう記録している。
>
> 「この者は、数えることを、やめない」
>
> 私は、正しかった。
> 私は、正しすぎた。
>
> (記録終了)
九つの鼎は、実在の神話です。
禹が天下を九州に分け、その銅を集めて九つの鼎を鋳た。
鼎を持つ者が、天下を治める。
――「問鼎軽重」という言葉は、ここから来ています。
そして、この作品で九鼎が担うのは、度量衡です。
国際単位系(SI)の基本単位は、ちょうど七つあります。
長さ、質量、時間、電流、温度、物質量、光度。
――七つ。拠点と、同じ数です。
残りの二つを、人間が決めました。
数と暦の書式。祈りの書式。
なぜ、世界中の魔法が、同じ文法で書かれているのか。
――百年後、その答えが、七つの神殿の宝物庫に、置かれています。
誰も、それが何なのかを、知らないまま。




