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逃げ癖高校生は、誰も見捨てられない聖女を救いたい  作者: きわみん
第一章 『始まりの森』

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第九話 消去法の正義

 ソフィアは他人の傷を自分に引き受けている。


 なぜそんな不条理が許されるのか。


 なぜ彼女がそれを選んだのか。


 そんなものは分からないし、分かろうとしたところで、今この瞬間には何の意味も持たない。


 だが、それでも確かなことが一つだけあった。


 目の前に転がっているこの現実だけは、どう取り繕っても否定できないということだ。


 優斗は救われた。


 エリシアも、死の淵から引き戻された。


 そしてその奇跡の裏側で、支払われるべき代償を独りで受け止めているのが、目の前で浅い呼吸を繰り返すこの少女だった。


「どういうこと……? 服も切れてないし、下着だって無事なのに、こんな切り傷。一体どうして……」


 エリシアの声は、薄氷を踏むように震えていた。


 困惑と恐怖と、理解の追いつかない苛立ちが混ざり合った、聞いているこちらの神経まで逆撫でするような不安定さ。


 無理もない。


 目の前で起きている現象は、あまりにも理屈から外れている。


「……たぶん、傷を移してる」


 優斗自身も驚くほど、声は静かだった。


 まるで最初から答えを知っていたかのように、すとんと落ちる声音だった。


「左肩と右脇腹と、左足の付け根の傷は俺の。胸の傷は……お前のだ」


「――っ」


 息を呑む音が、やけに大きく響いた。


 否定はない。


 反論もない。


 ただ、言葉を失っている。


 それが何より雄弁に、この仮説を肯定していた。


 視線を落とすと、血に濡れたソフィアの身体が視界に映る。


 本来そこにあるべきではないはずの傷が、まるで当然のように刻まれている。


 彼女が、全部背負った。


 その事実が、遅れてじわじわと優斗の胸の奥に広がっていく。


 呼吸が、わずかに浅くなる。


 無意識に、拳へ力が入っていた。


 なら、自分はどうする。


「エリシア」


 名前を呼ぶ。


 自分の声が、わずかに掠れているのが分かった。


「聖女の回復力ってのは……どれくらい信用できる」


「……えっ」


 問いの意味を測りかねたように、エリシアが顔を上げる。


「わからない、けど……。私が知ってる聖女は、こんな傷ならすぐに治ってた。だから……」


 言葉が詰まる。


 続きは、言いたくないのだろう。


 けれど、言わなくても分かる。


「……こんなに治らないソフィアさんは、おかしいと思う」


 静かな断定だった。


 その一言が、思考に重く沈む。


 このままでは、死ぬ。知識も手段もなく、エリシアの魔法も決定打にはならない。

 

 頭の中に浮かんだある選択肢を、優斗は反射的に打ち消した。嫌だった。ソフィアがどうなるか分からないのだ。


 そんな決断を、人の人生を決めていいような人間では決してない自分がするなど、絶対によくない選択のはずだ。

 

 必死に頭を巡らせ、どうにかソフィアを救うもっとマシで正しいやり方がどこかに転がっていないかと、縋るみたいに探す。

 

 聖なる木――ソフィアが言っていた目的地。あそこに辿り着ければ、女神の導きとやらで何かが変わるかもしれない。

 

 だが、その淡い期待もすぐに崩れ去った。ここからどれだけ距離があるのかも分からない上、道もない森を瀕死の人間を抱えて進むなど現実的ではない。今この瞬間にも命を削っている傷の深さを考えれば、辿り着く前に終わる。


 なら、どうする。抱えて逃げるとして、どこへ行けば助かるというのか。安全な場所のあてもないまま森の中を彷徨った果てに何があるのか、答えなんて出るはずもなかった。


 どの選択肢も少し掘り下げればすぐに行き止まりにぶつかり、救える可能性なんてどこにも見当たらない。あるのは「どれだけマシに死なせるか」という、最悪な選択肢ばかりだ。


 思い返してみれば、魔獣戦の時もそうだ。


 結局、優斗が足りない頭で必死に考えたせいで、ソフィアはあの傷を負った。


 そんなことなら、もういっそ――。


 そんな思考に意識を沈めていたその時、不意に目の前の身体が、わずかに動いた。


「……だい、じょうぶ……です……」


 か細い声が、割り込んできた。


 視線を向けると、ソフィアがかすかに唇を動かしていた。


 焦点の合わない瞳。


 それでも、こちらを見ようとしている。


「……ユウトさん。……行って……ください」


 優斗は、反射的に口を開いた。


 だが言葉が出てこない。


「……わたしのことは、置いていって……いいんです」


 呼吸が乱れる。


 小さく息を吸うたび、胸元の傷から血が滲む。


 それでも彼女の口は、止まろうとしない。


「……あなたが、わたしに……かまう理由は、ないんですから」


 何かを噛み潰すみたいに、奥歯が鳴る。


「――ふざけんなよ」


 思わず、低く吐き捨てていた。


 喉が、かすかに灼ける。


 何が置いていっていいだ。


 この状態で、まだ他人の心配をしているのか。


 ソフィアの細い腕が視界に入る。


 その瞬間、優斗の脳裏に、魔獣から逃げていた時の光景が蘇った。


 自分ひとりなら逃げられたかもしれないのに、決して優斗を見捨てようとしなかったあの横顔。


 倒れた兵士を見て、損得なんか一切なしに駆け出したあの足。


 助けた相手に捕まえると言われても、当たり前のように支えていたあの手。


 そんな人間が、今、死にかけている。


 言葉を絞り出すたびに血を失っているくせに、それでも他人を気にかけようとしている。


 そういう生き方しかできないのか、この少女は。


 視界の端に、自分の裂けた服が映る。


 優斗の体に刻まれていたはずの傷は、もうどこにもない。


 彼女が、全部持っていった。


 優斗の分も、エリシアの分も。


 なのに、それでもなお、同じことを繰り返そうとしている。


 このまま放っておけば、きっとまた誰かを庇って、そのたびに傷を背負って――。


 そして、いつか……。


 そんな未来、認められるわけがなかった。死ぬなんて、俺が認めない。絶対に、救わなければ――。


『条件達成を確認。□□□□を代償に、特定の感情を強化します』


 その声を聞いた瞬間、頭の奥で何かが静かに噛み合った。


 助かる可能性が最も高い選択肢は何か。


 その一点だけを軸に、頭が回っていく。


「エリシア」


 静かに名前を呼ぶ。


「お前は……ソフィアを殺すために来たのか?」


 その瞬間、エリシアの肩がびくりと跳ねた。


「……違う。殺すな、って言われてる。捕まえろって……皇帝陛下の勅命だって」


「……じゃあ、安全なんだな」


「え……?」


「帝国軍に引き渡せば、少なくとも死なないんだな」


「それは……」


 エリシアが言葉を濁す。


 視線がわずかに逸れる。


「殺されは、しないと思う。でも……」


「でも、なんだよ」


「……私は、信頼されてないから。……間違ってるかも」


 彼女の内に潜む何かが垣間見えた気がした。


 信頼されていない。


 帝国軍に籍を置いて、それでも信頼されていない人間が、皇帝の勅命だと言っている。


 信用しきれない。


 けれど、他に何がある。


 聖なる木は遠い。


 逃げ場もない。


 エリシアが嘘をつかれている可能性と、このままソフィアが死ぬ確実性を、頭の中で並べる。


 並べた瞬間、答えは出ていた。


「……俺はソフィアを帝国に引き渡す」

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