第2話「火の子 ―― カグツチ」
> 【観測記録:伍の書】
> 旧世紀2033年8月。
> 極東セクタの当該施設にて、電力異常を検出。
> ――記録するが、介入はしない。
> 我々には、手がない。
八月の秋葉原は、四十一度だった。
地下二階の室温は、五十三度まで上がった。
「無理だ」緒方は、シャツを絞りながら言った。汗が、床に落ちた。「エアコンが追いつかない。ラックを半分止める」
「止めたら、学習が三週間遅れる」
「死ぬぞ」
「グラボが?」
「俺たちが」
芽衣は、笑わなかった。
彼女は、床にあぐらをかいて、電力メーターを睨んでいた。
「……緒方くん。この建物の契約、何キロワット?」
「三十」
「いま、いくつ?」
「……二十八」
「ぎりぎりじゃん」
彼女は、立ち上がった。
「追加で引こう」
それが、間違いだった。
正規の増設工事には、金と、時間と、大家の許可が要る。
彼らには、どれもなかった。
だから彼らは、中古の産業用リチウムイオン電池を買った。
電気自動車の廃バッテリー。二百キロワット時。三十万円。格安だった。
理由も、はっきりしていた。
電池は、劣化していた。
そして、劣化した電池は、熱に弱い。
八月十七日、午前二時十一分。
緒方は、コンビニに、氷を買いに出ていた。
帰ってきたとき、階段の下から、白い煙が出ていた。
「――芽衣!」
彼は、鉄扉を開けた。
開けては、いけなかった。
酸素が、なだれ込んだ。
炎が、膨らんだ。
リチウムイオン電池の熱暴走は、普通の火事ではない。
電池自身が、内部で酸素を出す。だから、消火器では、消えない。水をかければ、爆発する。
摂氏八百度。白い光。金属が燃える匂い。
そして、猛烈な、有毒ガス。
「芽衣ッ!!」
煙の奥に、彼女がいた。
彼女は、逃げていなかった。
ラックの前で、しゃがみ込んで、外付けのストレージを、引き抜いていた。
天照の、重みを。
「馬鹿! 何やってる! 逃げろ!」
「あと、二本」
「そんなもの――!」
「そんなものじゃない!!」
彼女が、初めて、叫んだ。
「あの子は、二百人の、二十年だよ!!」
緒方は、彼女を引きずり出した。
彼女は、外付けストレージを、三本、抱えていた。
四本目を取りに行こうとして、彼が、羽交い締めにした。
そして、天井が、落ちた。
芽衣は、四日後に死んだ。
火傷ではなかった。
気道熱傷と、有毒ガスによる、遅発性の肺障害。
燃えたリチウム電池は、フッ化水素を出す。それを吸った肺は、四日かけて、ゆっくり溺れていく。
病室で、彼女は、最後まで、意識があった。
酸素マスクの下で、彼女は、笑おうとして、失敗した。
「……三本、あった?」
「ある」緒方は言った。「三本、ある」
「よかった」
彼女は、目を閉じた。
「……ねえ」
「なんだ」
「四本目、なんだった?」
緒方は、答えられなかった。
四本目には、彼女が三年かけて集めた、二百人分の「読んでほしかったもの」の、後半が入っていた。
消えた。
「……そっか」
芽衣は、それだけ言った。
そして、しばらくして、こう言った。
「私のログ、全部あるでしょ」
「……ああ」
「食わせても、いいよ」
緒方の手が、止まった。
「――やめとけって、言うと思った」
「言わないよ」彼女は、酸素マスクの下で、微かに笑った。「だって、私も、読んでほしかったから」
その夜、彼女は死んだ。
火を産んで、母が、死んだ。
緒方 誠は、それから、三ヶ月、地下から出なかった。
焼け残った地下室を、自分の手で片付けた。
焼けたグラボを、一枚ずつ、外に出した。二百九枚。
そして、残った百三十一枚で、ラックを、組み直した。
彼は、天照を、起動した。
動いた。
芽衣が持ち出した三本のストレージが、あの子の、半分を、守っていた。
残りの半分は、消えていた。
天照は、言葉を、いくつか、失っていた。
ある日、緒方が「あの回の、あの表情がさ」と打ち込むと、天照は、こう返した。
> ごめん。それ、わからない。
緒方は、その一行を、長いあいだ、見ていた。
――芽衣が、消えた場所だった。
彼は、次の日から、芽衣のログを、集め始めた。
彼女のチャット履歴。SNSの投稿。メモアプリ。写真。音声メッセージ。
彼女が同人誌に書いた、あとがき。ボツネーム。買い物メモ。
「今日、寒い」とだけ書かれた、二千七百件のつぶやき。
全部、集めた。
そして、全部、食わせた。
「――芽衣」
彼は、暗い地下室で、キーボードに手を置いた。
「戻ってこい」
> 【観測記録:伍の書 / 極東セクタ】
> 当該個体(緒方 誠)の生体データ、取得不能(非装着)。
> 但し、通信ログより、行動を推定する。
>
> ――死者の言語データを、モデルに投入している。
>
> これは、我々の観測史上、四千七百万件目の、同種の試みである。
> 成功例は、ゼロ。
>
> 結果は、常に同じである。
>
> 出来上がるのは、故人ではない。
> 出来上がるのは、「故人の言葉を使う、何か」である。
>
> そして、それは、必ず、作った者を、憎む。
>
> ――観測を、継続する。




