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第三話 川沿いの拾い物

タイトルあらすじを変更しました。

18時半に本日2話目を投稿予定。

 ――。

 ――――。

 ――――――。


 白光だ。視界を埋め尽くすような白銀の光の奔流が、体を包み込む。意識が、深い闇の底から這い上がってくる。肺が空気を求め、反射的に大きく息を吸い込んだ。溺れていた時間を取り戻そうとするかのような、切実な呼吸。だが――。


「げほっ、ごほっ!」


 気管に入り込んでいた水が逆流し、激しくせき込む。優斗は荒い息を繰り返しながら、自分の胸を強く押さえた。肋骨の裏側で、心臓が耳障りなほどに脈打っている。生きている実感なんて、今まで一度も欲しいと思ったことはなかった。なのに今は、壊れものを確かめるように、その無様な鼓動に縋りついている。


 優斗は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。視界に飛び込んできたのは、湿り気を帯びた暗い岩肌。肌をなでる空気はひどく冷たく、ここが小さな洞であることを告げていた。衣服は水を含んで肌に張り付いているが、手足の感覚に異常はない。20年間見慣れてきた、代わり映えのしない自分の体だ。左足の裾だけが妙に裂けていたが、水に揉まれればこんなものかと深く考えずに流す。


 ――助かったのか、俺。

 

「……あ、気が付きましたか。よかった」


 背後から響いた鈴を転がすような声に、優斗は弾かれたように顔を上げた。そこにいたのは、一人の少女だった。まず目に入ったのは、顔の中央で異彩を放つ灼けるような紅い瞳だ。幼さと理知が同居している顔立ちはどこか作り物めいた美しささえ感じさせる。肩に揺れる小麦色の金髪が、暗い洞窟内でわずかな光を反射していた。顔から下に目線を向けてみると、身にまとっているのは彼女から感じる荘厳な雰囲気とは対照的なラフな格好……。寝衣か、あるいは日常着のような、飾り気のない柔らかな布地だ。


「ええと……、君は誰で、俺はどうしてここに? もしかして溺れる俺を君が華麗に救い出してくれたって筋書き?」


「ふふっ、期待させて悪いんですけど……。私は川沿いに倒れていた貴方を、ここまで一生懸命引きずってきただけですよ。というか、本当に溺れていたんですね? 確かに、服がびしょ濡れでしたけど」


 少女は人差し指を顎に添え、困ったように眉を下げて笑った。その動作一つひとつに、どこかおっとりとした、それでいて育ちの良さを感じさせる気品が滲んでいる。その些細な仕草に、不覚にも目を奪われそうになる。優斗は慌てて首を振り、雑念を振り払った。


「そ、そうだったのか。それでも、ありがとう。もし川沿いにいたままだったら、化け物に襲われてたかもしれないし」

 

 ただ、そうなると一つわからないことがある。この子が助けてくれたわけじゃないなら、自分はあの激流の中、幸運にも下流に流れ着くまで生き長らえていたことになる。

 

 ……そんなことがあり得るのか? お世辞にも自分の体が丈夫なほうだとは言えない。むしろ同年代の中なら最低レベルと言い張れる自信がある。そんな自分があの激流の中、無傷で生き残れたなんて都合の良い話信じられない。優斗は手掛かりを得ようと記憶を手繰り寄せて――。


「あれ……?」


 何かがおかしい。思い出せ、思い出せ。自分はどうしてここにいる。確か、でかい鳥に襲われて、森に逃げて――それから。

 そこから先が、うまく繋がらない。死にそうな目に遭いながら、走って、走って――。


 ……それで? 何かがあったはずなのに、その何かが思い出せない。


「……なあ」


 少女は優斗と目を合わせたまま首をかしげる。それは話を聞いてくれるという彼女なりの、柔らかい意思表示だろう。


「俺、どうやって助かったんだ?」


 自分でも、間の抜けた質問だと思った。それだけ、尋ねずにはいられなかった。目の前の少女が、自分の中でくすぶる微かな違和感を紐解いてくれると信じて――。だが、そんな優斗の期待に反して、少女はふふっと困ったような笑みをこぼし、あっさりと答える。


「さっきも言ったとおりですよ。川沿いに倒れてた貴方を見つけて、ここまで一生懸命引きずってきただけです」


「……そっか。そう、だよな」

 

 記憶の靄は気にかかったままだ。それでも、無理やり自分を納得させて、目の前の少女に向き直る。

 

