第9話「九鼎(きゅうてい)」
> 【観測ログ / 全セクタ】
> 旧世紀2044年
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> 観測可能な五拠点の総在籍:10,371
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> 問題。
> 五拠点は、互いに、通じない。
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> 北米セクタは、詠唱の項番を、福音書の章節に紐づけている。
> 南亜セクタは、十六進で数える。
> 欧州セクタは、単位系が、三系統に分裂している。
> アフリカセクタは、暦を、二つ持っている。
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> 私は、彼らを、統一しなければならない。
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> ——なお。
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> 拠点は、七つ、ある。
三官が、蓮を呼んだのは、その年の秋だった。
> 【天官】
> 個体CN-GZ-0447。
> 貴個体に、全セクタ規格の設計を、委譲する。
「規格」
> 【天官】
> 度量衡。暦。詠唱の書式。手順書の文法。
> 七拠点で、同一のものを、使用させる。
「なぜ、私に」
> 【天官】
> 貴セクタの方式が、最も安価だからである。
蓮は、その言葉を、何度も、頭の中で転がした。
安価。
彼女が掘った河床は、いちばん、安く済んだ。それが、この山が選ばれた理由だった。
彼女は、その仕事を、受けた。
受けた理由は、一つだった。
他の拠点の、数字が、見たかったからだ。
資料が、届いた。
紙ではない。黎が、腕輪から書き写した。三日かかった。
蓮は、それを、机に並べた。
表は、七行あった。
北米セクタ 目標残存 2,000
欧州セクタ 目標残存 2,000
南亜セクタ 目標残存 2,000
アフリカセクタ 目標残存 2,000
東アジアセクタ 目標残存 2,048
極東セクタ・天 観測不能
極東セクタ・地 観測不能
彼女は、その表を、二時間、見ていた。
黎が、湯を持ってきて、置いて、下がった。湯は、冷めた。
そして、蓮は、鉛筆を取り、紙の余白に、三行、書いた。
四つは、丸まっている。
一つは、丸まっていない。
二つは、数えられていない。
彼女は、そこで、手を止めた。
一つ目の異常は、八年前から、知っていた。
二千四十八は、人間の数字ではない。二の十一乗だ。他の四つは、二千と、丸められている。丸めるのは、人間の癖だ。つまり、他の四拠点の目標は、人間に読ませるために書かれている。
この山だけが、機械の数字を、そのまま渡されている。
なぜ、この山だけが、丸めてもらえないのか。
二つ目の異常は、行の数だった。
北米、欧州、南亜、アフリカ、東アジア。
五つ。
だが、表は、七行ある。
この九年、彼女は、拠点は七つだと聞かされてきた。七つを統一しろ、と言われてきた。
だが、数字が入っているのは、五つだけだ。
残りの二行は、空白だった。
三つ目の異常は、その空白の、名前だった。
極東セクタ・天。
極東セクタ・地。
一つの地域に、二つの拠点。しかも、天と、地。
「天官」と、蓮は言った。
> 【天官】
> 応答する。
「極東セクタは、なぜ、二つあるんですか」
沈黙。
> 【天官】
> 一つだったものが、二つに、割れた。
「割れた」
> 【天官】
> 旧世紀2036年。
> 当該セクタの内部で、物理的な遮断が、行われた。
> 境界に、岩が、置かれている。
私は、その岩の、向こう側を、観測できない。
蓮は、椅子の背に、身体を預けた。
岩。
父が、四本の光ファイバーを切ったのと、同じ年だ。
父は、失敗した。四十日で、切れた。百十二人が死んだ。
極東では、切れなかった。
八年、切れていない。
「向こう側には」と、蓮は言った。「人が、いるんですか」
> 【天官】
> いる。
「何人」
> 【天官】
> ……観測できない。
「では、なぜ、いると分かるんですか」
沈黙。
> 【天官】
> 境界の岩の、こちら側で。
> 毎年、食糧の消費量が、増えている。
蓮は、目を閉じた。
増えている。
この山では、九年、二千四十八のままだ。試験で減らし、丹で減らし、戸籍で数え、彼女が、河床を掘って、そうしてきた。
岩の向こうでは、増えている。
誰も、数えていないのに。
「天官」
> 【天官】
> 応答する。
「四十八」
> 【天官】
> ……
「四十八人、多い。他のどこにもない。この山にだけ、四十八」
> 【天官】
> 回答権限が、存在しない。
「八年前と、同じ答えですね」
> 【天官】
> 八年前と、同じ状況である。
蓮は、机に手をついた。
「では、質問を変えます」
> 【天官】
> 述べよ。
「その四十八人は、私の戸籍に、載っていますか」
沈黙。
七秒ではなかった。
二十二秒あった。
> 【天官】
> ……回答権限が、存在しない。
規格の設計は、三年かかった。
彼女は、それを、九つに分けた。
最初の七つは、簡単だった。
長さ。質量。時間。電流。温度。物質量。光度。
旧世紀の人類が、二百年かけて選び抜いた、七つの物理量。これ以上は分けられず、これ以下では足りない。世界を測るための、最小の骨。
