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逃げ癖高校生は、誰も見捨てられない聖女を救いたい  作者: きわみん
第二章 『都市国家アルツバーン』

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第一話 共犯

 野営地が遠ざかるにつれ、足音だけが草を踏み続けた。


 エリシアは振り返らなかった。背筋は真っ直ぐで、感情をどこかに押し込めたまま動いているような、そういう歩き方だった。優斗はその三歩後ろをついていく。距離を詰めようとは思わなかった。


 腕が、まだ軽い。


 正確には、軽いことを意識してしまっているのだろう。さっきまでそこにあった重みが消えて、その空白だけが残っている。振り払おうとするたびに逆に意識が向く。


 空の端が完全に闇に染まり、星々がその鋭い光を放ち始めた頃、エリシアが唐突に足を止めた。


 見渡す限りの草原の中に、ぽつんと岩がいくつか固まっている場所があった。風よけにもならない程度の低い岩だが、エリシアはそこに腰を下ろした。


 疲れた、とは言わない。


 ただ止まった。


 優斗も無言で隣の岩に座る。乾いた草の匂いと、夜の冷気が鼻腔を突く。


 沈黙は、重かった。


 エリシアが不意に口を開いたのは、それからどれくらいの時間が経ってからだったか。


「……あなたは。この先、何がしたいの」


 それは、問いというよりは独白に近かった。


「ソフィアを取り戻す」


 優斗は迷わずに答えた。


 それだけが、今の自分を繋ぎ止めている唯一の楔だった。


「それで?」


 畳みかけるようなエリシアの追及に、優斗は言葉を詰まらせた。


 取り戻した後——そこから先が、何も見えない。


 帰る場所があるのかも。


 そもそも帰りたいのかすら。


「……分かんね」


 正直に吐き出すと、エリシアの鼻から小さく息が漏れた。


 それは呆れというよりも、どこか別の感情を含んでいるようだった。


 しばらく、沈黙が続いた。風が草を撫でる。


 それだけが繰り返される。


「……軍にいる間は、考えなくてよかった」


 エリシアが、膝を抱え込むようにしてポツリと言った。


 優斗は視線を向けず、ただ続きを待つ。


「指示があって、動いていればよかった。それが正しいことだって、信じられたから」


「信じられた、か」


「うん」


 短い肯定。


 その過去形に含まれた響きを、優斗は聞き逃さなかった。


「じゃあ、命令違反したのはなんでだよ」


 エリシアの肩が、びくりと震えた。


 ジャージの襟に顔を埋めるようにして、彼女は声を絞り出す。


「……魔獣が、いたからよ。それだけ」


 エリシアは膝に落としていた視線を上げない。


「それだけか」


 優斗の問いに、彼女は少しだけ唇を引き結んだ。


「……聖女の捜索中だったけれど、あの森は街に近すぎた。隊長は余計な獲物には構うなって言ったわ。でも、放置すれば被害が出るかも。……私は、それが許せなかった。ただ、それだけ」


