第六話 ―その1―
冷たい風に煽られて、束ねた長い髪が尾のように靡く。
標高三千メートルを超えるここはほとんど植物が生えておらず、うねった斜面が続き、所々から噴気したしたかのように、大地が尖った頭を天に伸ばしている。一見して自然の壮大さを感じるが、見方を変えれば、天然にできた神殿のようでもある。
そして実際に、ここを神の聖地として構える場がある。ここに在り、ここで生き、ここを終とする。この寺院を囲むレンガの塀は、外的からの防御ではなく、自らを拘束するためにあるのではないか―――かつて、アシェルはそう口にしたことがあった。
「そこから出て、またここに戻る……。どうこう言えた筋合いじゃないな……」
塀に囲まれたこの寺院への入り口は一つしかない。特に門番がいるわけでもないが、アシェルはそこで立ち尽くしていた。
「……………」
「? ……どうかなさいましたか?」
若い女が駆け寄ってきた。一目でわかるカーキ色の修道服だ。
「これをアラレイ様に届けて欲しい」
修道女に手紙を渡す。
「明日の朝まで、ここで待つとお伝えください」
「はい……承りました」
女は少し怪訝そうな顔をして寺院の方へと歩いていく。が、すぐに踵を返して戻ってきた。
「あの……」
「え?」
「大丈夫ですか? かなりお疲れのようですが………お入りになられてはいかがです? もうすぐ日が暮れます。この地で夜に野ざらしでは………」
「……構わないわ。どうせ凍死なんてしない……」
「は…?」
「お気遣いなく。その手紙を届けていただければ結構」
強い口調で修道女を黙らせる。いや…少し睨みもしたか。
「で、では……すぐにお返事を頂いてきます」
小走りで修道院へ戻っていった。
「はぁ……」
塀を背もたれに腰を下ろした。
自分が嫌になる……。
サムギラグム寺院―――。
アシェルの「一人旅」は、二年前のここからだった。
七つの頃に生まれ故郷を滅ぼされ、十歳の時に不死者狩者のマークスに出会い、半ば強引に弟子入りした。不死者を倒す術を得るためである。
生まれた村は狩猟を生業としていて、アシェル自身にもそれなりの剣の才能があった。しかしアシェルは戦争することはできなかった。〝狩る〟ことと〝殺す〟ことは違う。それは狩猟民族に生まれたからこその、身に染みた教えである。不死者に対して狂いそうなほどの恨みを抱いていたが、いくら多少剣が使えるとはいえ、所詮は少女である。不死族どころか、大人の戦士にも到底敵わない。だからこそマークスの剣を必死に覚えようとしたのだ。
マークスは獣人を片手で屠るほどの恐るべき技を持っていたが、戦いには消極的な優男だった。しかも若く、どう見ても二十前後。だからこそアシェルにとって目指すべき目標だった。自分も近い将来に同等の力を得られる可能性を認めたからである。
とはいえ、その性格ゆえにマークスはろくに剣を教えてくれない。苛立つ時もあったが、微笑みの耐えない「マークス兄ちゃん」はアシェルの不満を受け流す一方だった。しかし次第にその笑みは安堵となってアシェルに馴染み、胸の内で暴れていた怨嗟の牙を少しずつ削り取っていったのである。
だが。
その時は突然訪れた―――いや、必然だったのだろう。
人間に害なす非道な不死者のみを葬ってきたマークスだったが、不死者にとってみればマークスこそ人外の獣である。不死者に対して好戦的ではないが、脅威であることに変わりない。剣一つで不死族に拮抗する超人・マークスを排除しようという黒い意志が、不死者の間で動いたのである。
怖れを抱く者は小心な三下不死族ばかりだったが、数だけは多かった。押し寄せる無数の敵と戦い続けたマークスは人間の活動限界を超えていただろう。しかしそれでいてなお、強靭無比な戦いぶりだった。ただ、唯一弱点があったとすれば――――それは「アシェル」だった。100時間を不眠で戦い続けた男は、アシェルを庇って力尽きたのである。
血を吐き、倒れるマークスを前に、アシェルはただ呆然とした。そんな力のない笑みで剣を託されても、どうしたらいいかわからない。涙は出なかった。死の匂いには慣れている。でも……絶望しないはずもない。怒りが沸き立たないはずもない。
アシェルの心は荒れ狂い、理性は凍った。ただただ冷徹に、どうやったら不死者をこの剣で貫けるか、そのことばかりを考えた。一度は獣人の群れに飛び込み、半死半生で逃げ帰ったが、諦めはしない。この手で不死者に復讐してやる―――その一念のみを胸に剣を振るい続けた。
しかし腕が上がっていっても、村を滅ぼした不死者の居所はようとして知れない。不死者を相手にするハンターは滅多にいないし、対不死族機関を擁している聖守護教会では門前払いを喰らう。身元云々よりも鬼気とした形相のほうがその原因なのだが、当時のアシェルが気付くはずもない。アシェルは猛獣のような殺気を撒き散らし、燃え盛る怒りを持て余しながら疲弊し、ついにサムギラグムに辿り着いた。
今にしてみれば、寺院の修道女たちは手負いの獣に触れる思いだっただろう。しかしそれでも辛抱強く面倒を見てくれたのは、アシェルと同じような辛苦を味わっていたからだ。それを知らずしてただ一人尖っていたことのなんと恥ずかしいことか。
アシェルの朽ちかけた心はここで再び温かみを取り戻し、地獄のような不安から解放された。また、言霊呪法というもう一つの才能を見出されたことによって、新たな力と自信を得たのだ。
安らぐ日々だった。悲しみを背負い、乗り越えることを教えてもらった。
そのままここで生涯を過ごすことも出来たかもしれない。
でも、恨みの火は消えなかったから………
アシェルは復讐を果たすべく旅立ったのだった。
そして――――
「あの……お待たせしました」
三十分ほど経ったのだろうか。さっきの修道女がアシェルの後ろに立っていた。
(眠ってた……?)
