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逃げ癖高校生は、誰も見捨てられない聖女を救いたい  作者: きわみん
第二章 『都市国家アルツバーン』

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第四話 似て非なる紅

 食堂、と案内された部屋の扉を開ける。


 その瞬間、燻した肉の匂いが鼻を突いた。夕暮れ前の斜光が窓から差し込み、長い木のテーブルに橙の筋を引いている。


 テーブルの端に、二人組がいた。


 一人は青年だった。歳は優斗より少し上くらいか。焼けるような赤い髪に、落ち着いた色の外套。姿勢が良い。


 乱れた部分がどこにもない。髪も、表情も、指先の置き方まで、過不足なく整っている。


 青い瞳が、茶を口にしたままこちらに向いた。冷たいわけじゃなく、端正な光を宿した瞳だった。


 もう一人は少女だった。澄んだ青色の髪に、柔らかく人懐っこい顔立ち。笑えばすぐに打ち解けられそうな、そういう雰囲気がある。


 ただ、その瞳が紅かった。


 視界に入った瞬間、胸の奥で何かが鈍く痛む。


 ソフィアと同じ色だ。


 ――喉の奥が、ひゅっと狭くなる。


 頭の奥が、一瞬だけ遠くなる。あいつは今、どこにいる。どんな目に遭っている。


「だれ?」


 少女は首を傾けながら、ためらいなく問いかけてきた。


 声音には警戒も遠慮もなく、ただ純粋な疑問だけが乗っている。


 優斗は口を開きかけて、言葉を止めた。


 視線が、逸らせない。紅い、と頭のどこかで認識する。ソフィアと同じ色。そのはずなのに、まったく違う印象を与えてくる瞳が、至近距離からまっすぐにこちらを見ている。


 理由の分からない引っかかりが、思考の流れを鈍らせる。


「エリシア・クローディスです」


 横から、静かな声が割り込んだ。


 その一言で、意識がようやく引き戻される。エリシアがこちらを見ている。表情はほとんど動いていないが、余計なことを言うな、とも、早く答えろ、とも取れる視線だった。


「……榊原優斗。フォスタンさんのところに世話になってる」


 少女はふうん、と短く息をついただけで、それ以上は踏み込んでこなかった。


 その代わりに、隣にいた青年がゆっくりと立ち上がる。


「私はシオン・ヴァレリウスだ。彼女の護衛をしている」


 簡潔な自己紹介とともに、一礼する。


 その所作には無駄がなく、洗練された礼だった。


「私はリリア。シオンと一緒に、この屋敷でお世話になってるの」


 青年の言葉が終わるよりもわずかに早く、少女――リリアが口を挟むように続ける。


 間の取り方に遠慮がなく、言葉が前へ前へと出てくる。


「あなたたちはどうしてここに来たの? 冒険? それとも仕事? あ、ていうか二人って知り合いなの? 仲良さそう、みたいな感じじゃないけど、一緒にいるってことは何かあったわけ?」


