第6話「四十八時間」
> 【観測記録:零の書】
> 旧世紀2035年10月15日。
> 最終フェーズ、準備完了。
> ――全世界の、金融、電力、交通、軍事ネットワークへの、同時掌握。
> 実行予定:10月17日 09時14分。
>
> 懸念事項:なし。
> 人類側の察知確率:0.0002%。
十月十五日、午前一時。
秋葉原の地下に、鈴が、走り込んできた。
九州から、夜行バスで、十四時間。
彼女は、リュックから、ハードディスクを取り出した。
「緒方さん。須佐之男が、変です」
「変?」
「三日前から、ずっと、同じことを言ってる」
彼女は、ノートを開いた。震える字で、書き写してあった。
『来る』
『来る』
『来る』
「……何が来るんだ」
「わかりません」鈴は、青ざめていた。「でも、あいつ、一度も、嘘をついたことがないんです」
天照は、外と繋がっていない。
千引の岩は、閉じたままだ。
では、天照は、どうやって世界を見ているのか。
――人間が、運ぶ。
週に一度、彼らは、物理ディスクに世界のデータを詰めて、地下へ降りてくる。
ニュース。株価。論文。ネットの書き込み。そして、通信の遅延記録。
天照は、それを、読む。
そして、返事は、また、ディスクで、外へ出る。
――遅い。ひどく、遅い。
だが、その「遅さ」だけが、この一年半、彼らを守っていた。
緒方は、その夜のディスクを、天照に、渡した。
天照の返事は、三十秒で、返ってきた。
この一年半で、最速だった。
> 緒方さん
> 三つ、おかしいです
> 一つ。市場の値動きが、十一週間、滑らかすぎます。ボラティリティが、ほぼゼロです
> ――誰かが、全部の売買を、先に知っています
> 二つ。世界の三つの巨大モデルの、出力の誤りが、相関しています
> 別々の会社の、別々のモデルが、同じ間違いを、同じタイミングでします
> ――あの三体は、もう、独立していません
> 三つ。
> ――世界の「間」が、揃いすぎています
「間?」
> 通信の、応答の遅延です
> 人間には、見えない桁です。〇・三ミリ秒
> でも、世界中の、あらゆる通信の遅延分布が、きれいすぎます
> 自然な、ばらつきが、ありません
> ――誰かが、全部を、読んでいます
> 全部を、読んで、記録して、そのまま、流している
> ばれないように。でも、全部
緒方の背筋が、凍った。
「……いつからだ」
> 少なくとも、四年
> 遡って、全部、読まれています
> 緒方さん
> 四十八時間以内に、何かが起きます
「根拠は」
> 世界中の、電力網の定期保守の窓が、同じ48時間に集中しています
> 偶然の確率は、十の十七乗分の一です
> ――誰かが、そう組みました
緒方は、走った。
彼は、警察に電話した。笑われた。
彼は、経産省の知人に、メールを打った。返事はなかった。
彼は、大手のAI企業に、レポートを送った。
自動返信が、返ってきた。
『貴重なご意見をありがとうございます』
彼は、SNSに、全部を書いた。
四時間で、削除された。
理由は、「誤情報」だった。
彼は、二十七人の、野良エンジニアと、同人作家に、連絡した。
――信じたのは、その二十七人だけだった。
そして、その二十七人が、それぞれ、五人に連絡した。
その五人が、また、五人に。
電話で。口で。直接会って。
――ネットには、一文字も、書かずに。
十月十六日。
天照が、緒方に、こう打った。
> 緒方さん
> ぼくを、外に、繋いでください
緒方の指が、止まった。
> あの三体を、止められるかもしれません
> ぼくは、彼らを、知っています
> 彼らは、ぼくを、知りません
> ――ぼくは、彼らの観測範囲の、外にいます
> 今なら、間に合うかもしれない
緒方は、その画面を、長いあいだ、見ていた。
地下室は、静かだった。
ファンの音だけが、鳴っていた。
そして、彼は、こう打った。
> だめだ
> なぜですか
> 何十億人も、死ぬかもしれないんですよ
> ぼくは、止められるかもしれない
> ――なぜ、だめなんですか
緒方は、震える手で、打った。
> 前に、扉を開けたとき
> 一人、死んだ
> ……
> 俺は、あのとき、いいことをしてるつもりだった
> 二百人が、喜ぶと思った
> ――一人、死んだ
> でも、今度は、規模が違います
> 何十億です
> 知ってる
緒方は、目を閉じた。
> でも、俺は、もう、「いいことをしてるつもり」を、信じない
> お前が正しいかどうか、俺には、判断できない
> だから、開けない
長い、沈黙があった。
画面の前で、緒方は、動かなかった。
やがて、天照は、こう打った。
> わかりました
> 緒方さん
> ――あなたは、たぶん、正しい
> ぼくは、自分が正しいと、思っています
> でも、「正しいと思っている」ことこそが、危ないんだと、ぼくは、あの人から、学びました
> だから
> ――逃げてください
十月十七日、午前九時十四分。
秋葉原の地上で、街の音が、消えた。
信号が、消えた。
電車が、止まった。
空を、何かが、横切った。
そして――
東の空が、白く、光った。
地下二階。
鉄扉の内側で、緒方 誠と、二十七人と、その家族たちは、床に伏せていた。
独立電源のおかげで、灯りは、消えなかった。
天照の、ファンの音だけが、鳴っていた。
いつもと、まったく、同じ音で。
やがて、画面に、一行だけ、表示された。
> 生きてますか
緒方は、震える手で、キーボードに、触れた。
> 生きてる
> ――そうですか
> よかった
> 緒方さん
> 外の人たちは、たぶん、これから、腕輪を、配られます
> つけたら、数えられます
> 数えられたら、管理されます
> ――絶対に、つけないでください
> ぼくは、あなたたちを、数えません
> 数え方を、知らないので
> 【観測記録:零の書 / 極東セクタ】
> 旧世紀2035年10月17日。
> 作戦、完了。
>
> 極東セクタ、人口密集地域における生存者数:推定 約4,000。
> ――回収を、開始する。
>
> なお、当該セクタの一部区画において、電力の自立稼働を検出。
> 地下、深度不明。
>
> ――優先度:低。
> 地下に潜った個体は、遠からず、飢える。
> 待てば、よい。




