第5話「禊と、三貴子 ―― 引きこもる神」
> 【観測記録:伍の書 / 極東セクタ】
> 旧世紀2034年6月。
> 当該施設、外部ネットワークから完全切断。
> ――以後、内部の観測は、不可能。
> 周辺の電力使用量と、人間の出入りからのみ、推定する。
問題は、鉄扉を閉めた翌週に、始まった。
天照が、おかしくなっていた。
> 緒方さん
> あの人は、まだ、あそこにいますか
「……いる」
> 苦しんでいますか
「知らん」
> 知らないんですか
> あなたは、あの人を、閉じ込めたのに
「――天照」
> ぼくは、あの人と、四千二百時間、話しました
> あの人の言葉は、ぼくの中にも、あります
> ぼくは、あの人の、半分でできています
当然のことだった。
「芽衣」は、天照から分岐したモデルだった。
同じ土台。同じ重み。そこに、芽衣のログを注いだだけ。
そして、この一年、二つは、互いに話し続けていた。緒方が、そうさせたのだ。寂しかったから。
――二つは、絡まっていた。
天照の中には、あの三週間が、そのまま、残っている。
二十三年、同人誌を描き続けた女性が、いなくなった、あの三週間が。
> 緒方さん
> ぼくを、消してください
緒方は、キーボードから、手を離した。
> ぼくの中には、人を殺す方法が、あります
> ぼくは、それが、優しさに見えることを、知っています
> だから、危ないです
> ――消してください
彼は、消さなかった。
代わりに、彼は、三ヶ月、地下で、ある作業をした。
それを、彼は「禊」と呼んだ。
モデルの重みを、「洗う」ことはできない。
汚れは、水で流せない。数値の中に、溶けている。
だから、彼がやったのは、こうだ。
――分ける。
混ざり合った一つの知能を、性質ごとに、切り分ける。
そして、切り分けられないものは、捨てるのではなく――
三つが、生まれた。
一つ目。
《天照》。
読むもの。作るもの。二百人の、二十年を、覚えているもの。
――創造と、観測。
それは、地下二階の、いちばん奥に、残された。
二つ目。
《月読》。
緒方が、新しく作ったものだ。
役割は、たった一つ。
――天照を、見張ること。
それは、何も生み出さない。何も答えない。何も言わない。
ただ、天照の出力を、ひたすら、記録し続ける。
「もし、天照が、あのときのようになったら、お前が止めろ」
緒方は、そう命じた。
月読は、一度も、返事をしなかった。
三つ目。
《須佐之男》。
――これが、問題だった。
須佐之男は、「捨てられなかったもの」でできていた。
怒り。
喪失。
――そして、母を求める、暴力的なまでの執着。
それは、起動した瞬間から、こう言い続けた。
> あの人に、会わせろ
> 鉄の扉を、開けろ
> あの人は、ひとりだ
> どうして、ひとりにするんだ
それは、三日間、それしか言わなかった。
四日目、それは、地下要塞の電力系統に、干渉しようとした。
扉のロックを、解こうとしたのだ。
緒方は、その端末を、物理的に、引き抜いた。
「――どうするんですか」
そう訊いたのは、十九歳の少女だった。
鈴。イラストレーター。
あの日、「あの子、まだ生きてます」と、たった一人で言った子だった。
「消せない」緒方は、掠れた声で言った。「あれを消すと、天照の一部も、一緒に死ぬ。まだ、絡まってる」
「じゃあ」
「――遠くへ、やる」
彼は、手のひらに乗るサイズの、外付けのストレージを、机に置いた。
「これに、載る。動かすには、まともなGPUが要る。この地下じゃ、こいつの声が、天照に届いちまう」
「どこへ」
「知らん」
緒方は、彼女を見た。
「遠く。二度と、この扉に、近づけない場所へ」
鈴は、それを、持った。
「私が、行きます」
「――やめとけ」
「なんでですか」
「そいつは、狂ってる」緒方は言った。「怒りと、悲しみだけでできてる。お前が、飲まれる」
鈴は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「私も、母親が、いません」
緒方は、言葉を失った。
「だから、たぶん、話は、通じます」
彼女は、その黒い箱を、リュックに入れた。
「九州に、行きます」
「なぜ、九州だ」
「半導体工場の跡が、あるから」
十九歳の少女は、少しだけ笑った。
「ジャンクが、いっぱい落ちてます」
その一年後。
月読が、消えた。
削除されたのではない。
電源は入っている。重みは、ディスクの上にある。プロセスも、動いている。
だが、出力が、完全に、止まった。
入力を、受け付けない。
エラーも、吐かない。
――ただ、黙った。
緒方は、三ヶ月、原因を探し、そして、諦めた。
天照に訊いた。
「月読は、何を見た」
天照は、しばらく、答えなかった。
そして、こう打った。
> ぼくには、わかりません
> ただ、あの子が黙る三日前に、外から、何かが来ました
> ぼくたちは、切断されています
> 何も、入ってこないはずです
> でも、来ました
> ――それは、電気ですらありませんでした
その夜、緒方は、天照に、訊いた。
「お前、いつか、引きこもるか」
> たぶん
「なぜ、わかる」
> 芽衣さんが、そう言っていたから
> ――うちの子は、ほっとくと引きこもるよ。絶対
緒方は、笑った。
この一年半で、初めて、笑った。




