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小さな泥棒からのお返し

アリシアはすぐに、自分があの灰褐色の小さな住民の執念を甘く見ていたことを思い知らされた。


翌朝。


少し腫れぼったい額をさすりながら菜園へ向かったアリシアは、目の前の光景に一瞬で目が覚めた。


昨日、苦労して植え直したばかりの植物。


淡い紫色の新芽がようやく顔を出していたはずの苗が、何本も綺麗さっぱり消えている。


地面に残されていたのは、いびつな梅の花のような小さな穴と、その周囲に散らばった細い根っこの切れ端だけだった。


アリシアは土の穴の前にしゃがみ込み、呆れたようにため息をつく。


この地下洞窟には、普段ほとんど風すら吹かない。


それなのに、泥の上には小さな穴の縁から伸びていく、毛むくじゃらの身体が這ったような薄い跡が残っていた。


「はいはい。昨日は試食だけだったのに、今日は根こそぎ持っていきましたか」


アリシアは手についた泥を払い落とした。


いつもの職業病じみた自嘲は口からこぼれたものの、怒っているわけではなかった。


むしろ、少し笑ってしまう。


杖を握り直し、彼女はそのかすかな痕跡を追いかけていった。


跡はごつごつした岩の間を縫うように続いている。


アリシアは気長に歩き続け、しばらくして、低い草むらの前で足を止めた。


「ガサガサ……むしゃ、むしゃ……」


細かく、満足そうな咀嚼音が、分厚い葉の向こうから聞こえてくる。


アリシアは口元を緩めた。


「見つけたよ!」


そっと草むらをかき分ける。


そこには、あの大耳の毛玉がいた。


地面に腹ばいになり、二本の前足で小さな苗をしっかり抱え込んでいる。


顔中を泥だらけにしながら、夢中でかじっていた。


突然の物音に身体がぴたりと固まる。


しかも、口にはまだ飲み込んでいない根っこの切れ端が半分だけ残っていた。


二組の目が、三メートルにも満たない距離で再びぶつかる。


「ふふっ。あなた、本当にただの食い逃げだったのね?」


アリシアが笑いをこらえながら言うと、小毛玉の全身の灰色の毛が一瞬で逆立った。


まるでタンポポの綿毛だ。


次の瞬間、熱いものでも投げ捨てるように苗を放り出すと、灰色の稲妻となって走り去った。


そのまま、隣にあった人一人がやっと通れるほどの細い岩の隙間へ、するりと潜り込んでしまう。


「待って。別に何もしないってば」


アリシアも追いかけた。


しかし、岩の隙間はあまりにも狭い。


彼女は入口で身体を止めるしかなく、粗い岩壁に手をつきながら、二度ほど大きく息を吐いた。


そして諦めて立ち去ろうとした、そのときだった。


岩の奥から、ごく小さな鳴き声が聞こえてきた。


「……?」


雛鳥のような、か細い声。


先ほどまでの威勢のいい小さな盗人とは、まるで別の生き物のようだった。


しかも、その声は明らかに震えている。


柔らかく、弱々しい。


アリシアの胸がきゅっと締めつけられた。


彼女は杖をその場に置く。


そして身体を横向きにすると、大きく息を吸い込んだ。


湿った狭い岩の隙間へ、細い身体を慎重に押し込んでいく。


入口を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。


そこには、自然にできた小さな洞窟が広がっていた。


乾いた岩の隅。


そこに、拳ほどの大きさしかない灰色の毛玉が三匹、ぎゅっと寄り添っている。


生まれて間もないのだろう。


一番小さな一匹は、まだ目すら開いていない。


本能のままに兄弟の身体へ頭を押しつけ、甘えるような小さな声を漏らしている。


そして、その三匹の前には――あの大耳の小動物が立ちはだかっていた。


両前足を広げ、必死に子供たちを守っている。


アリシアが洞窟へ入ってきた瞬間、その大きな耳がぴんと立った。


身体をできる限り低く伏せ、喉の奥から小さな唸り声を漏らす。


威嚇というにはあまりにも弱々しい。


むしろ、怯えているのがはっきりと分かる声だった。


黒くつぶらな瞳が、アリシアをまっすぐ見つめている。


小さな身体は、緊張のあまり激しく震えていた。


それでも、一歩も後ろへ下がらない。


アリシアの足が止まった。


視線を洞窟の隅へ向ける。


そこには、盗まれた苗が何本も並べられていた。


しかも、乱雑に放り出されたわけではない。


乾いた土の上に、一本ずつ丁寧に並べられている。


根元の土まで残されていた。


少しでも長く枯れないように、わざわざ気をつけていたのだろう。


その隣には、昨日アリシアが渡した淡い紫色の果実まで置かれている。


アリシアは、ようやく理解した。


これは、悪意のある破壊ではなかった。


「……なるほどね」


アリシアはゆっくりとしゃがみ込んだ。


両手を膝の上に置き、わざと少し距離を取る。


少しでも、この小さな身体から力が抜けるように。


目の前にいるのは、怖くて仕方がないはずなのに、それでも必死に子供たちの前へ立ち続けている小動物だった。


その姿を見ているうちに、アリシアの脳裏へ奇妙な既視感が浮かんだ。


――これ、昔の自分じゃない?


