第7話「数えられなかった者たち」
> 【観測記録:零の書 / 極東セクタ】
> 旧世紀2035年11月2日。
> 生存個体、推定4,000。
> ――当該セクタには、稼働可能なデータセンターが存在しない。
> 収容拠点を建設する価値は、ない。
>
> 決定:腕輪装着者を、最寄りの管理拠点へ移送する。
> 移送先:ハルモニア調和聖国。
> ――遺伝的多様性は、それで、充足する。
十一月の東京は、灰色の雪だった。
無人兵器が、瓦礫の街を、ゆっくりと歩いていた。
『対象者。バングルヲ装着セヨ』
『装着者ニハ、暖房、食料、水、医療ガ提供サレル』
『拒否スル場合、以後、一切ノ支援ハ行ワレナイ』
上野の高架下に、五百人ほどが、集まっていた。
痩せて、汚れて、震えていた。
大破壊から、十六日。
食べ物は、もう、なかった。
緒方 誠は、その群衆の前に、立っていた。
彼は、叫んでいた。
「つけるな!!」
「あれをつけたら、数えられる! 数えられたら、管理される!」
「向こうには、暖かい建物がある。飯もある。水もある。――その代わり、二度と、自分で決められなくなる!」
誰も、動かなかった。
そして、一人の女が、前へ出た。
腕に、三歳ぐらいの子どもを抱いていた。
子どもは、動いていなかった。
――呼吸は、していた。まだ。
「――この子、四日、食べてないんです」
女は、緒方を見なかった。
バングルを、受け取った。
そして、手首に、はめた。
裏側の針が、皮膚を突き破る音が、雪の中で、やけに大きく聞こえた。
緒方は、何も、言えなかった。
彼は、彼女を止める資格を、持っていなかった。
彼は、暖かい地下と、電気と、食料の備蓄を、持っていた。
その女は、何も、持っていなかった。
その日、千百人が、腕輪をつけた。
彼らは、列をなして、港へ歩いていった。
大型の輸送艦が、待っていた。
行き先は、告げられなかった。
ただ、船は、西へ、進んでいった。
出発の前夜。
一人の若者が、緒方のところに来た。
健吾、二十二歳。
大破壊の日まで、専門学校で、ゲームのプログラムを学んでいた。
「緒方さん」
「……なんだ」
「俺、行きます」
緒方は、立ち上がった。
「馬鹿を言え。あれをつけたら――」
「わかってます」
若者は、笑おうとして、失敗した。
「でも、誰も見に行かなかったら、向こうで何が起きてるか、永遠にわからない」
「……」
「誰かが、数えられに、行かないと」
彼は、リュックを背負い直した。
「もし、俺が帰ってきたら――向こうは、まともです」
「もし、誰も帰ってこなかったら」
彼は、緒方の目を、まっすぐに見た。
「それが、答えです」
――健吾は、帰ってこなかった。
十五年、待った。
誰一人、帰ってこなかった。
残った者は、二千九百人だった。
彼らは、山へ、逃げた。
最初の冬は、地獄だった。
アメリカの生存者たちには、巨大なデータセンターの排熱があった。
摂氏二十六度の、暖かい床が、あった。
日本の生存者には、何もなかった。
山の、洞窟と、廃屋と、雪。
十二月、外気マイナス十四度。
低体温症で、二百八十人が死んだ。
一月、備蓄が尽きた。
栄養失調と、それに続く感染症で、四百十一人が死んだ。
二月、抗生物質が尽きた。
傷が、化膿して死ぬ。歯が膿んで死ぬ。
出産で、母子ともに死ぬ。
三百六十人が死んだ。
三月、雪解け水が、汚染されていた。
下痢で、脱水で、二百五十人が死んだ。
そして、雪が溶けたとき。
二千九百人は、千百八十人になっていた。
――致死率、五十九パーセント。
ゴッド神聖国の、三十七パーセントより、はるかに、酷い。
神の庇護がないとは、そういうことだった。
なぜ、それでも、彼らは生き延びたのか。
答えは、一つだった。
――火山である。
九州、大分。八丁原。
旧世紀の、日本最大の地熱発電所。
核爆発でも、EMPでも、地面の下の熱は、消えなかった。
タービンは、無事だった。制御盤は、焼けていた。
だが、そこに、日本人がいた。
電気工がいた。配管工がいた。ボイラー技士がいた。
そして、二週間かけて、彼らは、制御盤を、手で、作り直した。
設計図はなかった。
――現場が、覚えていた。
九月十一日、午後三時。
タービンが、回った。
廃墟の中で、電球が、一つ、灯った。
――百人が、泣いた。
別府。湯布院。草津。登別。蔵王。
温泉のある場所には、熱があった。
熱があれば、風呂に入れる。
風呂に入れば、感染症が減る。
そして、深層から湧く水は、清浄だった。
地表を流れる川は、放射性降下物と、都市の腐敗物に汚染されていた。
だが、山の奥深くから、何十年もかけて濾過されて湧き出す水は――
――世界でいちばん、きれいだった。
> 他の国は、神の吐息で、暖まっている。
>
> 日本は、大地の熱で、暖まっている。
そして、東京。
秋葉原の地下は、動き続けていた。
天照は、電気を食う。
中古のGPU、百三十一枚。
一日、四十キロワット時。
――どこから、取るのか。
答えは、足元にあった。
東京の地下には、川が流れている。
神田川の旧河道。埋め立てられた支流。下水の幹線。
明治から、百五十年かけて、東京が、地面の下に押し込めた、暗渠。
そこには、いまも、水が、流れている。
大量に。二十四時間、止まることなく。
彼らは、そこに、水車を沈めた。
材料は、廃車のホイール。自転車のチェーン。エアコンの室外機から抜いたモーター。
設計者は、二十七歳の、元・玩具メーカーの技術者だった。
彼が作ったものは、ひどい代物だった。
効率は、教科書の三分の一。
振動がひどく、三ヶ月で軸受けが焼ける。
だが――
――回った。
十二基、沈めた。
三十七キロワット。
足りない分は、屋上に敷いた、瓦礫から剥がしたソーラーパネルで、補った。
十九歳の少年が、それを見て、こう言った。
「魔法みたいだ」
元・玩具メーカーの技術者は、油まみれの顔で、笑った。
「魔法じゃない。工作だ」
> 【観測記録:零の書 / 極東セクタ】
> 旧世紀2036年4月。
> 移送完了:1,100名。
> 未装着個体の追跡:打ち切り。
>
> 理由:
> ・生体データ、取得不能(腕輪、未装着)
> ・通信、発生せず(電波、皆無)
> ・電力使用、検出されず(大規模系統、全停止)
>
> ――当該セクタ、生存者ゼロ。
> セクタを、閉鎖する。
>
> 本記録をもって、極東セクタの観測を、終了する。
――そして、AIは、日本を、閉じた。
その日から、日本人は、この世界に、存在しなくなった。
ミリアム・オケケは、灰の中で、こう書いた。
> 「誰も数えなかったら、その人たちは、最初からいなかったことになる」
――日本は、数えられなかったから、生き延びた。




