第六話 ―その3―
山の斜面を登るアシェル―――。
「ちょっと……待ってよ!」
後ろからの声にアシェルは立ち止まって待つ。ラウナはかなり息を切らしているようだ。
「慣れた道でしょうが」
「私は法徳部だし。町に下りる道は行っても、反対側の山にはほとんど入らないから」
「じゃあどうして一緒に来るわけ?」
「だって寮長に言われたんだからしょうがないじゃない。そもそも狩猟部ってアシェルだけの役職でしょ、誰も慣れてないって」
「あっそ」
再び歩き出すアシェルの後をラウナが慌てて追いかける。
「でもさ、これでもちょっとくらいは法術の腕が上がったのよ。そう考えればホラ……例えばアシェルが熊と遭遇してケガしても、私のおかげで一命を取り留めたりとか」
「もう熊じゃ相手にならないけどね……」
「え?」
「あ、いや……私が熊にやられたら、ラウナだって一巻の終わりでしょうが」
「うっ……そりゃそうだけど―――」
「…ちょっとストップ」
アシェルは立ち止まって、しゃがむように手で合図する。岩の陰から向こうを見ると、キジが二羽ほど、わずかな植物の芽を摘んでいた。
風下で見晴らしはいいが、向かい風は強く、距離がある。さすがに剣で鳥をしとめるのは無理があるから弓矢を使うのだが、当てるのはなかなか至難の業だ。アシェル自身も弓矢の腕は剣に比べて格段に劣る。
「いけそう…?」
「シッ、黙って」
ギリッと弓を引き絞る。
(これじゃまだ届かないか……?)
さらに力を込めて引く――――
バキッ!
「あっ!」
弓が折れた。そしてその音に気付いたキジも飛び立つ。
「ちっ……こ、の!」
咄嗟に石を掴んで放り投げると――――
「当った……」
キジが一羽だけ落ちてきた。
「あははは、何やってんのアシェル! 狩りのやり方、忘れちゃったの?」
ラウナは大爆笑だが、アシェルは口を尖らせる。
「だって弓が折れちゃったし……」
「それ、ミルカの木でできてんのよ? 普通折れる?」
「……結果的に獲れたんだからいいでしょ」
「あと何羽かも、全部石で?」
「…………」
返す言葉もない。言霊呪法も併用すればできるかもと考えたが、さすがにそんな人間離れしたやり方はノーだ。それに、そういう術の使い方はサムギラグムの教えに反する。
「手持ちのナイフでなんとか……」
「無理しなくていいって。もういいから、一羽で許してもらおうよ。肉は見えないほど細かくなるだろうけど、鶏ガラのスープは飲めるしさ」
ラウナのフォローに後押しされる形で、仕方なく帰ることにした。
「アシェルさ……大丈夫?」
崖を下りきった所でラウナが聞いてくる。
「? 何が?」
「何がって……気分というか、調子というか。そのさ………いろいろあったんでしょ? 何があったのか無理に聞いたりしないけど……でも、上手くいかなかったから戻ってきたんじゃないの? 復讐も含めて」
「……どうかな。上手くいかなかったっていうよりは………これからどうしたらいいのかわかんなくなったってことかな」
「うん? じゃあアシェルなりに、不死者への復讐っていうのは決着がついたの?」
「一応は…」
「そっか」
ラウナが肩に手を回して引っ付いてくる。
「な、なに?」
「だってさ、昔は刺々しかったアシェルがこんなに大人しくなって帰ってくるから、もうビックリしたのなんの。でもアシェルのなかのドロドロした復讐心が片付いたんなら、これからのことはゆっくり考えればいいよ。ね?」
「うん。なんか……変わってないようで、みんな変わってるのね」
「何言ってんの、一番様変わりした人が」
「そうかな……」
「ほら、元気出して!」
「うっ……わかった、わかったから離れて!」
こっちから引き剥がさないと、ラウナはいつまでもくっついたままだ。でも幾分か元気をもらったことも確かなわけで……こういうところは昔のままだ。
(なんか………ここに戻ってきて、よかったのかな)
生まれ故郷はとうになく、人としての居場所ももはやなくなってしまった。だが―――ここは私を迎え入れてくれる。
(マークス兄ちゃんが死んで、彷徨っていた私を拾ってくれて、たくさん迷惑をかけて一年足らずで出ていったのに、忘れずに、また私に居場所をくれるんだ……)
サムギラグムの優しさを感じて、涙が出そうになる。そして、己の異質さが際立っていることも再認識する。
(私は、ここにいていいのかな……)