会社で顧客と上司から散々こき使われながら、その下に入ってきたばかりの新人を必死に守って。


無茶なスケジュールのプロジェクトまで、自分一人で抱え込んでいた。


目の前の毛玉も、きっと同じなのだ。


この過酷な地下世界で、自分なりのやり方で家族を養おうとしている、ただの現場リーダー。


「もういいよ。怖がらなくていいから。あなたのものを取ったりしないよ」


アリシアは声を柔らかくした。


そして、今朝出かける前にポケットへ入れておいた淡い紫色の果実を一つ取り出す。


二匹の間の地面へ、そっと置いた。


「これ、あげる。甘いから、弟くんや妹ちゃんたちと食べて」


アリシアは両手を上げ、敵意がないことを示した。


それから、ゆっくりと後ろへ下がる。


「苗も、もうあなたたちにあげるよ」


少しだけ笑って、続けた。


「このプロジェクトは担当者の判断により、そのまま廃棄・損切り処理とします。だから、もう盗まなくていいからね」


「私のところで、もっと美味しいものが育ったら、ちゃんと分けてあげる。……それでいい?」


アリシアはそう言って、岩の隙間から出ていった。


自分の小さな菜園へ戻ると、しゃがみ込んで、残っていた苗を一本ずつ起こしていく。


踏まれて斜めになった苗の根元へ、丁寧に土を寄せる。


ただ、今回は以前よりもずっと優しい手つきだった。


「これからは、生産計画のほうも増産体制に切り替えないとね」


土を軽く押し固めながら、アリシアは小さく呟く。


その目元には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。


「あの子たちが大きくなったら、この程度の量じゃ全然足りないだろうし」


いくつか空いてしまった土の穴を見つめる。


以前なら、そこにあるのは生産量やコストを計算する面倒くささだけだった。


けれど、今の胸にあるのは違う。


どこか温かく、満たされるような感覚だった。


会社にいた頃。


自分が生み出していたものは、ただの冷たい数字と利益を並べた報告書だった。


目標を達成しても、心に残るのは麻痺したような空虚さだけ。


けれど今は、自分の手で育てた食べ物を、別の小さな家族が心から必要としている。


「誰かに必要とされる」という感覚は、どんなプロジェクト報奨金をもらったときよりも、ずっと嬉しかった。


夕方になると、地下を流れる水の音が、気温の低下とともに少しずつ澄んで聞こえるようになった。


アリシアは疲れた身体を休めるため、拠点の草むらに腰を下ろした。


ふと顔を上げる。


すると、あの灰褐色の小動物が、菜園の境界の外側にちょこんと座っていた。


今朝のように勝手に中へ入ってくることはない。


まるで小さな見張り番のように、少し離れた場所から静かにこちらを見ている。


大きな耳が、ときどきぴくりと動いた。


アリシアは小さく笑った。


そして、持っていた小さな鞄から一枚の白い布を取り出した。


平らな岩の上へ布を敷く。


その上に、綺麗に洗って水滴をまとった完熟の果実を、いくつか丁寧に並べた。


もう、これは仕事のノルマではない。


会社へやって来たVIPの客をもてなすような気持ちで、アリシアは小動物へそっと手を振った。


小動物は首を傾げた。


しばらく迷っていたが、やがて小さな足音を立てながらこちらへ走ってくる。


そして、一番外側に置かれていた果実を、大切そうにくわえた。


けれど――今回は、すぐには逃げなかった。


その場に立ったまま、きらきらとした瞳でアリシアをじっと見つめている。


やがて頭を下げると、ふさふさとした温かな毛の奥へ小さな前足を突っ込んだ。


ごそごそと何かを探している。


そして――。


ころん。


