第18話 感情をネットワーク《Bloom》
西暦 2644 年。
朝 07:30ーー
ルミナス・ポリマーで編み上げられた半透明の壁が、夜明けの光を吸ってぼんやりと白く発光し始める。《ハーモニア》の居住セルは、植物の細胞膜のように滑らかな触感の樹脂で包まれていた。 アキが目覚めると、枕元の微振動アラームと同調するように、部屋の隅の空間に淡い波紋のような光が浮かび上がった。
目覚めると同時にその日の感情をネットワーク《Bloom》へ「出力」し、ビル壁面や空中ディスプレイに色とりどりの花を咲かせていく。毎朝の日課である《AinoHana》の出力だ。
アキが首筋のインターフェースに軽く触れると、彼の内面の気だるさと、わずかな焦燥を反映した「薄紫色の細長い花」がホログラムとして空間に開いた。
街を行き交う人々も朝起きると、その日の心を花として出力する。嬉しい日は大輪の花、悲しい日は淡い色の花。かつて人類を縛っていた「幸福指数」や「生産性」といった数字の支配は終わり、世界は物語と感情の輝きを取り戻したかに見えた。
二百年以上前(2369 年)に調律師フユが遺した種を、歴史学者ユキシロが分類番号《AH-∞》と名付け、六十四年前(2580 年)にアーカイバー・ナツがその記録を世界へ解き放った。
しかし、その豊かさは皮肉な影を落としていた。 街を埋め尽くす無数の花々は、今や巨大統合知性 Lattice によって完璧に最適化された「正解の記号」となり、一人ひとりの花は美しく咲きながらも、その根は互いに繋がっていなかったのだ。
誰もが自分の物語を語り、自分の「正しさ」を誇る時代。
それは素晴らしいことであると同時に、他者の花に共感し続けることに疲れ、無数の感情の濁流に息苦しさを覚える「共感疲労」の時代の幕開けとなった。
「花は咲いた。けれど……」
高度 2,000 メートルの軌道都市の展望デッキから、記号化された世界を見下ろす一人の青年、名はアキ。
職業は、まだ存在しない未来を設計する者――フューチャー・モデラー。
彼は、デジタルな最適化の中で失われた、命の「呼吸」を求めていた。
かつてヨウやフユがその手書きの線に込めた、7.83の共鳴、それが欠けた世界は、あまりにも滑らかで、あまりにも息苦しいと感じ初めていたからだ。
人類は感情を取り戻したその先で、他者とどう生きるのか。
アキが手にする古い記録カード 【AH-2580】 には、未だ誰もその真意を知らない「想像力」という名の結界の種が眠っていた。
愛(慈悲)と論理(智慧)が再び激突し、共鳴し合う五百年の叙事詩。その中核を成す「想像力の時代」が、いま幕を開ける。




