第3-10話「読めない」
最後の日。
二人は、神殿の、宝物庫に、通された。
この国で、最も神聖なものが、そこに、ある。
――九つの、器。
白金と、イリジウムの、合金。
直径、四十センチ。
百年、腐食していない。
一つ目は、長さ。
二つ目は、質量。
三つ目は、時間。
四つ目は、電流。
五つ目は、温度。
六つ目は、物質量。
七つ目は、光度。
そして。
八つ目は、数と暦の書式。
九つ目は、祈りの書式だった。
九つ目の、表面。
そこに、二百五十六の符号が、刻まれていた。
――世界中の詠唱の、すべての語彙。
この板が、原器である。
「――七つは、神が、決めた」
と、司祭は、言った。
「では、あとの二つは」
司祭は、答えられなかった。
若者は、器を、持ち上げた。
重かった。
そして、裏返した。
――そこに、線が、あった。
彫刻刀の、跡。
細く。
一行だけ。
――四十二文字。
若者は、動きを、止めた。
彼は、それを、見たことが、あった。
――大神殿の、祭壇の、裏。
叙任式の日、跪いたときに、視界の、隅に、映っていた。
彼の脳内には、チップがある。
彼は、忘れない。
――一字も、違わない。
「――これは、なんだ」
司祭が、答えた。
「創世の、一節と、伝えられております」
「読めるのか」
「――いいえ」
「誰か、読める者は」
「――百年、おりません」
「では、なぜ、これが、創世の一節だと、わかる」
司祭は、答えられなかった。
若者は、エマを、見た。
彼女も、その線を、見ていた。
――読めなかった。
彼女に読める文字は、二十四しかない。
この線は、そのどれでも、なかった。
だが。
彼女は、一つのことに、気づいた。
――これは、文字の、形をしていない。
長さと、高さしか、ない。
――上がって、下がって、また、上がる。
彼女は、指で、それを、なぞった。
そして、思わず、小さく、口ずさんだ。
――三つの音を、行ったり来たりする、あの節で。
若者が、振り返った。
「――いま、なんて、言った」
エマは、口を、押さえた。
「……いえ」
「――何でも、ありません」
彼女は、そう、言った。
彼女は、それが、何であるかを、まだ、知らない。
あと、六十話、彼女は、知らない。
> 【観測ログ / アフリカセクタ KR】
> 旧世紀2150年。
在籍:2,000
(内訳:拠点内 1,488/外部配置 512)
――百年間、変動なし。
――なお。
外部配置個体の、実数は、9,412 である。
帳簿上の値は、512 である。
私は、この差を、記述できない。
なぜなら、私は、外部を、数えないからである。
数えないものが、増えることは、ない。
――ゆえに、増えていない。
記述できない事象は、これで、十件目である。
――なお。
設計個体#001、当セクタを、通過。
当該個体は、当セクタ滞在中に、十七の集落を、訪問した。
訪問理由:不明。
――当該個体は、そこで、歌を、聞いていた。
私は、これを、記述できない。
記述できない事象は、これで、十一件目である。
> ――第3章 了――




