【橘 リンカ】
キッチンへと向かう彼女の後ろ姿を見送り、私は案内された部屋へ視線を移す。
やはりと言うべきか、イメージ通りに綺麗に整理整頓された無駄のない部屋。
一番物が多い場所は部屋の端に丁寧に整えられた配信用のスペース。
揃えられている機材はどれも高性能なものばかりだが、いたずらに高価な物を集めたという印象ではない。
用途を理解した上で必要な物だけを選び抜いている。
配信という事柄へ多くのリソースを割いていることは明白だった。
私は続いて本棚へと視線を移す。
収納されている本の背表紙を眺めるだけでも趣味嗜好はある程度見えてくる————はずなのだが。
「……偏りが全くありませんね」
漫画、小説、専門書、辞書、図鑑、心理学、動物、歴史、料理などなど。
数多く並べられた本は、彼女の読書量が多いという事実以外の趣味嗜好を読み取らせてくれない。
「状態も良い……」
背表紙を見る限り新品に近い状態だが、彼女がただ収集して満足する性格とは思えない。
むしろ自らの血肉とするため、隅々まで目を通していると考える方が自然だろう。
————だが。
ここまで幅広い分野の知識を身につけようとすれば、相応の時間が必要になる。
それでいて彼女は配信活動も高い水準で継続している。
毎日配信を学生の身で続けている時点でその活動量には目を見張るものがある。
一般的に考えるのであれば知識を得る時間と、それを定着させる時間のどちらかが不足するはずだ。
「…………」
今まで観察してきた【空音 ミラ】という人物。
その異常とも言える【模倣】。
そして、この膨大な蔵書。
それらを一つの仮説として繋ぎ合わせるなら————
「————【完全記憶】……」
ぽつりと思いついた単語を口にする。
もし彼女に【完全記憶】と呼べる能力があるのなら。
見たもの、聞いたもの、読んだもの。
その全てを寸分違わず保持できるのであれば。
あの異常なまでの【模倣】にも一つの説明がつく。
もちろん、現段階では仮説に過ぎない。
だからこそ————検証する価値がある。
私はバッグからノートを取り出し、一度開いていたページへ新たな一文を書き加える。
『————空音 ミラが持つ能力の検証』
予定していた企画内容では足りない。
今日という一日で、私はどこまで彼女という存在へ迫れるのだろうか。
その期待に、自然と口角が上がっているのを自覚した。
————コンコンコンコン。
不意に扉を叩く音が響く。
「————失礼します」
声と共に扉が開き【空音 ミラ】が木製のトレーを両手で持って部屋へ入ってきた。
白い湯気を立てるティーカップが二つ。
その横には小皿へ綺麗に並べられた焼き菓子。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
私はノートを閉じバッグへとしまい手伝おうと立ち上がるも彼女に視線で制されてしまう。
彼女はテーブルへトレーを置くと向かい側へ腰を下ろした。
「紅茶で大丈夫でしたか?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
ティーカップへ手を伸ばす。
ふわりと立ち上る香り。
「ダージリンですね」
「……分かるんですか?」
少しだけ驚いたように彼女が目を丸くする。
「ええ。
香りの特徴が分かりやすいので」
「なるほど」
感心したように頷く彼女。
「紅茶もお好きなんですか?」
「好きというより観察対象でしたね」
「観察対象……」
彼女は少しだけ困ったように笑う。
「何でも観察するんですね」
「はい。
人も物も環境も————全て情報ですから」
「なるほど……」
彼女は自然な所作で一口だけ紅茶を口に運ぶ。
「橘さんらしいですね」
「そうでしょうか?」
「はい」
少しだけ考えたあと、彼女は柔らかく笑った。
「『私』も人を観察するのは好きなので」
その一言に、私は小さく目を細める。
————やはり。
入口は違えど彼女も観察する人間なのだ。
しばらく他愛ない会話を交わしたあと、私はバッグから一冊のノートを取り出す。
「それでは、本題へ入りましょう」
「はい」
私の言葉に彼女も姿勢を正す。
ノートを開き書かれた企画タイトルを彼女へ向けた。
【空音ミラ解剖学】
彼女は数秒ほど文字を眺めると首を傾げる。
「……解剖ですか?」
「無論、比喩表現です」
「そうなんですね」
「内容としては、視聴者の皆さんと一緒に【空音ミラ】という人物を知っていく企画になります」
「『私』を……ですか……」
「はい。
配信者としてではなく、一人の人間として」
「……なるほど」
「もちろん、答えたくない質問には答えなくて構いません」
いくら検証だからといって相手の嫌がることをしていい訳はない。
気にしてそう問いかければ彼女は微笑みながら軽く言葉を発する。
「そこは安心してください。
————隠すほどのことは無いので」
彼女からのその返答だけで今日の企画は面白くなると確信した。
「それでは配信の流れを確認しておきましょう」
私は配信用の進行表を広げる。
・オープニング
・企画説明
・質問&検証コーナー
・まとめ
「こんな感じでしょうか」
「分かりやすいですね」
「今回は情報量を絞った方が、【空音 ミラ】という人物がよく見えるはずですので」
「そうですか?」
彼女は心底不思議そうに首をひねる。
配信回数を重ねれば重ねるほどに彼女への興味は増すばかり。
これはなかなか私に限った話ではない。
その確信が私にはあった。
————しかし。
知らぬは本人ばかりなり。
彼女は自分がいかに人の興味を引き付けているかを分かっていない。
「もちろん」
私は微笑みながら言った。
打ち合わせを終えると配信開始を目前の時間となっていた。
空音 ミラの案内で配信用スペースへ移動し、私はカメラの確認を、彼女はマイクを調整する。
「音声問題ありません」
「こちらも大丈夫です」
「待機画面もBGMも大丈夫ですね」
彼女は手慣れた動作で機材を操作していく。
「慣れてますね」
「毎日触っていますから」
「愚問でしたか……」
配信開始まで残り一分。
画面には待機画面が表示され、視聴者数がゆっくりと増えていく。
その数字は私の配信のMAX人数を優に超えていた。
配信に慣れてきてはいたものの私は一度だけ深呼吸をする。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そして————配信開始時間。
彼女は今日初めて会った時と何一つ変わらない表情のまま、静かに配信開始ボタンを押した。
「————皆さんこんばんは。
まだ何色にも染まっていない空から来ました。
カレイド・スフィア四期生【空音 ミラ】です」
慌てる様子もなく。
ただいつも通りの空音 ミラがそこにはいた。
私も彼女に続いて口を開く。
「こんばんは。
本日も検証を始めましょう————橘 リンカです。
今日は皆さんと一緒に、『空音ミラ解剖学』を始めていきたいと思います」




