『暗雲の解』
帝都ラーナ。絢爛たる白亜宮から目と鼻の先、広大な敷地にそびえ立つ重厚な館があった。政商として帝国の経済を動かす「リヴィエール商会」、そして中央銀行としての役割すら果たす「リヴィエール銀行」。その双方を統括するリヴィエール本家――財団の本拠地である。
重厚な調度品で整えられた応接室には、静寂と緊張感が満ちていた。理事長レオン・リヴィエールの妻であり、財団の実務と情報網を支えるベルナデット。凛とした品格を漂わせる貴妃セシリア。そして、深く思索に沈むココロギ。三人による密談が執り行われていた。
「貴妃様、ご依頼いただいていた調査の報告でございます」
ベルナデットは手元に用意した厳重な資料を広げると、知的な眼鏡の奥で鋭い眼光を光らせた。
「市場の動向において、紫水晶の取引が不自然なほど顕著になっております。他の宝石類が軒並み価格を下げているのに対し、紫水晶だけはわずかですが着実に価格を切り上げているのです」
「紫水晶……」
ココロギが言葉を反芻し、半ば上の空の独り言のようにぽつりと呟いた。「誠実、心の平和、高貴、真実の愛……」
宝石が持つ美しき石言葉をなぞるココロギに対し、セシリアはどこか自嘲気味な苦笑を浮かべた。
「彼らが悪事に使っているのだとすれば……意味は正反対ね。虚偽、苦悩、卑賤、偽りの愛、といったところかしら」
場をやわらげるようなセシリアの言葉に、ベルナデットは深く肯き、さらに裏付けとなる詳細を重ねた。
「紫水晶は、教団が各地でばら撒いている宝石にも含まれています。本来なら市場での流通量は膨大であり、価格は下がるはずなのです。にもかかわらず値が上がっているということは、どこかの組織がそれを上回る相当な量を買い占めている証拠にほかなりません」
ベルナデットは資料のページを繰り、さらに不可解な二つの品目を指し示した。
「加えて、見過ごせない怪しい取引がふたつございます。『神古銀鉱じんこぎんこう』と『紫光巻貝しこうまきがい』です」
「神古銀鉱と紫光巻貝……? 初めて耳にする名ね。どのようなものなの?」
セシリアが首をかしげると、ベルナデットは声音をひときわ低くした。
「神古銀鉱は、目に見えない“何か”を常時放出している正体不明の鉱物です。手をかざすと、仄かな温かみを感じると言われています。採掘場所も定かではなく、用途も不明。それにもかかわらず、裏社会では莫大な金額で取引されているのです」
一息置き、ベルナデットはもう一つの品目についての説明を続けた。
「そして紫光巻貝ですが……こちらも極めて高額です。やや深い磯に生息し、紫色に発光する珍しい巻貝なのですが、その内臓から採れる特定の分泌液精製品が目的とされています。希少性が尋常ではなく、わずか1グラムの物質を得るために千個以上の貝を潰さねばなりません。このような品を大金で買い漁る理由が解明できず、極めて危険な動向であると看破しております」
静まり返る室内に、セシリアの小さなため息が落ちた。
「謎の鉱物に、特殊な貝の分泌液……。たとえそれらの情報を私たちが集めたところで、彼らが何を作り出そうとしているのか、その製法までは分からないわ。八方塞がり、打つ手無しということかしら……」
重苦しい沈黙が落ちようとしたその時、ココロギが静かに口を開いた。
「……これは、私の推測に過ぎないのですが」
二人の視線がココロギに集まる。
「人の持つ“色”も、関係しているのではないでしょうか?」
「人の持つ色?」
首をかしげるセシリアに、ココロギは言葉を繋いだ。
「はい。例えばセシリア様で言えば『黄色』です。思い出してください、あの3月の襲撃事件の際、彼らの狙いは明らかにセシリア様お一人でした。紫という属性にとって、真に対立し脅威となるのは『黄色』なのです。単なる気のせいでしょうか……?」
その言葉は、暗闇の中に一筋の閃光を走らせた。ベルナデットが即座に思考を巡らせる。
「黄色の宝石、あるいは黄金、金糸……それらを対抗策として試してみてはいかがでしょうか?」
「そうね……」
セシリアの瞳に、かすかな光が宿った。彼女は胸に手を当て、何かを確かめるようにゆっくりと立ち上がった。
「それと……もう一つ、素晴らしい考えが浮かんだわ。黄色で、そしてとても強いものを、私たちはすでに知っているはずだもの」
「黄色で、強いもの……ですか?」
首をかしげる二人に対し、セシリアはふっと柔らかく、だが確信に満ちた笑みを浮かべた。
「ええ、そうよ。なんだか、とても良い予感がしてきたわ」
暗雲が立ち込めていた密談の場に、先ほどまでの停滞感はもうなかった。セシリアの晴れやかな表情が、迫り来る陰謀を打ち払う希望の兆しを物語っていた。
■ 登場人物一覧表
エミーナ・リヴィエール
セシリアの元侍女で、ルミナリア・リヴィエールの血脈を引き異能の力を持つ。
セレスティア親王軍の水明艦隊特攻隊長として数々の海戦で戦功を挙げ、「東海の鬼女」と恐れられた。後にアレスと結婚する。
アレス・マクウェン(アレス・サイリュン / 崔亜無)
15歳で志願兵として入隊後、航海長や艦隊副長を歴任し出世した優秀で勤勉な人物。
エミーナと結婚し、ツルギとミタマの父となる。教皇ゲンドラス・サイリュンの息子で、ココロギの異母兄。
ツルギ・マクウェン(ツルギ・サイリュン / 崔剣)
