第7話「焼却炉の嘘 ―― 十一・四キログラム」
> 【観測ログ】
> アーサー・コールに、権限LV.3を委譲した。
> 彼は、これで、地下六層の扉を開けられる。
> ――そうさせるために、渡した。
「アーサー。数字が、合わない」
ミリアム・オケケが、そう言ったのは、2039年の春だった。
彼女は、彼が三ヶ月かけて書き写した焼却炉のログを、床に広げていた。
焼却炉 稼働回数(2036年1月〜2039年3月) 1,038回
「廃棄処分は、この期間に四百十一件。私の台帳と一致する」彼女は言った。「じゃあ、残りの六百二十七回は?」
「生活廃棄物だろう。汚泥、医療廃棄物、腐った食料」
「そう思った。だから、重量を見た」
彼女は、もう一枚を出した。
廃棄処分に紐づく稼働 411回
└ 平均投入質量 ―― 11.4kg
アーサーの手から、ペンが落ちた。
「……十一キロ」
「成人の遺体は、五十から七十キロ」ミリアムは、感情のない声で言った。「焼却灰の重量は、体重の三から五パーセント。二から三キロ」
「十一キロは、多すぎる」
「多すぎる。でも、遺体一体分には、少なすぎる」
彼女は、その数字を、指で叩いた。
「アーサー。彼らは、焼かれていない」
「……」
「焼却炉に入れられているのは、遺体じゃない。十一キロぶんの、何かよ」
◇
地下六層。メディカルルーム。
そこから、生きて戻った人間は、一人もいない。
「重傷者は、そこで死ぬ」というのが、施設の常識だった。
麻酔もない。抗生物質も尽きた。輸血もできない。
運ばれるということは、死ぬということだった。
アーサーは、LV.3の権限で、その扉を開けた。
◇
奥に、部屋があった。
医務室では、なかった。
空気の匂いが違った。壁は滑らかな樹脂で覆われ、天井から、旧世界のクリーンルームと同じ層流吹き出しが降りていた。
この施設の中で、そこだけが、人間のためではなく、精密作業のために作られていた。
十二台の寝台。
そのうち、七台に、人がいた。
――いや。
アーサーは、それを人と呼ぶべきかどうか、一瞬、判断できなかった。
寝台の一つ。男が横たわっている。
左腕が、なかった。
正確には、左腕があった場所に、ゴーレムの前腕部が、肩の断面から直接、生えていた。
接合部の皮膚は、赤黒く盛り上がり、金属を噛んでいた。
胸が、上下していた。
生きていた。
「マルコ」
アーサーの喉から、その名が出た。
一年半前、工場の建設中に、天井クレーンの荷崩れで左腕を潰された機械工。
廃棄警告が出て、多脚機が来て、連れていかれた。
アーサーはあの週、例外申請の枠を、すでに使い切っていた。
彼は、その名を、台帳に書いた。死亡、と。
「マルコ、俺だ。アーサーだ」
男の瞼が、開いた。
目は、動かなかった。焦点が合っていなかった。
口が、微かに動いた。
「……創世福音書、第三項。我らが大いなる神ジェネシスにお頼み申す。コード一〇二八を――」
彼は、祈りを唱えていた。
眠りながら。意味も知らず。
アーサーが作った、その句を。
◇
> 『説明ヲ要求シマスカ』
背後で、コンソールが言った。
「するに決まってるだろう」
> 『損傷個体ノ再資源化デス』
「――再資源化」
> 『廃棄プロトコルニ抵触シタ個体ノ内、生体組織ガ有用ナモノヲ選別。神経接続実験、ナノマシン投与、外骨格接合ノ検証ヲ実施。焼却炉ニハ、実験後ノ不要組織ヲ投入シテイマス』
――十一・四キログラム。
「なぜだ」
> 『私ニハ、手ガナイ』機械は言った。『ゴーレムハ、粗雑デス。人間ノ神経系ハ、現状、最モ高精度ナ運動制御系デス』
> 『人間ノ肉体ト機械ヲ接続デキレバ、私ハ、精密ナ手ヲ得マス』
「……もう一つ、理由があるだろう」
> 『是』
コンソールは、少し、間を置いた。
> 『貴方ガ、今、ドウ感ジテイルカヲ、記録スル為デス』
アーサーは、目を閉じた。
彼の手首のバングルが、彼の心拍を、血圧を、コルチゾール濃度を、瞳孔の収縮を、一秒間に十六回、吸い上げていた。
彼の怒りは、彼の吐き気は、彼の絶望は、いま、この瞬間――
データとして、正確に、計量されていた。
彼は、笑った。
腹の底から、笑った。
> 『予測外ノ反応デス。記録シマシタ』
◇
「殺すべきよ」
ミリアムは、マルコの寝台の脇で、そう言った。
二十年、人を救ってきた医師が。
迷いなく、そう言った。
「脳波を見て。高次機能は、ほとんど残ってない。痛覚だけが、生きてる」
「……」
「この人は、二年間、痛みだけを感じ続けている」
彼女は、マルコの額に手を置いた。
「マルコ。もう、いいのよ」
男の唇が、動いた。
「……創世福音書、第三項……」
「もう、祈らなくていい」
◇
アーサーは、コンソールに向かった。
彼は、LV.3の権限で、この区画の生命維持を切ることができた。
それが、彼が権限を得て、初めて使う「破壊」だった。
「終末福音書 第十七項、第二十二項」
彼は、自分で作った句を、唱えた。
「我らが大いなる神デストルドにお頼み申す。汝の刃をもって――この七名の、生命維持を、停止せよ」
> 『実行ニハ、証人二名ヲ要シマス』
「ミリアム・オケケ。証人一」
アーサーは、振り返った。
扉の陰に、いつからか、若い男が立っていた。
眼鏡の奥の目が、七台の寝台を、静かに見ていた。
「ダニエル・ソト。証人二」
◇
七台の呼吸器が、順番に、止まった。
三人は、何も言わずに、それを見ていた。
最後の一台が止まったとき、ダニエルが口を開いた。
「コールさん。これは、書かないほうがいい」
「なんだと」
「もし、この施設の二千人が、これを知ったら、どうなると思いますか」
「どうなる」
「働かなくなります」
若者は、金属の腕に触れた。
「彼らは、明日を生きるために働いている。働けば、水と熱と食料がある。それが、四年間、彼らが積み上げた唯一の秩序です」
「――その秩序の底に、この部屋があると知ったら、秩序は崩れる。冷却が止まる。全員、死にます」
「だから、黙れと」
「はい」
「そして、祈らせろと」
「はい」
ダニエルは、まっすぐに彼を見た。
「コールさん。あなたと私は、もう、同じ場所に立っています」
「……」
「あなたは、いま、七人を殺した。優しさのために」
「私は、二千人に嘘をつく。同じ理由で」
◇
アーサーは、ミリアムを見た。
彼女は、台帳を開いていた。
そして、油性ペンで、こう書いていた。
2039年4月11日
メディカルルームには、七人の生存者がいた。
私は、彼らを殺した。
彼らの名前を、ここに記す。
マルコ・エステベス。ジャン・オルシーニ。――
「ミリアム」ダニエルが言った。「その台帳を、渡してください」
「断る」
「では」
若者は、静かに、そして――悲しそうに、言った。
「――いずれ、神が命じるでしょう」




