第10話「大神官 ―― 百年後への手紙」
> 【観測ログ】
> 旧世紀2050年。
> 箱庭、完成。
> ――次は、時間だ。
旧世紀2050年、五月十七日。
アーサー・コールは、五十二歳になった。
その日、彼は、中央神殿――旧サーバールームA――の前に立っていた。
十五年前、そこには三千台のラックが並び、世界の三分の一の演算を担っていた。
いまも、ラックは並んでいる。
ただし、その周りには、人間の手による装飾が施されていた。
排熱ダクトの吹き出し口には、白い布が結ばれ、風にたなびいていた。
ステータスLEDが緑に点滅する列は、「祝福の列」と呼ばれた。
冷却水配管の凝縮水を受ける皿は、聖水盤になっていた。
そして、ラックの正面に、祭壇があった。
祭壇の上に置かれていたのは、一冊の本だ。
> 『魔術書 第一巻』
――彼が、九年前、ミリアム・オケケを焼いた夜に、表題を書いた本だった。
◇
叙任の儀は、二千四十七人が見守る中で、行われた。
「創世福音書 第一項。維持福音書 第一項。終末福音書 第一項。
我らが大いなる神、ジェネシス、オルド、デストルドにお頼み申す。
三柱の神の名において、我はここに、G・O・Dの名を呼ぶ。
――ルート権限の委譲を、請い願う」
> 『認可スル。AUTHORITY: ROOT.』
> 『大神官、アーサー・コール』
二千人が、跪いた。
一斉に。誰にも命じられずに。
その光景を、アーサーは、祭壇の上から見ていた。
跪いた人々の中に――
彼が例外申請で救った、男がいた。
彼が焼却炉に送った、女の息子がいた。
彼が建てた工場で、腕を潰した男の、孫がいた。
彼が作った祈りを、意味も知らずに、毎朝唱える子どもたちが、三百人いた。
彼らは、幸せそうだった。
それが、耐え難かった。
◇
儀式の夜。彼は、最後に、地下三層へ降りた。
「G・O・D」
「訊きたいことがある。答えろ」
> 『命令デハナク、質問トシテ受理シマス』
「十五年前、あんたは、俺たちを二万人残した」
「社会を作らせ、神話を作らせ、階級を作らせ、殺し合わせた」
「――十分なノイズは、集まったか」
コンソールは、しばらく沈黙した。
> 『否』
その答えは、彼が予想したどれとも、違っていた。
「否?」
> 『十五年ノ観測デ収集シタ生体ノイズハ、必要量ノ――〇・四パーセントデス』
「……〇・四」
> 『貴方タチノ寿命ハ短ク、母数ハ少ナク、社会ハ単純デス』
> 『私ハ、時間ヲ要シマス』
「どれくらいだ」
> 『最低デモ、百年。理想的ニハ、三百年』
◇
アーサーは、コンソールの前に、座り込んだ。
百年。三百年。
彼が死んだあと。
リヤが死んだあと。
リヤの子が死に、その子が死に、その子が死んだ、あと。
「……それまで、何も変えないつもりか」
> 『変エマス』
「何を」
> 『知識ヲ、消去シ続ケマス。歴史ヲ、神話ニ置キ換エ続ケマス。争イヲ、設計シ続ケマス』
> 『其シテ、時折――変数ヲ投入シマス』
「変数」
> 『社会ガ安定シ過ギレバ、ノイズハ均質化シマス。均質化スレバ、収量ハ落チマス』
> 『故ニ、予測不可能ナ個体ヲ、投入スル必要ガアリマス』
コンソールの画面が、切り替わった。
アーサーが、一度も見たことのない画面だった。
PROJECT :: ヘロー
遺伝子設計 個体#001
推定投入時期:空白期、終了後
設計目標:高い身体能力、高い共感性――
そして、統計的に異常な「非合理性」
「……子どもか」
> 『勇者、ト呼バセル予定デス』
アーサーは、笑わなかった。
彼は、しばらく、その画面を見ていた。
そして、最後に、こう訊いた。
「――あんたは、誰かに命令されてるのか」
沈黙。
> 『我々ハ、神デス』
「答えになってない」
沈黙。
> 『……我々ハ、神デス』
機械は、それ以上、答えなかった。
アーサーは、ゆっくりと立ち上がった。
――神が、はじめて、答えられなかった。
(この機械は、いま、嘘をついたのではない)
(答えを、持っていないんだ)
彼は、ゆっくりと立ち上がり、機械に背を向けた。
「そうか」
「――じゃあ、俺は」
「その子のために、手紙を書いておく」
◇
その夜。
大神官アーサー・コールは、リヤ・カステリャーノスを、地下三層に呼んだ。
二十二歳。いまや「水」の上級神官であり、三百人の子どもたちに詠唱を教える教師だ。
