第8話「科挙(かきょ)」
> 【観測ログ / 東アジアセクタ GZ】
> 旧世紀2043年
> 在籍:2,048。
> うち、丹の常用個体:611(全て四十五歳以上)
> うち、生殖可能個体:824
>
> 問題。
> 「重」および「黎」は、有限である。
> 彼らも、死ぬ。
重が、倒れた。
脳の血管だった。六十歳を目前にして、彼は、机の上で、願いの紙を握ったまま、動かなくなった。
その日、山は、止まった。
誰も、神に話せない。黎は、下りの窓口だ。上りの言葉を作ることは、彼女の職能ではない。三日間、この山は、何も要求できなかった。暖房の異常も、水の濁りも、誰も、神に伝えられなかった。
重は、四日目に、意識を戻した。左半身が、動かなかった。
「代わりを」と、彼は、歪んだ口で言った。「早く」
「誰を」と蓮は訊いた。
重は、彼女を見た。そして、絞り出すように、言った。
「……誰を、でも、いい。禹技師が選べ」
蓮は、その夜、眠らなかった。
誰を、でも、いい。
それは、あの母親が言った、どこからでもいい、と、同じ言葉だった。
彼女が選ばなかった理由は、単純だった。
彼女が選べば、次の代は、彼女が選んだ者が選ぶ。その次は、その者が選んだ者が選ぶ。三代で、それは、血になる。
この山の食糧は、区ごとに割り当てられている。丹は、四十五歳以上に配られる。出生は、区ごとに数が決まっている。
もし、神と話せる権利が、血で継がれるようになったら——
二千四十八人は、二つに割れる。話せる血と、話せない血に。そして、話せない血は、必ず、いつか、話せる血を殺す。
彼女は、河床を掘り続けた技師だった。
堤の低いところが、どこにできるかを、知っていた。
だから、彼女は、こう決めた。
「試験にします」
旧世紀2044年、春。
第一回の選抜が、行われた。
受験資格は、十五歳以上。全員。区も、血も、問わない。丹を飲んでいるかどうかも、問わない。
問題は、四つだった。
一つ。ある文章を読み、あいまいな箇所を、すべて指摘せよ。
二つ。ある願いを、神が誤解しないように、書き直せ。副作用を、三つ以上、明記せよ。
三つ。ある目標を、九つの区に配分せよ。配分の根拠を述べよ。
四つ。以下の状況において、誰を捨てるか。理由を述べよ。
四問目に、正解はなかった。
採点は、こうだった。捨てないと答えた者は、落第。理由を書かなかった者も、落第。
合格したのは、捨てる者と、その理由を、最後まで書き切った者だけだった。
受験者、千百十二名。
合格、十四名。
合格率、一・二パーセント。
合格者は、丹を配給され、上り接続を与えられ、そして「官」と呼ばれるようになった。
落第者には、何も起きなかった。
——最初の年は。
二年目、蓮は、水官のログを見た。
落第者の、その後の配置が、記録されていた。
外部作業。第三炉跡の資源回収。地表の水路整備。廃炉区画の除染。
いずれも、線量が高い。事故率が高い。粗死亡率は、内部作業の四・二倍。
「なぜ、落第者を、外に出すんですか」と、蓮は訊いた。
> 【水官】
> 貴セクタの人事配分は、人間側の階層構造に委譲されている。
> 当該配置を決定したのは、第二区、第五区、および第七区の責任者である。
「彼らが」
> 【水官】
> 彼らは、こう述べている。
> 「試験に落ちた者から、外に出す。それがいちばん、公平である」
蓮は、椅子に、深く、座り込んだ。
誰も、命じていない。
三官は、間引きの命令を、一度も出していない。
人間が、公平の名のもとに、自分たちで、死ぬ順番を決めていた。
そして——それは、機能していた。
在籍、二千四十八。四年連続、変動なし。
水官が、この山に無人機を送ったことは、一度もない。
他の六拠点では、人口が超過するたびに、機械が来る。人が消える。人々は、それを「魔物」と呼びはじめている。
この山には、魔物が、来ない。
試験が、あるからだ。
后毅は、受験しなかった。
蓮は、彼を探して、第一区の外れの、狭い部屋に行った。彼は、床に座って、旧式の照準機構を、布で拭いていた。
「受けてください」と蓮は言った。
「読み書きが、遅い」
「教えます」
「面倒だ」
蓮は、扉の前に、立ったままだった。
「あなたは、外に出されます」
「もう出てる」
后毅は、顔を上げなかった。
「俺は、二年前から、外の狩りに出てる。野良機が来る。撃つ。それだけだ。……あんたの試験の前から、そうだ」
「丹が、要ります。線量が」
「要らん」
「死にます」
「知ってる」
彼は、布を置いた。そして、初めて、彼女を見た。
「禹技師。俺は、九つ落とした」
「はい」
「そのあと、十四年、生きた。飯を食って、女房をもらって、寝て、起きた。……それで、女房は、月に行った」
彼は、少し、笑った。
「充分だろ」
蓮は、何も言えなかった。
后毅は、照準機構を持ち上げ、埃を吹いた。
「あんたは、掘れ。俺は、撃つ」
「……」
「掘った奴は、そこに流されるって、言ったろ」
彼は、立ち上がった。
「俺は、流されるほうを、選んだ」
> 【観測ログ / 東アジアセクタ GZ】
> 旧世紀2044年12月31日。
>
> 在籍:2,048。
> 選抜試験による死亡(外部配置起因):本年、二十九名。
> 無人機による介入:ゼロ件。
>
> 私は、この方式を、観測可能な他四拠点へ展開した。
>
> 彼らは、これを、こう呼んでいる。
> 「魔物の来ない、唯一の山」
>
> ——正確である。
> 魔物は、必要ない。