よくわからない。何も考えずにぼうっとしていたのは確かだが。
「返事を頂いてきました」
差し出された紙を広げて一読すると、アシェルは目を細めてすぐに折りたたんだ。
「ありがとう。助かったわ」
「あと、これを……」
修道女が差し出したバスケットにはパンと干し肉とミルクが入っていた。
「修道長がこれを……?」
「いえ……」
「私は、施しを受けに来たわけではないわ」
「あ…すみません、そういうつもりじゃ……」
修道女は慌てて目を伏せ、差し出したバスケットを引くこともできないほどうろたえているようだった。
アシェルは溜息一つ吐いて受け取る。
「貴女、まだここに来て一~二年でしょう。他人に施すのが道だとでも教えられた?」
「そういうわけではありませんが………アラレイ修道長様に教わりました。私はここに着くまで酷い目にあってきました。ここにいらっしゃる方々からしてみれば大した事ではないのですが、それでも私にとっては耐え難い苦痛でした。ですが、決して恨んではならないと。憎しみを撒き散らせば、その分悲しみが増します。だから受けた苦痛は慈愛に変えて分け与えなさい、と」
「……………」
「あっ…すみません。未熟者の私が受け売りで偉そうなことを……」
「いや……貴女の言う通りよ。それに実践しているだけ、貴女の方が私より正しく生きている……」
「あの……?」
「食べ物をありがとう。早く戻りなさい」
「はあ……」
修道女は頭を下げてその場を後にしたが、ふと気が付いた。
「あの人、どうして私がここに来て間もないと知っていらっしゃったのかしら?」
夜も深く、日付が変わる0時前。修道女を束ねるミラム寮長は、アラレイ修道長の部屋に明かりが点いたままなことに少し驚いた。
「修道長? ……失礼します」
返事を待たずにそっとドアを開ける。修道長は普段の足取りこそ軽快だが、すでにいい歳だ。何かが起きた時――――全く想像できないが、その何かというのを、常に頭の片隅においておかねばならない。それが寮長たる自分の役目であるとミラムは自覚している。
そんな心配をよそに。赤い壁の部屋で床に座していた修道長は、何食わぬ顔でミラムに振り向く。
「まだ起きていらっしゃるのですか?」
「少し、眠れなくてねぇ」
「………今日は誰かの懺悔をお聞きになる日でしたか?」
「そうなのかね?」
「…あまりご無理をなさらないで下さい。夜更かしでお体に触られては、修行している者に示しがつきませんので」
「アンタも無理しちゃダメだよ。歳をとるとすぐ肌に出るからね」
「…………」
「ハハ、冗談だよ。だけど眉根の皺は、一度出来ると厄介だよ? まだまだ綺麗なんだから」
「全く……失礼します」
顔をしかめたミラム寮長の足音が遠ざかってきっちり三十秒後、そっとドアを叩く音がした。
「誰だい?」
「アシェル・ミローです」
「お入り」
「失礼します……」
ドアを開けて姿を現したアシェルを見て、アラレイはわずかに眉を顰めた。
「お久しぶりです」
「大分まいっているようだね……前よりも酷い顔だよ」
「……昼間会った娘にも言われました」
「そうかい。お座り」
促されてアシェルは剣を脇に置き、静かに座った。
「みんなは……元気ですか?」
「そうさね、元気だよ。新しい娘が何人か入った以外は変わりない。あのミラムだって全く衰えちゃいないからね、夜の見回りを掻い潜った者は一人もいないさ……アンタを除いてね」
「自慢できることじゃありません」
アシェルは失笑するだけだ。
「……それで? 旅はどうだったんだい?」
「……」
「二年近く旅をして、憎しみは晴れたかい? 復讐は果たせたのかい?」
「………………」
アラレイはカップに茶を注いで一口飲む。
復讐など不可能なことなのだ。いくらか剣が扱えて、おまけのように言霊呪法が操れる……その程度なのである。不死者と聖者は価値として比べるべくもないが、存在としての階位は同等である。その域に達しない者がどれほど抗おうとも、一人でどうこうなるものではないのだ。
しかし―――
「復讐は………果たしました」
思いも寄らないことをアシェルが口にして、アラレイはカップを倒してしまった。
「私が直接手を下したわけではありませんが……結果としては同じようなものです。その他にも、何人も不死者を滅ぼしたんです。配下の獣人やゴーレムは数え切れないほど………信じられます!? 私が不死者を打ち倒したんです! この手で、この剣で! 滅ぼせる力を手に入れたんです。私が……不死者の血を飲んで、力を得たから……!」
「それで、一目を避けて会いたいなんて手紙を寄こしたのかい……馬鹿なことを!」
涙をこぼすアシェルの頭を撫でるアラレイの手は皺だらけだったが、暖かくて優しい。その掌の感触に、アシェルはいよいよ溜まった感情を吐き出した。
「私の手は血だらけです! だから…もう、来ないつもりだったんです。でも、私……どうしたらいいのか、わからなくて……!」
「わかったよ。でも無事でこうして会えたんだ、もうお休み。先のことは、じっくり考えればいいさね」
「はい……」
更新です。「アルタナ外伝」のほうも本日更新してますので、お初にお目にかかる方はそちらもよろしければ。
このシリーズ、実はいくらか書き溜めてる分があるのですが……アルタナシリーズに比べれば文章が丁寧ですよね、ホントに。ちゃんと見直して書いた分練りこまれているというか。登場人物の数が圧倒的に違うこともありますが(苦笑)。




