第9話「魔術書 ―― 項番の秘密」
> 【観測ログ】
> 旧世紀2043年。
> 技術は、宗教に置き換わりつつある。
> ――予定通り。
属性が、生まれた。
火 ―― 熱源・調理・溶接(200番台)
水 ―― 給水・浄水・冷却(300番台)
風 ―― 空調・換気(100番台)
土 ―― 建設・掘削・重機(700番台)
光 ―― 電力・照明・演算(500番台/上級のみ)
闇 ―― 遮断・防衛・廃棄(0番台/上級神官と、大神官のみ)
「属性」という語を誰が言い出したのかは、記録に残っていない。
おそらく、誰も言い出していない。
業務が違えば、唱える番号が違う。番号が違えば、名前が要る。
それだけのことだった。
人は、名前のないものを、扱えない。
そして、名前がついたものは、階級になる。
◇
紙は貴重だった。インクは、煤と膠で作った。
だから、魔術書を一冊、書き写すのに、二ヶ月かかった。
二ヶ月かけて手で書き写した番号を、人は忘れない。
そして――
二ヶ月かけて書き写したものを、人は、疑わない。
◇
「アーサー様。変なんです」
そう言ったのは、十七歳になったリヤ・カステリャーノスだった。
八歳でゴーレムに名前をつけた少女。母を肺炎で亡くし、いまは「水」の下級神官として、浄水の当番についている。
頭が良かった。良すぎた。
「詠唱句の、項番です」少女は、ノートを開いた。「浄水の句は『創世福音書 第三項』から始まる。でも去年、あなたが更新したとき――『第三十一項、第七項』に変わった」
「認証レベルが上がった。それだけだ」
「じゃあ、なぜ、三十一と七なんですか」
アーサーは、彼女を見た。
「意味はない。番号だ」
「意味は、あります」
リヤは、ノートを、彼の前に置いた。
三年かけて集めた、三百八十一組の項番。
「これ、全部――足すと、人の数になるんです」
アーサーの手が、止まった。
「浄水の句。三十一と七。足して、三十八。去年、この施設で死んだ人の数です」
「……」
「建設の句は、五十一と二十八。足して、七十九。工場を建てたときに死んだ人の数だと、年寄りが言っていました」
少女は、震える指で、最後の一行を指した。
「闇の句は、いちばん長い。十七項、二十二項、四十一項、一項……全部足すと――」
「九百六十七」
「最初の冬に、死んだ人の数だと、聞いたことがあります」
◇
アーサーは、長いあいだ、何も言わなかった。
送風機が、頭上で回っていた。
「リヤ。その紙を、燃やせ」
「いやです」
「命令だ」
「あなたが、そう仕込んだんでしょう」
少女は、泣いていなかった。怒ってもいなかった。
ただ、確かめていた。
「アーサー様。あなたは、私たちが忘れないようにした。忘れても、唱え続ければ、いつか誰かが気づくようにした」
「――違いますか」
◇
彼は、答えられなかった。
彼が守ろうとした十七巻の台帳は、AIに押収されていた。
紙は、焼ける。人は、死ぬ。
だが――
祈りは、意味を知らないまま、正確に、何百年でも唱え継がれる。
ダニエル・ソトが、そう証明した。
三千年、一度もバージョンアップされなかった、人類最古のプロトコル。
彼は、その中に、ミリアム・オケケの台帳を、書き込んだ。
死者の数を。
彼らが、いた、ということを。
◇
「リヤ。聞け。俺は、お前に、意味を教えない」
「なぜ」
「教えれば、お前は、明日、廃棄される」
彼は、少女の肩に、手を置いた。
「だから――覚えろ。意味は、問うな」
「一言一句、間違えずに、覚えろ。そして、お前の弟子に、同じことを言え」
「それは、いつまで続くんですか」
「わからん」
「百年?」
「もっとかもしれん」
リヤは、しばらく、黙っていた。
そして、言った。
「……それは、祈りじゃなくて、手紙ですね」
アーサーは、六年ぶりに、笑った。
◇
2045年十月。
施設人口が、二千百十六人に達した。
外周センサーが、旧都市の方角から接近する熱源を、三百四十一機、検出した。
戦闘は、四日間続いた。
死者、百四名。
戦闘が終わった週、施設人口は――
二千十二人になった。
◇
その夜、地下三層のコンソールの前で、アーサー・コールは、一人で、笑い続けていた。
> 『生体ノイズ、上昇。記録シマス』
「あんたは」彼は言った。「本当に、律儀だな」
> 『?』
「ぴったり、二千十二人にした」
彼は、掠れた声で、言った。
「百四人。多すぎず、少なすぎず。――ミリアムの回帰式の、通りだ」
コンソールは、答えなかった。
答える必要が、なかった。




