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逃げ癖高校生は、誰も見捨てられない聖女を救いたい  作者: きわみん
第二章 『都市国家アルツバーン』

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第六話 良い一日を

 窓から差し込む光が、まぶたの裏に滲んでいた。


 優斗はゆっくりと目を開ける。視界に入ってきたのは、昨夜と変わらない石の天井だった。しばらくぼんやり見上げてから、差し込む光の強さに気づく。


 ……寝すぎた。


 体を起こすと、背中に鈍いだるさが残っていた。森での疲れが、今になって押し寄せてきたらしい。


「くそ、早く行かねぇと……」


 部屋にかけられていた普段着へ慌てて着替えて、部屋を出た。


 屋敷の廊下は相変わらず静かだった。


 似たような扉と廊下が続くせいで、昨日通った道なのにまだ少し迷いそうになる。


 らせん階段を下りていくうちに、香ばしい小麦の匂いと、蜂蜜の甘さが鼻先に届いた。


 食堂だ。


 扉を開けると、朝の光と温かな匂いが一気に流れ込んでくる。


「あ~っ! ユウト君~っ!」


 リリアがこちらに気づき、嬉しそうに手を振った。青い髪が朝の光の中で揺れている。


 テーブルの端にはシオンもいた。薄い本を閉じることもなく、視線だけをこちらに向けてくる。


 だが、エリシアの姿がない。食堂の中を見回しても、見当たらなかった。


 問いかけようとしたところで、リリアが先にこちらへ駆け寄ってきた。

 

「やっと起きたの? お寝坊さん。エリシアちゃん、待ちきれずにギルドに行っちゃったよ?」

 

「えっ。……あぁ。まぁ、そりゃそうか」

 

 ……当然だ。自分が寝坊したのだから。


 優斗が視線を落としかけると、リリアはそれを拾ったように、ひょいと顔を覗き込んできた。


 青い髪が肩から滑り、朝の光を受けてかすかに揺れる。


「先に行くって言ってた時、ちょっと怒ってたよ」


 リリアは親指と人差し指で小さな隙間を作って見せた。だが、その隙間はすぐに広がって、本人もごまかすように笑う。


「本当にちょっとだったのか?」


「……ちょっとではなかったかも?」


「ちょっとって言ったなら、最後までそう言っててくれよ……」


 寝坊したのはこちらで、怒られる理由も十分にある。


 それでも、エリシアと顔を合わせるまでは、少し怒っているだけだと思っていたかった。


「途中で嘘はよくないって、反省したんだよ」


 悪びれた様子はない。


 むしろ、正直に言ったことを褒められると思っている子供みたいに、リリアは胸の前で両手を合わせてにこにこと笑っている。


 優斗は小さく息を吐いて、食堂の中へ視線を戻した。

 

「エリシアが行ったなら、シオン達はどうしてここに? わざわざ俺が起きてくるの待っててくれてたわけじゃないだろうし……」


 問いを向けると、シオンはようやく本から視線を上げた。


「君を待っていたわけではない。結果として、説明する相手が残っただけだ」


「……と言うと?」


「聞かずに出られても困る、ということだ」


 シオンは本に栞を挟み、そこで初めて表紙を閉じた。


「今後の情報収集は、二手に分けることになった。君とエリシア殿はギルドへ。リリアと私は、別の筋を当たる」


「別の筋?」


「フォスタン殿の蔵書だ。この地域には、帝国と聖教国の境界に関する記録が残っている可能性がある。古い記述でも、現在の対立を考える手がかりにはなる」


 歴史の記録。帝国と聖教の関係。


 ギルドで集められるのは、今動いている人間の噂や依頼の情報だ。対して、シオンたちはもっと古い部分を掘るつもりなのだろう。

 

「あと、この町の教会にも行くんだよね」

 

 リリアが横から口を挟んだ。シオンが一度だけ頷く。

 