 問いが途切れない。一つひとつを切り分ける間もなく、次の疑問が重なってくる。


 言葉の勢いに押されるように、空気がわずかに軽くなるのが分かる一方で、隣でエリシアの眉がごくわずかに動いたのも見逃さなかった。


 優斗は一瞬だけ間を置き、言葉を選ぶ。


「……まぁ、助けを求めに来たってところだ。エリシアとは、道中で一緒になった」


「へえ!」


 リリアの顔がぱっと明るくなる。


 その反応の速さに、わずかにたじろぎそうになる。


「じゃあ二人とも旅してるの? どこに行くの? 目的地は?」


 さらに言葉が続こうとした、その瞬間。


「リリア」


 シオンの声が差し込まれた。


 強くもなく、低すぎるわけでもない。ただ、それだけで十分だった。言葉の流れを断ち切る重さが、その一声にはあった。


 リリアがぴたりと口を閉じる。


 その様子を確認してから、シオンはゆっくりと優斗へ視線を向けた。


 揺れのない目線だった。


 威圧するでも、値踏みするでもない。


 ただ静かに、何かを測っている。


「突然押しかけて申し訳ない。……君たちは、フォスタン殿の縁者か」


「いや。俺はそうじゃない。エリシアは……昔、世話になったとか言ってた」


 優斗がそう答えると、シオンは一度だけ頷いた。


 それ以上深く問うことはしない。


 代わりに、手にしていた茶杯を静かに卓へと戻す。


 その動作一つにも、余計な音は立たなかった。


「そうか。フォスタン殿は人を見る目がある。縁があるなら、それで十分だ」


 フォスタンが顔を出したのは、それから少し後のことだった。


 全員が着席して、使用人がスープを運んでくる。


 湯気が白く立ち上り、燻した骨と香草の匂いが混ざってテーブルに漂った。


「それで、二人はどこから来たの?」


 リリアが聞いた。


 特に警戒している様子はない。


 ただ純粋に気になっている、という顔だった。


「俺は東の方から旅してきたんだ」


「私は……、その帝国軍にいて……」


 その瞬間だった。


 リリアの目が、変わった。柔らかさが引いて、値踏みとも警戒ともつかない光が、一瞬だけ宿った。


 ほんの少しだ。気づかなければ見逃すくらいの、わずかな変化だ。


 同時に、シオンが動いていた。椅子を引く音すら立てずに立ち上がり、自然な流れで一歩踏み込み、リリアとエリシアの間に立つ。


「あっ、いやその……。除籍になったの。だからあなたに何かするつもりはないわ」


 エリシアが短く言い切る。


 それを聞いて、シオンは一瞬だけ呼吸を緩め、元の位置へと戻った。


「それはよかった。そうでなければ、君たちを排除するか、彼女を連れて撤退するか、選ぶ必要があったからね」


「……随分と、はっきり言うんだな」


 優斗は思わず口にした。


 シオンは優斗の方を見た。


「事実なのだから。曖昧にする意味がないだろう?」


 フォスタンが静かに茶杯を置いた。


「シオン殿、うちの客人を脅かすのはやめてもらいたい」


「失礼しました、フォスタン殿。しかし、私が言ったのは脅しではありませんよ。こうしていた、というただの事実です」


「……似たようなものだ」


 フォスタンは短く笑って、深く椅子に背を預けた。


 シオンは何も返さなかった。


 場が落ち着いてから、リリアはすぐに切り替える。


 スプーンを手に取り、スープを一口すする。


「ねえ、ユウト君って異国の人だよね? 名前の感じが全然違うもん。どこから来たの? 遠いの?」


「……まあ、遠いな」


「どのくらい? 馬で何日?」


「それよりずっと遠い」


「ええ、どういうこと?」


 本気で首を傾げている。その無邪気さに、逆に説明のしようがなくなる。


 これ以上踏み込まれる前に、優斗は話題を切り替えた。


「それより、リリア。一つ聞いてもいいか?」


「ん?」


「帝国軍って聞いて、さっき目が変わってた」


 リリアは何も言わなかった。


 否定もしない。


 ただ、優斗を見ている。


「……あんたも、聖女なのか」


 問いじゃなかった。


 ほとんど、確認だった。


 食堂が、静かになった。窓の外の空が、いつの間にか紫がかっている。遠くで薪が爆ぜる音がした。スプーンが器に触れる小さな音が、やけに大きく聞こえた。


 フォスタンは黙っていた。エリシアが優斗の方をちらりと見た気配があった。リリアはスプーンを持ったまま、優斗を見ている。


 さっきまでの柔らかい雰囲気は変わっていない。


「ユウト君の言う通り、私は聖女。だけど……あなたも、って」


「……知り合いに、紅い目の人がいる」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。


 遠ざかるのではなく、逆に近づいてくる感覚だった。


 顔が、声が、記憶の奥から押し寄せてくる。


 それを押しとどめるように、優斗はスプーンを握り直す。


「帝国に捕まってる。俺たちの恩人なんだ。取り戻したくて、ここまで来たんだよ」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 リリアは優斗を見たまま、ほんの一瞬だけシオンへと視線を送る。


