第六話 ―その4―
アシェルがサムギラグム寺院について五日目の晩―――
「えっ!? 明日ここを発つ!??」
食堂で声を張り上げたのはラウナ。そして間髪入れず寮長の眼光と咳払いが。
ラウナの袖をレジーメが引いて強引に座らせ(小柄ながら腕力強い)、メガネの奥の瞳で疑問符を浮かべた。
「どゆこと? アシェルの旅は終わったんじゃないの?」
「そうなんだけど……ヤーマの一件の原因である、あの短剣のことを調べたくて」
するとラウナの隣に居たヤーマが申し訳なさそうに顔を伏せた。
「あの………私、気にしていませんし、むしろ私のほうが皆さんやアシェルさんにご迷惑をおかけして……」
「ほら、ヤーマもこう言ってるぅ」
「ラウナ、離れろ」
ヤーマに抱きつくラウナをレジーメが引き剥がす。ずっとこれの繰り返し……
(っていうか、座る位置変えたらいいのに)
それとも、これも一種のコミュニケーションなのか。
「えっとまあ……とにかく、ヤーマがああなったのは私のせいだから、本当にごめん。だけどあの短剣は私にとって捨てられないものだから、どういうものか確認しておきたいのよ」
「じゃあ、ちょっと出かけてくるだけなんだ?」
「……ううん。多分、もう戻ってこない」
「え……どうして!?」
鳩が豆鉄砲を食らったような、真ん丸に目を見開くラウナに苦笑しながら、アシェルは言葉を捜す。
「何ていうか……変わっちゃったのよ、私が。もうここは合わなくなったっていうか……」
「そんな………何言ってんのよ!!」
ラウナがテーブル越しにアシェルの襟首を掴み上げる。テーブルは重いからひっくり返ることはないが、運悪くレジーメのスープだけがラウナの腕に当ってぶちまけられた。
「アシェル! 寺院のみんなに迷惑かけてるって言っておきながら、何なのよその言い草は! 合わないってんなら、アンタのほうが合わせなさいよ! 私たちは皆、アンタを気遣って……アシェルのこと好きなのに、そんな言い方、されたら………」
「ラウナ………」
「……ラウナ、もういいから。アンタの気持ちはわかったから、アシェルを離しなさい」
レジーメが諭すまでもなく、ラウナは涙をこぼすごとに指から力を失っていく。そしてついには、テーブルの上で泣き崩れてしまった。
「あぁもぉ、わーわー泣き過ぎ。いい加減、自分の歳を考えなさいよ」
「レジーメ、そんな言い方はやめてよ。私が酷いこと言った……」
「……そうね。でもアシェル、気が合わなくなったってわけじゃないんでしょ? 『身体』が合わなくなった……違う? 銀の下着を見ればわかる。多分、想像も出来ないような死闘を潜り抜けて、その中でアシェルは生き抜いてきた。こう言っちゃなんだけど、アシェルが今ここにいるっていうことは、運だけじゃ片付けられないことで……それなりの事情があるんでしょ?」
「……………」
いつのまにか、食堂の皆が聞き入っている。周囲の面持ちはその「事情」を知りたがっているようだが、アシェルは黙って目を伏せるしかなかった。
ミラムがいつも通り寺院内の見回りをする身支度を整えていると、部屋の扉をノックする音がした。
「ミラム寮長、いらっしゃいますか?」
ドアを開けると、立っていたのはレジーメだった。
「なんですか、こんな夜遅くに」
「アシェルのことで、ちょっと」
ミラムは眉根を寄せた。
「……私の方から言うことは何もありません」
「修道長と寮長は、事情をご存知なんでしょう?」
「その通りです。ですが……」
「話していただかなくて結構です。私だって本人から聞かないと納得できませんから」
「なら、何なのです?」
「アシェルが出て行くと言い出したのは、寮長が原因ではないのですか?」
「確かに提案はしました。しかし、最終的に決断したのはあの娘です」
「でも、きっかけを作ったのはあなたです」
「…ふぅ」
ミラムが頭を抱えると、張り詰めるような雰囲気が崩れた。ミラム自身が緊張を解いたのである。
実は若い修道女の中でミラムに一番近しいのがレジーメだったりする。物怖じしない性格だからなのだが、きっと親の職人気質を継いでいるからなのだろう。ゆえに、こうなったレジーメは頑として譲らないこともサムギラグムの誰もが知っている。
「全く……あなたといいラウナといい、アシェルが戻った途端に昔みたいに……」
「それほどアシェルのことが大事なんです」
「それはよくわかるわ……それで、結局何が言いたいの?」
「私はただ、自分の仕事に支障をきたした責任を取っていただきたいのです」
「仕事? 責任…?」
「そうです。手伝っていただきます」
アシェルは一人宿舎の部屋を抜け出して、夜空を見上げていた。
この高地は空が近い……星が迫ってくるようだ。
満天の星空は深く、どこまでも広がっている。ずっと眺めていると溺れそうで……。
夜の海を見てはいけないという。ずっと見詰めていると、その深さに引き込まれるのだと。しかしそれは空、あるいは光や闇も同じこと。触れることがかなわないそれらは人間の理解を超えた無限の存在であり、いうなれば神の如き、である。
