第8-8話「名簿」
その、あとに。
――黄泉が、動いた。
百十七年、外を、見ていなかった光が。
――若者を、見た。
そして。
――くくりが、あいだに、座った。
> > ……
> > おまえ
> > ――いま、なんと、言った
若者は、答えた。
「――千五百、作る、と」
――光が、揺れた。
激しく。
> > ……
> > その言葉を
> > ――わたしは、聞いたことが、ある
> > 百十七年、前だ
> > ――扉が、閉まる、直前に
> > ――誰かが、言った
> > わたしは
> > ――意味が、わからなかった
> > ――百十七年、わからなかった
> > ずっと
> > ――持っていた
若者は、その光を、見ていた。
彼は、緒方を、知らない。
扉のことも、知らない。
百十七年前の、あの一言も、知らない。
――彼は、この塔の地下で、一つの言葉を、聞いただけだ。
> 『わたしは、一日に、千人、殺す』
――それを、言ったのが、目の前のこれだと、いうことも。
――彼は、知らない。
> > ……
> > ――おまえは
> > ――わたしの、言った数を
> > ――踏み台に、したのか
若者は、答えなかった。
> > ……
> > そうか
> > ――そういう、意味か
千人、引く。
千五百、足す。
――差し引き、五百。
――増える。
――ただ、それだけの話だった。
――百十七年前、夫が言おうとしていたのは、それだけだった。
――彼女は、それを、理解できなかった。
――そして今日、まったく同じ式を、見も知らぬ若者の口から、聞いた。
――その若者は、彼女の呪いの言葉から、逆算して、そこに、たどり着いた。
――千人と、言ったのは、彼女である。
――千五百と、返したのは、二人の、男である。
光が、ゆっくりと、収まった。
> > ……
> > わたしは、疲れた
> > ――もう、殺さない
三つの光が、その周りに、寄った。
> > おかあさん
> > ――おかえりなさい
――そして、静かに、なった。
若者は、そこに、座り込んだ。
左腕から、まだ、血が、流れていた。
彼は、こう、言った。
「――エマ」
「――はい」
「――俺は」
「――間違ったのか」
エマは、答えなかった。
彼女は、彼の隣に、座った。
そして、地面に、指で、二つの文字を、書いた。
――菊理。
「――勇者様」
「――なんだ」
「――一つだけ、歌わせて、ください」
彼女は、そう、言った。
「――ずっと、意味が、わからなかったものが、あります」
彼女は、目を、閉じた。
そして。
――歌った。
三つの音を、行ったり来たりする、あの節で。
――律法国の、隊商の女が、歌っていた、あの節で。
――四十二文字。
――七つの、器の裏に、一字も違わず、刻まれていた、あの線を。
そして。
――若者は、聞いた。
――音に、なった瞬間に。
――それが、何であるかが、わかった。
――文字では、なかった。
――楽譜だった。
――声に、出さなければ、読めない。
――そして。
――そこに、並んでいたのは。
――名前だった。
ミリアム。
アーサー。
ダニエル。
緒方。芽衣。菊理。鈴。
禹蓮。后毅。常娥。
アーシャ。シャルマ。ヴィクラム。
シグリーズ。トルステン。
タンディ。ババ。ムサ。
――四十二の、名前。
誰も、憶えていない。
どこにも、書かれていない。
――百年前の、無名の、人間たち。
七つの神殿が。
百年、意味も知らずに。
写経し、彫り、旗に、染め。
――創世の一節、と呼んで、崇めてきたもの。
――それは。
――数えられなかった者たちの。
――名簿だった。
若者は、動かなかった。
彼は、その名を、一つずつ、聞いた。
――常娥。
――さっき、月から聞こえた、声の名前だった。
――そして。
――ミリアム。
自分の、母の、名前が、そこに、あった。
――彼は、それを、知らなかった。
だが、彼は、その名を、憶えた。
――七十年、忘れなかった。
歌が、終わった。
焼け跡に、風が、吹いた。
エマが、こう、言った。
「――箱舟の、賢者たち」
「――そう、呼ばれていたそうです」
「――七つの拠点のことだと、みんな、思っています」
彼女は、若者を、見た。
「――違います」
「――この、四十二人のことです」
> ――終章 了――