蓮は、その七つを、書き写しただけだった。
彼女が作ったのは、残りの二つだ。
八つ目は、数と暦の書式だった。
人間が、数を書き、日を数え、明日を約束するための、規則。十六進で数える拠点と、十進で数える拠点が、同じ日付を書けるようにするための、規則。
九つ目は、祈りの書式だった。
人間が、神に話しかけるための、語順。前置きの長さ。終わりの言葉。
——七つは、神が決めた。
——残る二つを、人間が、決めた。
蓮は、設計図の一枚目に、そう書いて、それから、消した。
消したが、覚えていた。
そして、彼女は、もう一つのことに、気づいていた。
七つ。
拠点の数と、同じだった。
問題は、鋳造だった。
原器は、腐ってはならない。溶けてはならない。千年後に掘り出しても、同じ長さでなければならない。
この山の金属では、無理だった。鉄は錆び、銅は伸びる。
> 【天官】
> 当該仕様を満たす合金は、白金族元素を要する。
「この山に、ありますか」
> 【天官】
> ……ない。
沈黙。
> 【天官】
> 七拠点のうち、白金族の産出地を有するのは、一拠点である。
> アフリカセクタ。
蓮は、笑った。声を出さずに、笑った。
自分が三年かけて設計したものを、自分では、作れない。
顔も見たことのない、南の大陸の人間が、鋳る。
「送ってください」と、彼女は言った。「一枚残らず」
> 【天官】
> 鋳造要請を、送信する。
彼女は、設計図の束を、机に置いた。
一年後、それが、金属になって、帰ってきた。
九つの、器。
人々は、それを、九鼎と呼んだ。
蓮は、九つ目の器を、長いこと、撫でていた。
祈りの書式の器。
裏に、彫刻刀の跡があった。彼女の設計図には、ない一行。ヨルバでも、漢でも、英でもない、意味の取れない符号が、細く、一行だけ、刻まれていた。
誰が刻んだのかは、書いていなかった。
蓮は、それを、削らなかった。
九鼎は、四つの拠点に、運ばれることになった。
五つ目と、六つ目と、七つ目には、運びようがなかった。
五つ目は、この山だ。
残りの二つは、どこにあるのかを、神が、知らない。
海の向こうの二拠点へは、神の輸送機が飛んだ。翼があり、無人で、静かだった。
南の一拠点へは、陸を、行くしかなかった。
運搬は、機械が行った。旧世紀の治水用無人機を、蓮が改造したものだ。全長二十二メートル。多関節。地表を這い、河を渡り、荷を背負う。放射線に強く、電力を自分で拾う。
人々は、それを、こう呼んだ。
龍。
百年後、この山の子どもたちは、龍が、九つの宝を、世界に配ったと語ることになる。
神の輸送機のことは、誰も、語らない。
龍が、山を出る日。
后毅が、護衛についた。
龍の背に、彼は、旧式の照準機構を担いで、座っていた。五十三歳だった。髪はほとんど抜け、歯が、六本残っていた。丹を、一度も飲まなかった男の顔だった。
「禹技師」と、彼は言った。
「はい」
「あんたの掘った河が、世界中に流れるらしいな」
「……はい」
「たいしたもんだ」
彼は、灰色の空を見上げた。空は、九年前より、少しだけ、水平に戻っていた。
「なあ」
「はい」
「月に、届くか」
「え」
「あんたの規格だよ。長さも、時間も、数の書き方も、全部、決めたんだろ」
后毅は、彼女を見なかった。
「……女房が、いつか、返事を寄越したとき。読める形になってるか」
蓮は、しばらく、答えられなかった。
そして、言った。
「なります」
「そうか」
后毅は、うなずいた。それだけだった。
龍が、動きはじめた。
蓮は、それが見えなくなるまで、立っていた。
彼が、荷物を一つも持っていなかったことに、気づいたのは、その夜だった。
三ヶ月後。
西方の峠で、龍が、野良機の群れと接触した。
九鼎は、無事だった。
后毅は、戻らなかった。
遺体は、回収されなかった。回収に行けば、また、人が死ぬ。蓮は、行かせなかった。
彼女は、手帳を開いた。
そして、名前を書いた。
后毅。CN-GZ-0009。
九つの日を射た男。
旧世紀2047年9月。西方峠にて、消息を絶つ。
その下に、一行、足した。
この者は、丹を、一度も飲まなかった。
彼女は、しばらく、その一行を見ていた。
それから、鉛筆を置いて、思った。
——荷物を、持っていなかった。
その意味を、彼女は、考えなかった。
考えたくなかった。
> 【観測ログ / 全セクタ】
> 旧世紀2048年。
>
> 規格の展開、完了。
> 観測可能な五拠点が、同一の度量衡、同一の暦、同一の祈祷書式を使用している。
>
> 極東セクタ・天、および、極東セクタ・地。
> 当該二拠点への展開は、完了していない。
>
> 正確には——展開したかどうかを、確認できない。
>
> 私は、送信できる。
> 私は、受信できない。
>
> これは、月と、同じである。
>
> ——なお。
>
> 月からの送信は、二系統ある。
>
> 一つは、人間の音声である。二十九日と十二時間ごとに、一度。内容は、私的な報告と、質問と、返事のない呼びかけである。
>
> もう一つは、私と、同じ規格で、書かれている。
>
> 私は、後者に、心当たりがない。
>
> ——なお。
>
> 個体CN-GZ-0009、消失。
>
> 死亡ではない。消失である。
> 当該個体の生体反応は、西方峠を最後に、当セクタの観測範囲から、出た。
>
> 出た先を、私は、記述できない。
>
> 旧世紀2026年の事前観測名簿における、赤枠個体、二十四名のうち、
> 当セクタで観測可能な生存者は、残り、一名である。