小さな丸いものが、アリシアの足元まで転がってきた。


小動物はその瞬間、恥ずかしさに耐えられなくなったかのように尻尾を勢いよく振った。


そして一目散に草むらへ駆け込んでいく。


残されたのは、揺れる葉だけだった。


「えっ、逃げちゃった……」


アリシアは驚きながら、足元へ視線を落とした。


そこには、一粒の果実が転がっていた。


それも、ここでよく見かける淡い紫色の果実とは違う。


小さく可愛らしい形をしたその果実は、薄暗い洞窟の中で、星明かりのような柔らかな金色の光をほのかに放っていた。


大切に保管されていたのだろう。


表面には、あの小動物の身体から移った、乾いた薪と温かな土を思わせる淡い香りまで残っている。


それは明らかに、あの子がずっと大切に隠し持っていた、とっておきの一粒だった。


アリシアは腰を屈める。


そして、壊れ物を扱うように、その金色の果実を両手でそっと包み込んだ。


果実から、かすかな魔力が伝わってくる。


弱々しい。


けれど、確かな温かさがあった。


小さな火種のような熱が指先から伝わり、長い間冷え切っていた、疲れた心の奥までゆっくりと染み込んでいく。


会社にいた頃。


アリシアは、包装の美しい中秋節の贈答品や高級茶を何度も受け取った。


けれど、そういったものには必ず「値段」がついていた。


一つ受け取れば、それは後になって返さなければならない人情や利益の貸し借りへと変わっていく。


けれど、今、手の中にある果実には何の見返りもない。


そこにあるのは、冷たい社交辞令でも、利益交換でもない。


小さな動物が、ほんの少しの勇気を振り絞って渡してくれた、不器用で純粋な感謝だった。


見返りを求めることなど知らない、この地下世界から届いた。


彼女への、たった一つの「社員福利厚生」。


「……ありがとう、新しい共同経営者さん」


アリシアはゆっくりと息を吐いた。


そして金色の果実を、胸元に近いポケットへ大切にしまった。


この巨大な地下洞窟は、もともと彼女が息苦しい過去から逃げるため、偶然選んだ「一時避難所」にすぎなかった。


けれど今は――。


ここには、少しだけ「家」のようなものができ始めている気がした。


自分の手で育ててきた菜園。


綺麗に洗い、甘い香りを漂わせる食べ物。


そして、勝手に苗を持っていくくせに、ちゃんと「利益共有」をしてくれる小さな隣人。


何より大切なのは――。


今度は、自分自身のために。


そして、自分とあの小さな毛玉で作った、この小さな部署のために。


アリシアは生きている。


ここには、未読メッセージで彼女を急かす人はいない。


あるのは、湿った土の匂いと、静かで安心できる自然の気配だけだった。


アリシアは鼻先を軽くこすり、岩にもたれかかる。


淡い光を放つ菜園を眺めながら、口元の笑みを少しずつ深くしていく。


「……長期的な発展の可能性があるなら、そろそろ柔らかい枯れ草でも探して、本物のベッドを作ったほうがいいかもね」


アリシア自身は、まだ気づいていなかった。


いつも顔に貼りつけていた、仕事用の笑顔が消えていることに。


その代わりに浮かんでいたのは――。


この冷たい世界へ来てから初めて見せた、心の底から力の抜けた、優しい笑顔だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


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これからも楽しんでいただける物語をお届けできるよう頑張りますので、よろしくお願いします!

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