と、寺院の寮が見えてきたとき―――
「キャーッ!」
「…!」
悲鳴が聞こえてきた。次いで、何人かがこっちへ逃げてくる。
「何!? どうしたの!」
「わかんないけど、突然ヤーマがおかしくなって、すごい力で暴れまわってて!」
「ええっ…!?」
アシェルの背筋に悪寒が走る。事情はわからないが、その「原因」は自分以外に在り得ないのではないか!? 根拠も覚えもないがそう思ってしまう。
「ラウナ、持って」
「え、あっ…と」
壊れた弓矢と獲物、その他の荷物をラウナに押し付けて、ナイフだけは腰につけておく。狩猟用に借りたナイフは剣に比べて頼りないが、万が一ということもある。
「ヤーマを止めてくる。ラウナはみんなをお願い」
ラウナの背を押して騒ぎの中心地である寮棟へ向かうと、ミラム寮長がヤーマを正面に据えながら、皆に指示を出していた。
「年長者は近くの子を連れて本殿のほうへ避難しなさい! 聖護盾の術を行使できる者は固まって避難者のフォローを!」
声を出しながらミラムは聖域結界を繰り出すが、ヤーマの動きが速すぎて捕捉しきれない。
「寮長、私が抑えます!」
「あっ…待ちなさい、アシェル・ミロー!」
寮長の制止を聞かず、アシェルはヤーマに肉迫する。
「ぐッ―――アッ!」
振り上げたヤーマの細腕が石壁にヒビを入れる。
(何、この力は…?!)
余りにも常軌を逸した身体能力―――だが、自分なら!
変則的なヤーマの動きに追いつくと、両肩を掴んで押さえ込む。
「ヤーマ! しっかりしなさい!」
「うゥ……うアアッ!」
「うく…っ!?」
ヤーマがアシェルの腰のナイフに手を伸ばし、アシェルは右腕を切られた。
「ちぃっ!」
すかさずナイフを手刀で叩き落すと、ヤーマは寮の屋根へと跳び上がり、本殿へ逃げようとする。
「この……止まれっ!!」
「―――!!」
言霊呪法―――見えない壁に当ったようにビクンと動きを止めるヤーマ。その間にアシェルもまた大きく跳躍し、背後から腕を掴み上げて拘束する。
「寮長!」
「凍てつく闇を解く千条の光輝よ……!」
ミラムの法術は迅速・的確・高効果。実際に不死族と対峙したこともあるらしいのだから、その実力は折り紙つきだ。離れた見えにくい位置でありながらも、ピンポイントで浄化の法術陣が二人を囲む。
「アッ…グ…ガアアッ…!」
ヤーマの顔から険気が薄れていき、効果てきめんのようだが……
「あぅ…!?」
アシェルの身体にも異常が現れた。
(身体が……熱い…っ!?)
ふらりと意識が途切れそうになるのを必死に堪えたその時、ヤーマを掴んでいた左手の指輪が反応する。
「これは……あ……?」
膝から力が抜けて、足を踏み外した。
(やばッ…)
悲鳴が上がったのが聞こえた。屋根から落ちた―――。
「アシェル!」
駆け寄ってきたのは、追いついてきたラウナだ。
「痛っ……大丈夫。ヤーマを診て…」
ヤーマの額にミラムが手を翳し、小さく法術を施す。反応があるようならば浄化は失敗ということになるのだが、何とか上手くいったようだ。
「ヤーマは大事ありません。念のため隔離部屋へ移して様子を見なさい。それから各部屋の室長は人数を確認し、ケガのある者は診療院へ。その後、私のところへ状況を報告しに来るように!」
ミラムの指示で修道女たちは方々へあたふたと散っていく。しかしラウナが一人、アシェルの元から動かない。よく見たら涙ぐんでいる。
(全く……)
アシェルは身体を起こしてラウナの肩を叩いた。
「ほら、ラウナも行って」
「でもアシェル、腕が……それにヤーマを庇って落ちて……」
「大したことないって、これくらいは。それに寮長もいるし……ね?」
「うん……」
相変わらず涙もろい……。離れていくラウナの後姿を苦笑して見送ると、ミラムに厳しい視線を当てられた。
「アシェル・ミロー……なぜ勝手に飛び出したのです」
「す…すみませんでした。ただ、この場で取り押さえられるのは自分だけだと思ったので……」
「その過信の結果がそのケガです。診せなさい」
「あ…いえ、これは…」
アシェルの右腕をとったミラムは眉を顰めた。血を拭うと、切られたはずの傷がない。
「………」
「あの…」
「……先ほどの言霊呪法も以前とは比べ物になりませんでしたが、それよりも屋根に一跳びしたことのほうが驚きました。そしてコレ………どうなっているのかしら?」
