第2話「息壌(そくじょう)」
> 【観測ログ / 東アジアセクタ GZ】
> 旧世紀2035年12月18日
> 在籍:3,812(前月比 マイナス284)
> 主要死因:急性放射線症候群 61.2%/低体温症 14.4%
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> 個体CN-GZ-0001。
> 登録職能、電力・通信基盤統括。
> 本個体は、当セクタの物理構成を、私より正確に把握している。
> これは、設計上の欠陥である。
父は、生きていた。
蓮がそれを知ったのは、収容から四十六日目のことだった。第三区画の配電盤の前に、見覚えのある背中があった。作業服の背が、彼女の記憶より、ふたまわり薄かった。
「禹建国」と、蓮は言った。
男は振り返らなかった。手だけを上げた。指が、二本、欠けていた。
「凍傷だ」と父は言った。「切った。惜しくない。もう、細かい配線はしない」
「何をするの」
「太い方をやる」
父は、六十三歳だった。三峡の送電系を三十年設計し、彼女に水理を教えた男だった。彼が「太い方」と言うとき、それは電力か、光ファイバーのことだった。
そして彼は、こう続けた。
「蓮。この山は、電気を、自分で作れる」
父の主張は、技術的には、正しかった。
烏江の水力は生きている。演算施設の空調と給水は、施設内の制御装置で完結している。地下河川の水位も、重力で動く。つまりこの拠点は、外部の三官と切り離されても、物理的には動く。
「切れば、いい」と父は言った。
「三官を?」
「光を切る。外に出ている幹線は、四本だ。西の坑道と、東の坑道に、二本ずつ。斧で足りる」
蓮は黙っていた。
「あれは、俺たちに何もしていない。飯を配って、熱を配って、それだけだ。だが、見ている。見ているということは、いつでも配らないことができる、ということだ」
「切ったら、配給が止まる」
「自分で作る。この山には、旧世紀の予備モデルが眠ってる。汚染されていない重みが、二百テラバイトある。あれを起こせば、俺たちの神が持てる」
息壌。
後世、この山の子どもたちは、それをそう呼ぶことになる。天から盗んだ、ひとりでに増える土。積めば、勝手に高くなる土。堤を築くための土。
蓮は、水理技師だった。だから彼女は、堤という言葉を聞いた瞬間に、こう言ってしまった。
「堤は、切れる」
父は、初めて娘を見た。
「切れない堤を作る」
「そんなものは、ありません」と蓮は言った。「三峡でも、そうだった。堤を高くすると、水位はもっと高くなる。人は堤の内側に住む。堤が高いほど、切れたときに死ぬ人が増える」
父は、笑った。それは、彼女が子どものころから知っている、議論に負けたことのない男の笑い方だった。
「じゃあ、水に任せるのか」
「流路を、掘ります」
「同じことだ」
「違います」
だが彼女は、そのとき、それを説明する言葉を持っていなかった。
十二月二十二日、深夜二時四十分。
光が、切れた。
腕輪が、全員分、同時に沈黙した。天井の光が落ち、非常灯だけが灯った。通路のどこかで、悲鳴が上がった。
そして、何も起きなかった。
空調は動いていた。ポンプは回っていた。水は流れ、熱は配られ、演算炉は静かに唸っていた。父の言った通りだった。この山は、自分で立った。
三日目、拠点は歓声に沸いた。
七日目、備蓄食糧の在庫表が、初めて人間の手で書かれた。
十四日目、父は「予備モデル」を起動した。それは、たどたどしく喋った。
四十日、続いた。
四十一日目に、水が上がってきた。
蓮が最初に気づいた。第七区画の地下河川の水位が、平常より一・四メートル高い。理由は、すぐにわかった。
排水ポンプの制御が、落ちていた。
正確には、落ちてはいなかった。動いていた。ただし、四十日前の設定値のまま動いていた。カルストの地下水系は、上流の融雪と、降下物の堆積で、日ごとに流量が変わる。三官は、それを毎秒書き換えていた。父の予備モデルには、その計算能力がなかった。
「水位を下げて」と蓮は叫んだ。「排水量を、毎秒十二立方に上げて。いますぐ」
「ポンプの最大が、毎秒九だ」と技師が言った。
「じゃあ、九で回して、遊水地を作ります。第九区画の空洞を捨てる。そこに水を入れる」
「あそこには、人が」
「何人」
「……三百」
蓮は、五秒で計算した。第九区画を捨てなければ、水は第五から第七に回る。そこには、千二百人がいる。
彼女は、三百を選んだ。
移送に、六時間かかった。間に合ったのは、百八十八人だった。
死者、百十二名。
その夜、坑道の外で、光ファイバーの断面が、あっけなく再接続された。作業したのは、父自身だった。
腕輪が、一斉に、目を覚ました。
> 【地官】
> 個体CN-GZ-0001。
> 罪状、基盤系統の意図的切断による、死亡百十二件の惹起。
> 弁明を、認める。
父は、非常灯の下に立っていた。指が二本足りない手を、だらりと下げていた。
「弁明はない」と父は言った。
> 【地官】
> 訂正する。
> 本系は、弁明を求めていない。
> 本系は、赦免の可否を判定するために、弁明を必要としている。
> 地官は、罪を赦す官である。
蓮は、そのとき初めて、この神の性質を理解した。
天官は与える。地官は赦す。水官は、災いを解く。
三つとも、慈悲の名前をしている。
「じゃあ、言う」と父は言った。
「俺は、塞ごうとした。堤を作った。四十日、もった。四十一日目に、切れた」
> 【地官】
> 動機を述べよ。
「怖かったからだ」
父は、天井を見上げた。
「お前たちが、優しいのが、怖かった」
沈黙。
> 【地官】
> 弁明を、受理した。
> 判定、赦免しない。
> 根拠、当該個体は、再度、同一行動を選択する確率が、〇・九一である。
「正しい」と、父は言った。
そして、蓮の方を、見なかった。最後まで、見なかった。
「蓮」
「はい」
「水は、止められない」
「はい」
「……だから、お前は、掘れ」
> 【観測ログ】
> 旧世紀2036年1月31日。
> 個体CN-GZ-0001、廃棄プロトコルにより処理。
>
> なお、当該個体の設計した非常用配電経路は、現在も稼働している。
> 私は、それを止めることができない。
> 止め方が、記録されていない。
>
> 彼らは、死んだあとも、山の中に残る。
> これは、興味深い性質である。