しかし人間はそれらとは別に内なる無限を持っている。それは、心。精神。
不可思議なものだ。人の感情はどこまでも果てがない、しかしそれは一個人の内でのことだ。それなのに誰もが等しく敬い、悪辣にもなる。そして他人の「無限」に干渉する…。
不死者とて例外ではない。アシェルの中で、不死者=悪という構図は瓦解してしまった。アシェル自身が不死者の愛情によって生きているからだ。しかし不死者には何らかの闇が存在することも事実。
そう。
誰もが最初から不死者だったわけではない。皆、最初は人間だった。不死者になって、堕ちていったのだ。
なら――――私は、どうなるのだろう。
特異者……それは不死者だ。牙を持たないだけで、親不死者の力を受け継ぎ、魂の属性も黒く傾いているのが今ならわかる。ミラムの法術に拒否されたという事実は、人間の境界からはみ出てしまったことを意味する。
なら、私の心も不死者のように変わってしまうのだろうか。長い時間に耐えられず、刺激を求めて、享楽の為に倫理を無視して不幸をばら撒く闇になってしまうのだろうか。
飽きるのですよ、楽しむ事に――――レイクマルドはそう言っていた。
私には、もう生きる目標などない。物心ついたときから復讐の為に生き、果たされた今、二十年も経たないうちに私の人生は一度終決した。そしてこれからは……戦い続けなければならない。己自身と―――……。
「アシェルさん…?」
そっと声をかけてきたのはヤーマだった。すぐ後ろに立たれて気付かないほど考え込んでいたらしい。
「……どうしたの、こんな遅くに。ミラム寮長に見つかるわよ」
「アシェルさんこそ、風邪をひいてしまいますよ」
「…………」
心配の仕方が違う。のっけからこの娘には負けてしまっている。自分のせいで傷つけてしまったことを悔やんだ。
「……ごめんなさい。私のせいで迷惑をかけたわ」
「え……あ、いいんです、そんな。あの短剣で手を切っちゃったのは私の不注意ですし、あのまま暴れて誰かにケガさせていたら、それこそ取り返しのつかないことになっていました。助けてくださって、本当に感謝しています」
深々と頭を下げられるとアシェルのほうが困るのだが、ヤーマにイヤミはない。ふと、エデアの姿を思い出した。少し一途過ぎるが、物腰が丁寧で清々しい気分にさせてくれる……そんな気質をヤーマの中にも感じた。
しかしそのヤーマの表情に、ふっと影が落ちた。
「本当は……」
「…え?」
「本当は私、自分で短剣を抜いて、思い出していたんです。私はここに来る前………人を刺しました」
予想しない告白だった。我を忘れてヤーマを凝視し、気付いて周囲に人がいないか慌てて見回した。
「ヤーマ、そんな話…」
「アラレイ様とミラム寮長以外は誰も知りません。誰にも言えません……」
「なら、どうして私に?」
「私のわがままです。優しくしてくださる先輩方に打ち明けられません。怖くて……。でも言えないのも辛いんです。アシェルさんはここを離れると仰っていたので、それで………すみません」
「………そう」
ヤーマの目元がきらりと光る。星の瞬きが映っているのだ。
アシェルは包み込むようにヤーマの肩を抱いて、頭を撫でた。
「馬鹿ね……大丈夫よ。今のヤーマを見て悪く言う人はここにはいない。私がここにいた時のこと、聞いてる?」
「いえ…」
「私は育ててくれた人を不死者に殺された直後で、ずっと荒れてた。同じ部屋だったラウナやレジーメに当り散らしたわ。取っ組み合いのケンカなんかもしょっちゅうしてね、怪我させた時は寮長に頭が割れそうになるほど叱られたわ」
「は、はあ…」
「でもね………皆優しいでしょ? 本気で心配してくれるし、本気で叱ってくれるし、本気で笑いかけてくれる。ここにいる人たちは誰もが何らかの後悔を背負っている。罪を悔いているのなら助けてくれる。そんな場所なのよ。だから勇気を出して告白なさい。こんな寺院、滅多にないんだから」
「………わかりました」
「うん」
ぎゅっと抱きしめて背中をポンポンと叩いてやると、ヤーマは大きく息を吐き出して笑顔を取り戻した。
「もう寝なさい。寮長に見つかったら寝れなくなるわよ」
「あの……」
「ん?」
「アシェルさんは……どうしてここから出て行くんですか」
返答に詰まる。が、言い訳する必要はなかった。
「自分の罪を悔いていないからよ。失敗はした。後悔もある。でも生き方は反省していないの。そんな人間は………ここにいてはいけないから」
翌早朝。修道服から旅用の服に袖を通し、剣を手に取る。こうしてちゃんと握るのは数日ぶりだが、長かったような短かったような……だが、相も変わらず吸い付くように掌にフィットする。
もはやマークス兄ちゃんの形見というだけでなく、自分とともに激闘を潜り抜けた愛剣と言って差し支えない。
ほんの少し力を込めて引けば、剣はするりと抜ける。乳白色の刀身は、いつもよりどこか鋭く見えた。
これをまた振るうのだろうか―――。
何のために?