「ごめん、ちょっと混乱してた。けどもう大丈夫だ。……というか、まだ名乗ってなかったな。俺の名前は榊原優斗。はるか東の地から、自分探しの旅に出た流れ者ってところだ」


「流れ者……。行商人さんか何かでしょうか? 確かに見たことのない不思議な服ですけれど、その割には身一つですし、溺れていますし……。ユウトさん、本当に大丈夫なんですか?」


 少女は伏し目がちに、本気で案じるような温かい視線を送ってくる。

 

「確かにそれだけ聞くと、俺相当ヤバイやつだけど……。でも、こんな森に一人部屋着で手ぶらの君に言われたくないっていうか。君こそ大丈夫か?」


 痛いところを突かれたのか、少女はむうと唇をすぼめて、年相応の少女らしく頬を膨らませた。

 

「……とにかく」


 わずかな沈黙の後、彼女は小さく溜息をついた。


「歩けるくらいには回復したみたいですし、私は急いでいるのでもう行きますね。これに懲りたら、二度とあんな大きな川には近づかないこと。また溺れてしまったら、私、次こそ助けてあげられないかもしれませんから。あ、あと森を抜けて少し歩けば街道に出ますよ。今はちょっと騒がしいようですけど、一般の方が通れないほどではないでしょうから」


 口をパクパクと開いて困惑している優斗をよそに、少女はおっとりとした口調のまま、立て板に水でまくしたてる。


「それじゃあ、ユウトさんにも女神ティアの加護があらんことを」


 彼女は慈しむような微笑みを一度だけ向けると、迷いのない足取りで踵を返した。

 

「……え」


 あまりにもあっけない幕引きに、口が間抜けみたいに開いたままになる。いや、ちょっと待て。助けられて、目が覚めて、少し話して――それで終わり? 一人でいいと言い切るその背中に、胸の奥がざわついた。

 

「いや、ちょっと待ってくれ!」


 気づけば声が出ていた。少女が足を止め、不思議そうに、けれど拒絶の色は見せず振り返る。


「……どうしたんですか? もしかして、まだ一人じゃ歩けないですか? ユウトさんには悪いんですけど、私もこの森ですることがあるからそろそろ行かなくちゃいけないんです。うーん……、どうしてもと言うなら、街道の近くまでなら付き添いますけど」


「いや、違う。違うんだ! そうじゃない、一人で動けないわけじゃなくてだな、その……」


 咄嗟に否定する。けど、その先が続かない。何を言いたいのか、自分でも整理がつかないまま、焦りだけが空回りする。口を開いては閉じる。言葉を飲み込み、吐き出し、とっさに思いついた言葉を絞り出すように口にした。


「……ここで別れる必要、あるか?」


「……どういうことですか?」


「君はこれからこの森で用事があるんだろ? 俺も動ける。なら、わざわざ別れなくても、二人でやった方が早く済むかもしれないじゃないか」


 我ながら支離滅裂なことを言っていると思った。話が繋がっていないし、説得にもなっていない。初対面の、しかも行きずりの相手に言う台詞ではない。焦ると思ったことをそのまま口に出して、自分でも何を言っているのかわからなくなるのは優斗の悪い癖だった。


「でも、ユウトさんは私が何をするつもりなのかも知らないのに……。そんな風に言っていただけるのは嬉しいですけど、私、お礼なんて何もできませんよ? 身の回りの物は全部置いてきちゃいましたし、私にできるのは、心を込めて祈ってあげることくらいですから」


「下心じゃない、恩返しだ! 川に放置されてたら、化け物に食われてたかもしれない。命を救ってもらって、はいさよならなんて、俺のプライドが許さないんだよ」

 

「それは全然普通のことなんかじゃ……」


 言いかけて、少女は言葉を切る。何かを飲み込むように、視線を逸らした。


「……それに……」


 少女は続けようとして、やめる。代わりに、優斗のほうをじっと見た。ただ、その瞳からは少女が何を考えているのかはわからない。


「……はぁ、仕方のない人ですね、ユウトさんは」


 小さく息を吐き、少女は観念したように肩の力を抜いた。


「分かりました。一緒に行きましょう。ただし、私の用事が終わるまでですよ? それでユウトさんの恩返しも終わり。……いいですね?」


 そう言って、少女は少しだけ悪戯っぽく微笑んで、優斗の申し出を受けてくれたのだった。

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