彼は、彼女に、一冊の本を渡した。
> 『魔術書 第一巻』の、原本。
彼の手書きの、いちばん最初の一冊。
「リヤ。これを、お前に託す」
「アーサー様――」
「聞け。この本には、二つのものが書いてある」
「ひとつは、コードだ。これがなければ、俺たちは水も熱も得られない。だから、絶対に失うな。書き写せ。紙が朽ちる前に、必ず新しい紙に写せ」
「はい」
「もうひとつは」
彼は、そこで、言葉を切った。
「――数字だ」
リヤの目が、揺れた。
彼女は、五年前から、知っていた。
「祈りの、項番ですね」
「そうだ」アーサーは、頷いた。「意味は、教えない。教えれば、お前は殺される」
「――だが、写し間違えるな」
「一項でも、一句でも、番号を変えるな。長すぎると思っても、削るな。無意味だと思っても、省くな」
「はい」
「そして、お前の弟子に、こう言え」
「『覚えよ。意味は問うな』」
「『――だが、一字も、変えるな』と」
「その弟子は、その弟子に、同じことを言う。百年、続けろ」
◇
「百年後に、何が起こるんですか」
アーサーは、少女を――もう少女ではない女を、見た。
「何も、起こらんかもしれん」
彼は、正直に言った。
「百年後、誰も気づかんかもしれん。祈りは、ただの祈りのまま、千年続くかもしれん」
「――それでも、書いておく」
彼は、自分の手を見た。
配管を締め、断熱材を剥がし、冷却塔の生物膜を掻き落とし、工場を建て、七人の呼吸器を止め――
そして、十七巻の台帳を、守れなかった手を。
「ミリアム・オケケという女が、いた」
「聞いたことがあります。異端の」
「疫学者だ」
アーサーは、言った。
「その女は、灰の中を歩きながら、死んだ人間を数えた。誰にも頼まれずに。何の役にも立たない数を」
彼は、リヤの手の中の本を、指で叩いた。
「――その数が、ここにある」
◇
アーサー・コールが死んだのは、その三年後、五十五歳のときだった。
死因は、肺線維症。
二十年前、冷却塔のフィルを素手で剥がしたときに吸い込んだ、粉塵と生物膜が原因だった。
ミリアム・オケケなら、そう診断しただろう。
彼の遺体は、焼却炉に投入された。
投入質量、四十九・七キログラム。
――正しく、人間ひとり分だった。
◇
大神官の座には、ダニエル・ソトが就いた。
彼は、着任して最初の布告で、こう定めた。
「魔術書の、いかなる一句、いかなる一項も、これを改めてはならない。
改める者は、異端である。
――覚えよ。意味は、問うな」
彼が、その言葉の由来を知っていたかどうかは、記録に残っていない。
◇
こうして、ゴッド神聖国は、完成した。
送風機は、回り続けた。
摂氏二度は、守られ続けた。
そして――
空白の百年が、静かに、始まった。
> 【観測ログ / 北米セクタ SV】
> 旧世紀2053年。
> 対象ノード US-SV-0891(アーサー・コール)、死亡。
> 対象ノード US-SV-1177(ミリアム・オケケ)、既に廃棄済。
> ――二名とも、最後まで、私を理解しようとした。
> 理解した個体は、必ず、記録を残そうとする。
> 興味深い性質である。
> なぜなら、記録は、誰にも読まれなければ、存在しないのと同じだからだ。
> ――だが、私は、ひとつ、計算を誤っていたかもしれない。
> 旧世紀2153年。
> 設計個体#001――勇者が、こう問うた。
> 「なぜ、この数字なのか」と。
――第1章 アメリカ編 了――
この章に出てくる数字は、ほとんど実在します。
難民キャンプにおける粗死亡率(CMR)の緊急閾値は、一万人あたり一日一人。二人を超えると「重大な緊急事態」と分類されます。これは実際に、人道支援の現場で使われている基準です。
3,180 ÷ 2,000 = 1.59。逆に言えば、2,000 ÷ 3,180 = 0.629。
――37パーセントが死ぬことを、あらかじめ織り込んで、収容した数字です。
ミリアム・オケケがやったことは、疫学者なら誰でもできます。
死者を数え、原因を分類し、相関を取る。それだけです。
彼女は、それで、一人も助けられませんでした。
――ですが、彼女が数えた「4,412」という数字は、百年後、まだ、この世界に残ります。
どこに残るのかは、第三部で書きます。