「中立都市の教会だ。聖教国そのものとは距離があるが、だからこそ聞ける話もあるかもしれない」


「あー……なるほどな」


 役割分担は、たしかに理にかなっていた。自分とエリシアはギルドで帝国方面の情報を集める。シオンとリリアは、フォスタンの蔵書と教会を当たる。四人で固まって動くより、その方が効率はいい。


 理解はできる。


 だが、自分が寝坊したせいで、その説明を後から聞いているという事実が、地味に胸のあたりを刺していた。


「じゃあ、俺はさっさと飯食って、ギルドに向かうとするわ」

 

「あぁ、そうすると良い」

 

 シオンはそれだけ伝えると、役目は終えたとばかりに立ち上がった。


 リリアもその後に続きかけて、ふと思い出したように足を止めた。


「あっ、そうだ! ユウト君」


「ん?」


「ちゃんと食べてから行くんだよ」


 言いながら、リリアは卓上の籠から小さなパンを一つ取った。


「急いでる時って、食べるの面倒になるでしょ」


「ならないとは言わないけど、今日は食うつもりだったよ」


 実際、そのつもりではあった。


 急いでいるからといって朝飯を抜けば、後で困る。そんなことくらい、言われなくても分かっている。


「ほんと?」


「ほんとだよ」


「じゃあ、予約ね」


 リリアはそのまま卓上に置かれた蜂蜜の小瓶へ手を伸ばした。


「予約?」


 聞き返す間に、リリアは小さな匙で蜂蜜をすくい、パンの表面へ薄く塗ってしまった。


「これで、ちゃんと食べる予約。塗っちゃったから、残したらもったいないでしょ?」


「……やり方が地味にずるいな」


「ふふん。食べさせるのは得意なんです」


 リリアは、なぜか誇らしげに胸を張る。


「じゃ、シオン、行こっ」


 リリアは満足そうに笑うと、青い髪を揺らして食堂を出ていった。


 シオンは一度だけ、優斗の前に置かれたパンへ視線を落とした。


「食べておけ。空腹は判断を鈍らせる」


「……あんたまで言うのかよ」


「事実だ」


 短く返して、シオンも廊下へ消えた。


 優斗は椅子を引いて腰を下ろした。目の前には、リリアが置いていった蜂蜜のパンがある。


 別に、言われなくても食べるつもりだった。


 そう思いながら手を伸ばし、パンを口へ押し込む。


 急いで朝食を済ませ、優斗は屋敷を出た。


 

 

 屋敷の外へ出ると、朝の空気はひんやりと乾いていた。


 石の匂い。人の声。荷車の音。街のざわめきが、四方から押し寄せてくる。


 昨日も同じ道を歩いたはずなのに、まだ身体が馴染まない。


「っていうか、それよりさ。俺、ギルドの場所分かんねぇんだけど……」


 肝心なことを忘れていた。


 森からここまで、道案内は全部エリシア任せだった。そのエリシアは、自分の寝坊のせいで先に行ってしまった。


 立ち止まったまま、どうしたものかと考えていると、横から声がかかった。

 

「おやおや、お兄さん。もしかして迷子ですか?」

 

 振り返ると、男が壁に背を預けて立っていた。


 藍色の髪を長く伸ばしており、顔立ちもどこか中性的だ。声を聴かなければ、男だとはわからなかったかもしれない。


 人好きのする笑みを浮かべている。ただ、その笑みの奥に何があるのかが読めない。


 優斗は思わず顔をしかめた。

 

「俺がそんな迷子なんて歳に見えるかよ。ただボーっとしてただけだ」

 

 男は気にした様子もなく笑った。指で髪をすくように整えながら、距離を詰めてくるでもなく、その場に留まっている。

 

「そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか。困っているときに他人の親切に頼るのは、悪いことじゃないと、ぼかぁ思いますよ」

 

 男は軽くウィンクしてみせた。


 苦手なタイプだ。


 距離の詰め方が早い。悪意がある感じはしない。けれど、だからこそ扱いに困る。


 ……まあ、道を教えてくれるというなら、ここで意地を張る理由もない。

 