「それで一人で突っ込んだのか」


 エリシアは自嘲するみたいに口元を歪めた。


「……結果的にね。笑えばいいじゃない、無様だって」


「笑わねぇけどさ。……それは無茶だろ」


 優斗は魔獣の強さを知っている。


 その力が一人の人間の手に余ることも、挑めば命が危ういことも。


「分かってたわよ、そんなこと!」


 弾かれたようにエリシアが声を荒らげる。


 だがその勢いはすぐに萎む。


 弾けた感情を押し戻すみたいに、肩が小さく震えた。


「……で、負けた。死にかけた私を、ソフィアさんが拾った。……あの人が、私の代わりに傷を背負った」


 エリシアの声が少しだけ変わった。平坦なままなのに、何かを押し殺しているように聞こえた。


「私が勝手に正義感を振りかざして動いたから、ソフィアさんはあそこにいた。私が弱かったから、あの人はあんな傷を負わなきゃいけなかった。……全部、私のせいよ」


 言い切って、エリシアは膝の上に視線を落とした。


 続きはなかった。責めてくれ、と言いたいわけでも、慰めてくれ、と言いたいわけでもない。だからこそ、返す言葉が難しかった。


 否定するのは簡単だ。お前のせいじゃない、と言えばいい。だが、それは本当のことじゃない。エリシアが動かなければ、ソフィアは胸の傷を負わなかった。


 その部分だけは、どう言い繕っても変わらない。


「……俺が引き渡した」


 気づけば、口から言葉が零れていた。胸の奥に沈んでいたものが、そのまま押し上げられてきただけの、不格好な言葉だった。


「お前が動いたから、ソフィアは傷を負った。俺が引き渡したから、ソフィアは帝国に連れていかれた。……お前だけじゃない」


 エリシアが顔を上げる。


 驚いたように目を見開き、そのままこちらを見ている。


「責任の取り合いがしたいわけじゃないけどな」


 付け足すように言葉を重ねる。


 自分でも、上手い言い方だとは思っていない。


 ただ、ここで黙るよりはましだと判断しただけだった。


「お前が自分の正しさで動いて、死にかけた。俺は、それしかないと思いながら選んで、ソフィアを手放した。どっちも、自分で決めたことだ」


 言葉を選んでいる余裕はなかった。ただ、嘘にならない範囲で並べていく。飾ろうとすればするほど、どこかで逃げになる気がしていた。


「結果がどうなるかは、まだ分からない。……けど、だからって」


 そこで一瞬だけ言葉が詰まる。喉の奥に引っかかる感覚を、無理やり押し通すようにして、続けた。


「お前が全部背負う話じゃない」


 静まり返る。風の音だけが、草原をなぞるように通り過ぎていく。


 エリシアは何も言わなかった。ただ、言葉の意味を測るように、わずかに視線を揺らしている。


 その沈黙が数秒続き、やがて彼女の表情がゆっくりと歪んだ。


「……なにそれ」


 絞り出すような声だった。


「そういう言い方、やめて欲しいんだけど」


 怒鳴るわけでもなく、ただ低く、押し殺した声音。


「悪いな」


 優斗は短く返す。


 反論する気はなかったし、取り繕うつもりもなかった。


 あれ以上ましな言い方が自分に出来たとも思えないし、あのまま黙っているよりはよかったと、それだけは思っていた。


「……でも」


 エリシアは言いかけて、言葉を切った。代わりに、ゆっくりと息を吸い込み、深く吐き出す。


「……否定は、しないわ。……納得は、してないけど」


 そう言って再び空を見上げた横顔からは、ほんのわずかだけ、張り詰めていた力が抜けていた。


 込み上げる苦笑を噛み殺す。


「俺も似たようなもんだよ。ここに来るまで、何も考えてこなかった。……ソフィアを助けるって決めて、初めて必死に考えたんだ。その先が、まだ真っ暗なままでもな」


「……目的があるだけ、マシじゃない」


「そうかもな」


 エリシアは膝を抱えたまま、空を見ていた。


 二人はそれ以上、何も言わなかった。


 ただ、草原を渡る風だけが鳴り続けていた。


 ――――――――――――――――――――


 翌朝、地平線の向こうに城壁が見えてきた時、エリシアが短く言った。


「アルツバーン」


 優斗はその輪郭を目で追った。石造りの壁がゆっくりと大きくなってくる。近づくにつれ、壁の向こうから音が漏れ始めた。


 人の声。荷車の音。金属の触れ合う音。


 森の中では聞こえなかった、人間が生きている音だ。


 ただ、近づくほど、城壁そのものが目を引いた。


 高い。


 思っていたより、ずっと。


 草原側から見ると、壁は緩やかな丘の稜線に沿って建てられており、その頂部が城壁の基底になっている。つまり、ただでさえ高い壁が、さらに地形の高さの上に乗っている。しかもその丘は、どこから見ても傾斜が均一に急で、自然に削られたものではなく、明らかに手が入っている。


「……あの丘、人工か? まるで地面ごと作り替えたみたいだ」


 思わず口にすると、エリシアが意外そうな顔でこちらを見た。


「よく気づいたわね。何百年も前に、都市を守るために山を削って盛り直したって言われているわ。今は草に覆われているけれど、その下は強固な土塁よ」


 城壁の角に塔が立っている。城門までの道が一本しかない。両脇は急な斜面だ。どこかで見たことがある構造だった。攻め手を一箇所に絞る、防衛側の地形。


 都市国家なんてもの、大国が軍で押し寄せたら終わりじゃないか——そう思っていた自分が、急に間抜けに見えた。


「中立って、強さに裏打ちされてるんだな」


「当たり前でしょ。そうじゃなきゃ中立なんて保てないわよ」


 エリシアがあっさり言った。当然のことを言われたというような口ぶりだった。優斗には当然ではなかったが、それは自分の常識が足りないだけだと納得した。


 門をくぐった瞬間、それが一気に押し寄せてきた。


 狭い路地に、人が溢れている。見たことのない色の布を纏った行商人。焼いた肉の匂いと、香辛料の刺激臭が混ざり合う。言葉が飛び交っているが、半分以上は聞き取れない。


 ――人が、いる。


 当たり前のことなのに、その当たり前に一瞬だけ息が詰まった。


 異世界に来てから、優斗が会った人間は数えるほどしかいない。だがそれだけじゃない。元の世界にいた頃だって、こんなに人の多い場所に足を踏み入れた記憶がない。


 部屋とコンビニと、たまに深夜のファミレス。


 それが優斗の行動範囲のほぼすべてだった。


 これだけの数の人間が視界に収まっているのは、おそらく初めてだ。


 頭の奥がじわりとする。


 人の声、足音、匂い、熱。


 それが四方から同時に押し寄せてきて、処理が追いつかない。


 軽く、めまいがした。


 前を歩くエリシアが足を止めずに進んでいく。


 優斗はその背中を追いながら、雑踏に目を奪われ続けた。


 子供が走っている。老人が店先に座っている。誰も、二人のことを気にしていない。


 ここには、日常がある。


 ソフィアを失った、あの冷たい森のすぐそばで、世界は何事もなかったかのように続いていた。


 それがひどく遠い話みたいに感じられて、優斗はただ、前を向いて歩いた。

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