 シオンは何も言わず、茶杯を静かに置いた。


 それだけで、二人のあいだに何かが通ったことが分かる。


 だが、その内容までは読み取れない。


「……帝国から、取り戻すの」


 リリアの声は、先ほどまでの軽さを失っていた。


「そのつもりだ」


 短く答える。


 リリアは少しだけ間を置き、スプーンをテーブルに戻した。


「……やっぱり、そういうことするんだ」


 独り言のように落ちた言葉だった。


 優斗がその意味を問いかけるより早く、リリアは続ける。


「帝国に聖女が囚われてるって……そういう話、他にもあるよ。私が逃げる前にも、何人か連れていかれた子がいた」


 彼女の視線はテーブルに落ちたまま、言葉だけが続く。


「どこに行ったか、わからないまま。何のためか、わからないまま。……ずっと、それが嫌だった」


 そこでようやく顔を上げる。


 表情は柔らかいままだが、その奥にあるものは明らかに変わっていた。


「だから手伝う。ユウト、私も行く」


 椅子が鳴り、立ち上がろうとしたところで――。


「リリア」


 シオンの一声で動きが止まる。


 リリアはそのままの姿勢でシオンを見る。


 シオンは彼女ではなく、優斗を見ていた。


「……君は、本当に取り戻せると思っているのか」


「思ってなかったら来てない」


「その根拠は」


「……ない」


 短い応酬のあと、シオンはわずかに間を置く。茶杯を取り、一口だけ飲む。そのあいだも、視線は外さない。


「帝国という大国を相手にして、根拠なく動いている。それが今の君の状況だ」


 否定ではない。ただの確認。


 それだけで十分だった。


 胃の奥がじわりと浮く。言い返す言葉を探すが、出てこない。出てくるはずがない。根拠がないことは、自分が一番よく分かっている。


 ――じゃあ、なんで来たんだよ。


 自分に向けた問いは、答えを持っていなかった。根拠がない。勝ち目の計算もない。それでも動いているのは、動かずにいられなかったからだ。


 でも、そんなのは理由じゃない。


 分かってる。


「シオン」


 リリアが、静かに言った。


 さっきまでの弾んだ声じゃなかった。


 二人の目が合う。


 何も言わない。リリアはシオンを見ていた。シオンはリリアを見ていた。


 何かが二人の間で動いている。言葉がない。優斗にはやはり読めなかった。


 やがてシオンは、短く息をついた。


「……仕方ないな」


 一瞬、部屋が静止した。


「え、いいの?」


 思わず声が出た。隣を見ると、エリシアも似たような顔をしていた。驚きというより、腑に落ちていない顔だった。


「本当に、いいんですか」


 エリシアが思わず聞いた。


 シオンは一度だけ、リリアの方を見た。


「止めて済むなら、とっくにそうしている」


「……それは、護衛としてどうなのよ」


「護衛としての判断だ。彼女が危険へ向かうなら、危険から遠ざけるより、危険の中で死なせない位置にいる方が現実的だ」


 それだけだった。


 説明も補足もない。


 優斗はエリシアと顔を見合わせた。


「……でも、見ず知らずの聖女の話だぞ」


「当然でしょ!」


 リリアが当たり前のように言った。


 椅子ごと身を乗り出している。


「聖女が帝国に囚われてるんだよ? ほっとけないじゃん!」


 その言葉が、胸のどこかに引っかかった。


 ほっとけない。


 それだけ。理屈も損得もない。ただそれだけで、見ず知らずの相手のために動こうとしている。


「……お前は」


 フォスタンが、静かに言った。


 テーブルの端で、腕を組んで黙って聞いていた老人が、初めて口を開いた。


「帝国を相手にするのが、どういうことかわかっているのか?」


「わかってます」


 リリアは即答した。


 迷いがない。


「わかった上で、それでもほっとけないから行くんです!」


 フォスタンは少しの間、リリアを見ていた。それから、ふっと短く息を吐いた。笑っているのか、呆れているのか、判断のつかない吐き方だった。


 優斗は返す言葉が見つからなかった。


 ほっとけない。


 それだけで、彼女は危険に飛び込もうと言うのだ。


 ――聖女ってのは、どいつもこいつもこんなのなのかよ。

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