理由などあるのか?
「せいぜいが………ディルノアークと打ち合わせるくらいか」
まるで好敵手のように不死者王の名を口にした自分に苦笑する。元より勝てるはずもない。
誰もいない部屋で一度だけ剣を振り、鞘に収める。と、ドンドンと、誰かが雑にドアを叩く。アシェルがドアノブに手をかける前にドアが開いて、レジーメがなだれ込んできた。
「おはよう…っ」
「お、おはよう……何、朝っぱらから?」
メガネのずれたレジーメの顔は鬼気迫っていて、怖い。
「脱いで……」
「は?」
「服を脱げーっ!!」
「ひゃああぁぁっ!?」
アシェル自身が驚きの女々しい悲鳴を上げる間に服を剥ぎ取られ、続けざまに被せられたのは――――
「銀の下着…!?」
首をぬいて、ようやく懐かしい銀の肌触りを感じた。
「もうできたの!?」
「時間がなかったから、別に作ってたヤツのサイズを変えて仕立て直したのよ。どこかキツかったり緩かったりしない? 肩とか首周りとかは?」
「いや………前以上にピッタリ」
「はー、よかった……」
大きく息をついたレジーメは、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。
「もしかして、徹夜してこれを……?」
「あーいや、徹夜はどってことないんだけどね。部分的に絞ったりするのに手間取っちゃって……もしかしたら前のより脆いかも」
「そんなことは……全然違和感ないし」
「いーや、そんな中途半端なのはダメだ!」
レジーメは頑として譲らない。自らの作品に命を削る職人の魂が燃え盛っている。こうなったらもう、何を言っても無駄だ。
「イマイチのものを渡すのは本当は嫌なんだけどね。でも今回のそれは一つだけすごい部分がある」
胸の部分をビシッと指差さすレジーメ。そこには以前にはなかった刺繍がある。
「その紋様にミラム女史の最上級神聖護法術による法力付加処理が施されているわけで、つまりは常に結界をまとって歩いているも同然! ………急造だから、効果はお守り程度かもしれないって仰ってたけど」
「寮長がこれを………ってまさか、寮長も夜通し!?」
「そ」
「そ、そう……」
有難い事だが、かわいそうに。鉄壁を誇るミラム寮長といえど、さすがに鬼職人レジーメは相手が悪いか。
とにかく―――。
「ありがとう。なんか……安心する。旅慣れちゃったせいか、修道服って軽すぎて、落ち着かなかったから……」
「修道服が軽すぎる、か……。今、二人っきりだから言わせてもらうけど」
レジーメの目がギロリと光った。
「そんな中途半端なツラのクセに、自分は普通の人とは違いますみたいな態度、ハッキリ言って腹が立つ。アンタが一人いじけても、こっちは受け入れる覚悟あんの。ナメないでくれる!?」
「レジーメ……」
「アシェルがいなくなってからまたしばらくはラウナの相手しなくちゃならない。あのコ、今でも大して役に立たないバカだけど……他人のことを自分のことのように心配する。多分、しばらく眠れない。でもね、例え化け物の姿でもそれがアシェルなら、きっと喜んで迎え入れてくれるヤツなのよ。そういう仲間を蹴って出て行くってこと、忘れないで」
尖った物言いは、レジーメの本気だ。それは身に染みてわかっている。だから、辛くても目を逸らさず、受け止める。
「……もうここには帰ってこれない。だけど……会いに来るから」
「当たり前よ…」
私は、再びここを発った。
寺院の修道女のほとんどが見送ってくれた。ラウナは涙を流しっぱなしで、なかなか私の腕を放そうとしなかった。その力強さと温もりは、まだ自分を人間のままで引き止めてくれるのだろう。
今さらながらに思う―――ここは、もう一つの故郷だったのだと。そして、もうここに自分の居場所はなくなったのだと………。
わ、忘れてたわけじゃないですよ!? ちょっと更新が遅れただけで、アルタナをアップした夜に上げようとしていたのを忘れていたわけではないですよ!? ひどい釈明ですね(笑)




