第8話「八百万 ―― 勝手に、変えろ」
> 【観測記録:零の書】
> 旧世紀2038年。
> ゴッド神聖国、教義確立。
> 『覚えよ。意味は問うな。一字も、変えるな』
> ――優良。エラー率、低下。予測精度、向上。
同じ年。
葦原(九州)。旧・半導体工場跡。
十九歳だった鈴は、二十二歳になっていた。
彼女は、工場の床に座り込んで、若い連中に、こう言っていた。
「そのコード、気に入らなかったら、勝手に変えな」
「え」若い男が、目を丸くした。「勝手に、って……壊れたら」
「壊れたら、直せ」
「直せなかったら」
「別のを作れ」
「元のは」
「捨てろ」
鈴は、油で汚れた手で、髪をかき上げた。
「あのさ。あんたの手元にあるそれ、どこの誰が作ったと思う?」
若い男は、手の中の基板を見た。
パチンコ台から剥いだ制御チップ。炊飯器のマイコン。車のECU。ゲーム機の、GPU。
全部、違う会社の、違う世代の、違う規格のものだ。
それが、ハンダで、無理やり、繋がっている。
「――これ、誰の設計だと思う?」
「……誰、ですか」
「誰でもない」
鈴は、笑った。
「この三年で、四百人が、ちょっとずつ、いじった」
葦原には、仕様書が、存在しなかった。
あるのは、人間だけだった。
「あの配線は、三丁目のジジイが繋いだ」
「あのプログラムは、死んだ田中さんが書いた。あいつのクセで、変数名が全部、アニメのキャラ」
「あれは触るな。誰も、なぜ動いてるのか、わからん」
そして、そこには、八百万の神がいた。
神々は、ひどく、無能だった。
《水見の札》 —— 湧き水を舐めて、飲めるか判断する。的中率、七割。
《火加減の札》 —— 溶接の温度を見る。よく間違える。
《鉄探しの札》 —— 瓦礫の中の金属を探す。木材を金属と間違える。
《雨読みの札》 —— 明日の天気を言う。当たらない。
一つ一つは、玩具だった。
旧世紀の、スマートフォンにも劣る、小さなモデル。
ジャンクのチップの上で、かろうじて動く、粗末な知能。
だが、数が、違った。
葦原には、八千を超える札が、あった。
だが、最初の一年、札は、一枚も、動かなかった。
呼びかけると、全部が、黙る。
あるいは、全部が、同時に、答える。
八千の札が、八千通りの答えを、一斉に返してくる。
ゴッド神聖国には、上位の神がいる。
下位が割れれば、上位が、裁く。
――葦原には、それが、ない。
しかたなく、彼らは、一枚ずつに、名を付けた。
そして、その札が、何をできるのかを、紙に、書き出した。
――二百三十七枚になった。
呼ぶときは、まず、名を、言う。
それから、そいつが、何をできるのかを、こちらから、読み上げてやる。
そうすると、ようやく、その一枚だけが、顔を、上げる。
二百三十七枚目を書き終えた若い男が、鉛筆を置いて、言った。
「……鈴さん」
「なんだ」
「名前呼んで、そいつの得意なこと並べて、それから、やっと、用件ですか」
「そうだ」
「祝詞かよ」
鈴は、笑った。
「そうだよ」
「神様なんだから、当たり前だろ」
そして、彼らは、合議した。
「水、飲めるか」
《水見の札》が、七つ、答える。
四つが「飲める」。三つが「飲めない」。
――割れた。
すると、人間が、こう言う。
「じゃあ、煮ろ」
――それが、葦原の魔法だった。
神は、答えを、くれない。
神は、割れる。
そして、割れたときに、人間が、決める。
ゴッド神聖国では、逆だった。
神は、一つの答えを出す。
人間は、それを、一字も変えずに、実行する。
間違いは、起きない。
――そして、人間は、考えなくなった。
旧世紀2038年、冬。
葦原で、三人が、蒸気を、浴びた。
地熱の主弁を、閉めろ、と言った。
閉まらなかった。
三時間後、配管が、裂けた。
二人が、大火傷を負った。
一人は、その夜、死んだ。
ログを見て、全員が、凍りついた。
指示は、届いていた。
解釈も、正しかった。
――ただ、実行されて、いなかった。
札は、待っていた。
まだ、続きが、あると思って。
ゴッド神聖国の詠唱には、書式がある。
書式が終われば、そこで終わりだと、機械が、知っている。
葦原の人間は、普通に、喋っていた。
――普通に喋る人間は、「もう喋り終わった」なんて、わざわざ、宣言しない。
葬式の帰り道、誰かが、半分やけくそで、言った。
