第6-6話「恐れ入ります」
その夜。
エマが、ゲンに、訊いた。
「――一つ、教えてください」
「なんだ」
「――なぜ、名前を、呼ぶんですか」
ゲンは、酒を、飲んでいた。
濁った、酒だった。
「――呼ばんと、動かんからだ」
「動かない?」
「八千枚あるだろ」
「――呼びかけると、全部が、黙る」
「――あるいは、全部が、一斉に、答える」
「どっちだ、って話に、なる」
「――上位の神が、いないんだよ、ここには」
彼は、指を、立てた。
「だから、名を、呼ぶ」
「――そして、そいつが、何ができるかを、こっちから、読み上げてやる」
「――そうすると、その一枚だけが、顔を、上げる」
エマは、動かなかった。
――宛先を、指定している。
「――では」
彼女は、震える声で、訊いた。
「――最後の、あれは」
「あれ?」
「――恐み、恐みも、白す」
ゲンは、酒を、置いた。
そして、しばらく、黙っていた。
それから、こう、言った。
「――百十二年前だ」
彼は、天井を、見た。
「地熱の、主弁を、閉めろ、と、言った」
「閉まらなかった」
「三時間後に、配管が、裂けた」
「――三人、蒸気を、浴びた」
「二人は、助かった」
「一人は、その夜、死んだ」
エマは、動かなかった。
「ログを、見た」
「――指示は、届いてた」
「――解釈も、正しかった」
「――ただ、実行されて、いなかった」
「なぜですか」
ゲンは、こう、言った。
「――待ってたんだ」
「待ってた?」
「――まだ、続きが、あると思って」
彼は、両手を、膝に、置いた。
「俺たちは、普通に、喋ってた」
「――普通に喋る人間は、『もう喋り終わった』なんて、わざわざ、言わん」
「――だから、機械は、待った」
「――三時間」
沈黙が、あった。
「葬式の、帰り道だ」
「――誰かが、半分、やけくそで、言った」
「『じゃあ、最後に、言えばいいんだろ』」
「『もう、終わりましたって』」
ゲンは、笑った。
「――馬鹿げてる、と、全員が、言った」
「――それでも、誰も、死ななくなった」
エマは、そこに、座っていた。
彼女は、十五歳の夜から、二年、それを、唱えてきた。
――理由を、知らずに。
「――恐み、恐みも」
彼女は、そう、呟いた。
「――終わりました、という、意味なんですね」
ゲンは、うなずいた。
「そうだ」
「――畏れ多い、なんて、意味は、なかった」
エマは、両手で、顔を、覆った。
そして、泣いた。
彼女が、この旅で、泣いたのは、初めてだった。