「……じゃあ、ギルドって知ってるか? この街だと結構でかい建物らしいんだけど、そこまでの道がわかんなくてさ」

 

「あぁ、ギルドならこの大通りをしばらく進んで、左に曲がった先にありますよ。目立つ建物だから、近くまで行けばわかるでしょう」

 

「おぉ、マジか。ありがと――」

 

 感謝の言葉を伝えて、男と別れようとした。


 その瞬間、肩に手がかかった。

 

「ちょーっと待ってくださいって。道だけ聞いて終わりだなんて、ぼかぁ少し寂しいですよ」


 呼び止める声に、優斗は足を止めた。


「……なんだよ。まぁ、親切にしてもらったから、ちょっとは付き合ってやるけど……」


 警戒を解いたわけではない。視線は外さず、距離も保ったまま言葉だけを返す。


 男はほっとしたように肩の力を抜き、すぐにまた笑った。


「実は僕、未来が詠めるんですよ。せっかくだから、あなたの未来も占ってあげたんですけど、どうです? 聞いていきませんか?」

 

「未来が詠めるって……。俺の世界じゃ詐欺師の常套句だぜ」

 

 男は急かさなかった。ただ、こちらの返事を待っている。


 優斗は小さく息を吐いた。

 

「まぁ、いいよ。道教えてくれたし、どんなもんか聞いてやるさ」

 

「いやはや、それはありがたい。それでは……」

 

 男の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。

 

「あなたは、大きな後悔を抱えていますね?」

 

 反射的に否定しかけて、止める。


 こういうのは、誰にでも当てはまることをそれっぽく言うものだ。

 

「はいはい、それな。確かに後悔してることはあるけどよ、後悔なんて誰でも――」

 

「救いたい人がいる。救えなかった人がいる。違いますか?」

 

 言葉が、止まった。


 男が言った言葉が、今の自分をそのまま指しているようにしか聞こえなくて、反論の形が見つからない。

 

「少しは信じてもらえましたか? 無力でも分不相応に、大それた願いを抱く。いやぁ、やっぱり人間はいいですね」

 

「……それで? 占った俺の未来ってのは何なんだよ」

 

「おっ、聞いてくれる気になりましたか。うーん、そうですね……」

 

 男は少し考えるように間を置いた。

 

「今夜、あなたが住んでいる屋敷の書斎を調べなさい。そこに、あなたの道標となる物があるでしょう。……ってところでどうです?」

 

「なんだそりゃ」

 

 今まで真剣に聞いていたのが馬鹿らしくなるような占いだった。


 書斎を調べろ。そんなもの占いと言っていいのか。

 

 ただ、さっきの言葉が、頭の中でまだ動いている。救いたい人がいる。救えなかった人がいる。あれは誰にでも当てはまる言葉じゃなかった。

 

 胡散臭い男だ。底が見えない。なのに、悪意だけで動いている感じもしない。


 それが余計に気持ち悪い。

 

「どうして、わざわざ占いなんてやってくれたんだ?」


「どうして占ったのか、うーん……。大通りで見慣れない黒髪黒目の青年が途方に暮れていた。困っている人を助けないわけにはいかない。そんな理由はどうです?」

 

「どうです、って……。そりゃ思いつきで言ってるだけってことじゃねぇか」

 

「あはは、バレちゃいますか」

 

 あっさり笑われると、これ以上踏み込む気も失せた。

 

「まぁ、いいや。道を教えてくれたのは事実だしな。書斎にも行ってみるとするよ」

 

 男は何も言わず、笑ったまま一度だけ頷いた。


 優斗は男に背を向けて、大通りへ向かって歩き始めた。二、三歩進んだところで、背後から声がかかる。

 

「良い一日を、お兄さん」

 

 振り返らなかった。


 振り返る気が起きなかった、というより、振り返ったら何か余計なことを聞いてしまいそうな気がした。


 優斗はそのまま、人の波の中へ足を踏み入れた。

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