「……お話します。寮長と修道長には、ちゃんとご説明しなければなりません。私が、どうなってしまったのかを」
深夜にそっと扉をノックする。
「アシェルです…」
「お入りなさい」
アラレイの部屋からミラムの固い声が返ってくるのに少し抵抗があったが、戸惑う必要などない。ただ静かに、ドアを開けるだけだ。
部屋に入るとミラムがアシェルの持ち物に対して顔を顰めたが、とりあえずその場は黙していた。
「さて来たね。まずはそこにお座り」
アラレイが差し出したマットに座り、アシェルは顔を伏せる。無償で受け入れてくれたアラレイの顔を正面から見るのが辛い。
「まずは……ヤーマがああなった原因から聞くのが先ですね。アシェル、貴女には心当たりがあるようですが」
ミラムの問い掛けに対し、アシェルは手持ちの物を――――フェイムの短剣を差し出した。
「理屈はわかりませんが、原因はこれです。ヤーマは私の部屋を作っている最中に誤ってこの短剣で手を切り、その直後におかしくなりました」
「確かに、ヤーマの左手には小さな切り傷がありました。しかし、もし貴女の言うことが正しければ、問題はその剣です。あれは魔劾化……強烈な瘴気に当てられた時などに見られる擬似不死族状態です。余程高位の不死者が魔力を行使しない限り、在り得ない状態なのですよ」
「…………」
擬似不死族とは、強大な魔力に中てられたことで正気を失うことだ。一時的なものだが、思考能力と自制心を喪失し、肉体の限界以上の力を発揮させる。痛覚を含む全神経が麻痺してしまうため取り押さえることも容易ではない。魔力の毒を中和する法術が確実且つ唯一の有効手段といっていい。
「今回は症状も軽く、対応も早かったから良かったものの、もし私も貴女も修道長もいなかったらどうします。ケガどころじゃ済まなかったかもしれないのですよ」
「………すみません」
ミラムの言葉が重い……。
「まあ、とりあえずはいいじゃないか。大事無かったんだし」
「いいえ、危険を持ち込んだことに問題があります」
今日ばかりはアラレイのフォローもピシャリと断ち切るミラム。
「そもそもこのような呪具を持ち歩いていること自体、気が知れませんわ。どういう経緯で手に入れたのです。この短剣と……あの力を」
「……お話します」
アシェルは二人の前で旅の経緯を話した。フェイムと共に旅をしたこと、エデアとマレルの二人に出会ったこと、仇であったザクルムと戦ったこと、不死者の王に目をつけられたこと――――全てを。
「むぅ…」
「そんなことが……」
アラレイは唸り、ミラムは目を剥く。しかし事実、アシェルはミラムの目の前で高い治癒能力を見せつけているのだ。
「私はもうどうしたらいいのか、わかりません……。足掻いて、返り血を浴びながら仇を討っても、それが全てディルノアークの手の上の茶番だった! マレルとエデアを死なせて、フェイムとアロンはわけわかんない間にいなくなって、消えて………私はこんな身体と力を得ても、何一つ報いることはできなかった! 自分が許せなくて、私………こんな……無様に生き延びているなんて―――っ!」
それ以上は言えなかった。言葉に詰まったからではない。ミラムの腕に抱きしめられていたからだ。
「深夜ですよアシェル。それに生きることを否定してはなりません……まして、貴女が大事な人に助けられて今日を迎えたのならば。いくら貴女が自分を許せなくても、ここにいる皆は貴女のことを認めているのですよ。だから………今日は悔しくても、明日は笑顔で迎えなさい」
「でも、私は…」
「でもも勝手もありません! 貴女はこれまで不死者に運命を狂わされ続けてきた。でも、今日まで戦い続けてきたのでしょう!? 負けてはいけません!」
「あ……く…」
涙が一粒落ちると、ミラムは自らの胸にぐっとアシェルを抱き寄せる。その腕の力強さがアシェルの心形を確かなものにして落ち着かせ、アシェルは堰を切ったように涙を流した。
「フ……強引な励まし方もあったもんだよ」
アラレイが微笑む。ミラムはアシェルをゆっくり撫でて、目を細めた。
「この娘は幼いころから不死者に付きまとわれてきたのです。復讐を望んだ気持ち……夫を殺された私にはわかります。だけどこの娘は復讐者にはなり得ない。人の思いを捨てることができず、背負っていってしまうのですから……」
ふと、ミラムは視線をアラレイに向けた。
「修道長………提案があります」




