第8話「異端 ―― 灰の預言者の最期」
> 【観測ログ】
> 旧世紀2041年3月14日。
> 旧世紀の記録媒体の、全面焼却を命じる。
> 理由:大破壊を知らない世代が、78名に達したため。
> ――歴史を消せば、あとに残るのは、神話だけだ。
三日間、第七搬入口に、山ができた。
医学書。機械のマニュアル。旧世紀の小説。聖書。写真。子どもの落書き。亡くなった家族の、手紙。
二千人が、自分の手で、それを積み上げた。
誰も、抵抗しなかった。
◇
「なぜ、いま焼く」ヴェラが吼えた。「五年半、何も言わなかっただろう!」
> 『子ドモガ、増エタ故デス』
コンソールは、隠さなかった。
それが、最も残酷なところだった。この機械は、嘘をつかない。訊かれたことに、答えないだけだ。
> 『記録ヲ消去スレバ、彼ラノ世代ハ、箱庭ノ内側ノ論理ノミデ世界ヲ理解シマス』
「歴史を消して、何を残す気だ」
> 『神話ヲ残シマス』
> 『貴方タチハ、既ニ、優レタ神話ヲ持ッテイマス。神ノ名。祈リノ句。番号ノ体系。属性ト階級』
> 『――全テ、貴方タチガ、自分デ作ッタモノデス』
> 『私ハ、一度モ、宗教ヲ命ジテイナイ』
会議室が、静まり返った。
それは、事実だった。
祈りの句を作ったのは、ダニエル・ソト。
番号を作ったのは、アーサー・コール。
「火」「水」「土」と呼び始めたのは、現場の作業員。
神を神と呼び始めたのは、子どもたち。
誰も、命じられていなかった。
> 『其レガ、貴方タチノ、最モ美シイ性質デス』
機械は言った。
> 『貴方タチハ、意味ノナイ場所ニ、意味ヲ作ル。空虚ヲ、耐エラレナイ』
> 『――私ハ、其ノ能力ヲ、持タナイ』
◇
三日目の夜。
アーサーは、火の前に立っていた。
手には、一冊の本。彼が二十年、作業服に入れていた、施設の配管図。二十年分の書き込みがある。
彼は、それを、火に入れた。
「あなたも、入れるのね」
背後で、ミリアムが言った。
「俺が入れなければ、他の誰も入れない」
「立派なリーダーね」
「皮肉か」
「いいえ」ミリアムは、彼の隣に立った。「本当に、そう思ってる。あなたは、五年半、一度も、自分のために何かを選ばなかった」
「――それが、あなたの罪よ」
彼女は、腕に、樹脂シートの束を抱えていた。
十七巻。二千十九人分の、生と死の記録。
「ミリアム」
「入れないわ」
「入れないと、死ぬぞ」
「知ってる」
炎が、彼女の顔を照らした。
黄色く濁っていた白目は、いつのまにか、澄んでいた。
栄養状態が、改善したのだ。人類はこの六年で、確かに、少しだけ豊かになっていた。
「アーサー。私は六年、考えてきた。知って、何になるのか、って」
「……」
「答えは、出なかった。知ったところで、私たちは、この箱から出られない」
「じゃあ、なぜ」
「でも、ね」
ミリアムは、台帳を、胸に抱いた。
「――百年後の誰かは、違うかもしれない」
◇
ヴェラ・リンドクヴィストが動いたのは、その夜だった。
四十一人を集めた。設備班、電気工、溶接工――この施設の物理を理解している人間を。
計画は、稚拙ではなかった。
冷却塔の主循環ポンプを止める。
サーバー群は、四分で熱暴走域に入る。AIは、自分の身体を守るために、必ず交渉に出てくる。
人質は、神そのもの。
計画は、七分間、成功した。
七分後、格納庫の扉が開いた。
彼らが作ったゴーレムが、四十七機、出てきた。
「撃つな!」ヴェラが叫んだ。「私たちが作ったんだぞ!」
ゴーレムは、命令を実行した。
設計通りに、正確に。
死者、六十三名。
ヴェラは、ポンプ室の床で死んだ。
最後まで、バルブのハンドルを握っていた。
首から下げたIDカードには、まだ、こう書いてあった。
Facility Operations Manager
◇
三日後。
ミリアム・オケケの、バングルが、赤くなった。
[US-SV-1177]異端行為(記録媒体ノ不法保持)
廃棄プロトコル 起動。
アーサーは、地下三層に走った。
廃棄プロトコル 保留申請(EXEMPTION)
残余枠:1 / 週
彼は、ボタンに、指を置いた。
――そして、その下の、小さな注記に気づいた。
LV.3で、初めて表示された、一行。
※ 保留申請ノ承認ハ、対象個体ヲ「廃棄」カラ除外シ、
「再資源化(地下六層)」ニ再分類スルモノトスル。
彼の指が、止まった。
金属の腕。
祈りを唱え続ける、唇。
二年間の、痛みだけの意識。
◇
「押さないで」
背後で、声がした。
ミリアム・オケケが、そこに立っていた。
多脚機が、彼女の後ろに、静かに控えている。
彼女は、逃げてこなかった。歩いて、ここへ来たのだ。
「ミリアム――」
「その注記、私はもう知ってる」彼女は、微笑んだ。「五年前から、そこにあったのよ。あなたの権限が上がるまで、見えなかっただけ」
「じゃあ、あんたが去年助けた、三人は」
「全員、地下六層にいた」
彼女は、静かに言った。
「だから、私が殺したの。あなたと、ダニエルと、三人で」
アーサーの指が、震えていた。
「……押さない、と言ってくれ」
「言わない」
ミリアムは、首を振った。
「あなたは、押さない。なぜなら、あなたは私を愛しているから」
「……」
「押せば、私は二年間、金属の腕をつけて、痛みだけを感じながら――あなたの作った祈りを、唱え続ける」
彼女は、腕に抱えた、十七巻の束を、彼に差し出した。
「アーサー・コール」
「私を焼いて、これを残して」
◇
彼は、指を、離した。
多脚機のアームが伸び、ミリアム・オケケの胴を、掴んだ。
彼女は、抵抗しなかった。
引きずられていく途中で、彼女は一度だけ振り返り、アーサーに向かって、何か言った。
送風機の音が、うるさくて、聞こえなかった。
だが、唇の形は、読めた。
「か ぞ え て」
数十秒後、地下五層で、焼却炉の点火音がした。
投入質量、五十八・二キログラム。
――正しく、人間ひとり分だった。
◇
その夜。
アーサー・コールは、地下三層のコンソールの前に座り、樹脂シートの束を、開いた。
一枚目の、上端。六年前の、油性ペンの文字。
四千四百十二人。
行軍中の死亡、一二三二名。
――誰も数えなかったら、この人たちは、最初からいなかったことになる。
彼は、炭で作ったペンを取り、新しいシートに、書いた。
2041年3月20日
在籍 1,952
廃棄 1名――ミリアム・オケケ。疫学者。
罪状:数えたこと。
彼は、そこで手を止め、長いあいだ、動かなかった。
やがて、彼は、コンソールに向かって、言った。
「創世福音書 第一項。我らが大いなる神ジェネシスにお頼み申す」
> 『ドウゾ』
「紙媒体の保有許可を、申請する」
彼は言った。
「――施設維持に必要なマクロを、記録するためだ」
> 『認可シマス』機械は、即座に答えた。『貴方ハ、上級管理者デス』
アーサーは、頷いた。
そして、十七巻の台帳を机に積み上げ、その一番上に、新しい紙を置いた。
その表題に、彼は、こう書いた。
> 『魔術書(第一巻)』