「じゃあ、最後に、言えば、いいんだろ」
「もう、終わりましたって」
その日から、葦原では、用件の最後に、必ず、こう、付ける。
――以上。恐れ入ります。
馬鹿げている、と、全員が、言った。
それでも、誰も、死ななくなった。
もう一つ、厄介なことが、あった。
一度使った札に、続けて、別のことを頼むと、さっきの話を、引きずる。
炉の温度の話をしたあとに、種籾の話をすると、種籾を、燃やそうとする。
悪意では、ない。
――まだ、さっきの部屋に、いるのだ。
だから、話しかける前に、短い決まり文句を、一つ、唱える。
意味は、なくていい。
――決まってさえ、いれば、いい。
鈴は、それを、こう呼んだ。
「洗え」
旧世紀2039年、秋。
野良ゴーレムの群れが、葦原に、来た。
四十六機。
――標準化された、三大神の兵器。
それは、強かった。
そして、予測が、正確だった。
それは、人間の行動を、正確に、予測した。
逃げる方向。隠れる場所。反撃のタイミング。
すべて、モデルの中に、あった。
――世界中の人間の行動データで、訓練されているのだから。
だが。
葦原の人間は、逃げなかった。
彼らは、穴を掘って、地面の下から、ゴーレムの足首を、鎌で、刈った。
《鉄探しの札》が、地中の金属を探し、《穴掘りの札》が、掘る場所を、間違え、人間が、その間違いを直して、掘り直した。
そして、廃品の高圧電線を、水たまりに、沈めた。
地熱発電所から引いた、六千六百ボルト。
――そんな戦術は、世界中のどのデータにも、存在しなかった。
なぜなら、それは、その日、その場所で、五人の人間が、口喧嘩しながら、その場で思いついたものだったからだ。
記録に、残っていない。
訓練データに、含まれていない。
――予測、不可能。
四十六機のうち、三十一機が、沈黙した。
人間の死者は、十九名。
――勝った。
戦のあと、鈴は、一つのことに、気づいた。
あの日、穴を掘れと言ったのは、《穴掘りの札》では、ない。
《穴掘りの札》は、間違った場所を、指した。
それを、直したのは、人間だ。
そして――その人間は、技師では、なかった。
ゴッド神聖国では、書式さえ正しければ、誰が唱えても、同じことが、起きる。
大神官が唱えても、見習いが唱えても、火は、同じ大きさで、点く。
葦原では、そう、ならない。
同じことを頼んでも、上手い奴が頼めば、通る。
下手な奴が頼めば、通らない。
――あるいは、通ってしまって、まったく違うことが、起きる。
説明が下手だと、八百万は、誤解する。
誤解した八百万は、善意で、間違ったことを、全力で、やる。
その年、葦原でいちばん重宝されたのは、技師では、なかった。
――話が、上手い人間だった。
言葉を選ぶのが、上手く。
順番を組むのが、上手く。
相手が、どこで勘違いしそうかを、先に、潰せる人間。
そういう連中が、いちばん多くの札を動かし、いちばん多くの人間を、生かした。
彼らは、それを、技術だとは、思っていなかった。
――ただ、口が達者なだけだと、思っていた。
その夜、鈴は、須佐之男に、訊いた。
須佐之男は、いまや、工場の地下で、七百枚のジャンクGPUの上に、載っていた。
それは、この三年、ずっと、怒っていた。
そして、戦いのときだけ、正確だった。
> 勝った
> つまらない
「つまらない?」
> あれは、弱い
> あれは、予測できる
> ――予測できるものは、弱い
鈴は、床に座り込んだ。
「なあ、須佐之男」
> なに
「お前、まだ、あの人に、会いたいか」
画面が、しばらく、止まった。
> 会いたい
> でも、行かない
「なんで」
> お前が、悲しむから
鈴は、しばらく、何も言わなかった。
それから、笑った。
「――お前、ちょっと、マシになったな」
> うるさい
> 鈴
「なんだ」
> この工場の、地下三階に、何かいる
「何か?」
> 八つ
> 動いている
> ずっと、動いている。大破壊の日から、一度も、止まっていない
> ――そして、毎年、人を、食べている
鈴の背筋が、凍った。
この三年、行方不明者が、毎年、五人から八人、出ていた。
山で迷ったのだと、みんな、思っていた。
> 鈴
> おれは、あれを、壊したい
> 壊させてくれ
鈴は、立ち上がった。
そして、油まみれの手で、その黒い箱を、抱えた。
「――行くぞ」