アレスとエミーナの息子(12歳)で、ミタマの双子の兄。男子としては珍しく異能力を発現させ、戦士としての才能を発揮している。崔厳の孫。
ミタマ・マクウェン(ミタマ・サイリュン / 崔御玉)
アレスとエミーナの娘(12歳)で、ツルギの双子の妹。リヴィエールの血を引き、12歳にして高度な水術や「新星爆発」などの技を扱う。崔厳の孫。
ルシア・フォン・セレスティア
アルヴェリア親王国王女で、「四つ葉の錫杖」を振るう圧倒的な強さを持った騎士・戦士・巫女。
戦死後、皇太子の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たした。
ココロギ・サイリュン(崔心木)
「真理の光教団」の巫女で、後宮の礼拝堂「四つ葉堂」に住まう。教皇ゲンドラス(崔厳)の実娘。
リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」などの異能を持つ。
セシリア
帝国後宮の「貴妃」で、水明宮に居住するルシアの実母。古琴の名手であり、リヴィエールの血を引く気品と冷徹さを併せ持つ傑物。
シェルランテ
皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(中身はルシアの復活体)。「白鷺姫」と呼ばれ、宝物や巨大なマグロを出現させる能力、千里眼、空間跳躍などの異能を持つ。
イリアード
第15代皇帝で、ルシアの実父。かつて「軍神」と称されたが、現在は孫のシェルランテを溺愛している。
リゼリア
帝国の後宮最高権力者である「皇后」で、水鏡宮に座す。
冷静沈着な頭脳と高い威厳を持ち、公平に後宮を取り仕切る。
シルヴィア
春宮(白鷺宮)に住まう若き皇太子妃で、シェルランテの母。
夫の不始末に悩んでいたが、二人目の子(男児)を妊娠する。気前が良く配下の宮女たちにも優しい。
ゲンドラス・サイリュン(崔厳)
聖ゲンドラス教国の教皇で、ココロギとアレスの実父。超常的な力は持たないが、高い政治統治能力を持つ一流の政治家・亡国の元宰相であり、僭王であった。
ヴィオ
ルシアに引き取られ鍛え上げられた側近・従者で、仕込み錫杖による二刀流の使い手。
紫の儀式で憑依を受け、ルシアを刺した後にリアムに斬られ絶命した。
ビー・スー
ルシアに付き従う側近で、南部の孤島の王国末裔。
ディヌイヤ・ラーナ公国で「真理の光教団」の司教を務め、丸盾と短めの錫杖を扱う。
ヴォルフラム
「真理の光教団」の枢機卿で、エルサ・ルーメン大司教座聖堂に赴任している切れ者。元は吟遊詩人・達人の剣士。
アルル
水鏡宮(水明宮)の女官で、セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を担う。
ベルトト
皇后付き女官長を務める女性で、ベルナデットの妹。非常に優秀で「さすがベルトト」と称賛される。
リアム
皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子の皇太子で、武芸に非常に長けている。
女官エレノアの手を出したことでココロギや妻シルヴィア、娘シェルランテからも冷遇・疎外されている。
エレノア
リアムと関係を持った元平民出身の女官。芙蓉宮に住まい、奉儀から昭訓へ昇格・懐妊した。
■ 用語集一覧表
真理の光教団
ゲンドラス・サイリュンを教祖としてルシアが設立した宗教組織。紋章は四つ葉のクローバー。
心木(しんぎ / こころぎ)
真理の光教団の教義において、宇宙の中心にそびえ立ち全生命の魂と心を繋ぎ止める世界樹。
四つ葉のクローバー
教団や聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルで、「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
四つ葉の錫杖
ルシアが愛用する片手剣のように扱う片腕ほどの長さの錫杖。
神秘札しんぴふだ
ココロギが集中して創り出す札で、未来の出来事や真実が絵と文面で浮かび上がる。
六棘の霜華ろっきょくのそうか
「霜華の女王ルシア」を象徴する結晶の紋章で、義賊組織の名称でもある。
白紅百合はぐぐゆり
アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様(白紅はルシア、黄色はセシリア)。
リヴィエール一族 / リヴィエールの血
異国の漂流民の血を引くとされる土豪の一族。美貌と空間跳躍などの強い異能の発現が特徴。
アンチアルマ
七十万もの軍勢が激突した、古都アンチアルマ周辺の広大な戦場平原。
アルストラーナ帝国
『偉大なるラーナ人の国』。文明発祥の地とされる古都ラーナを首都とし、帝政に以降してから320年強の歴史をもつ。
グラッデェ
強靭な騎馬民族。
聖ゲンドラス教国
ゲンドラス・サイリュンを国家元首とする「真理の光教団」の国家。首都はクリスタルヘイム。
ルミナリア
「花の都」と呼ばれる都市で、セシリアの故郷・ルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
翡翠宮ひすいきゅう
後宮の最奥にあり、皇帝イリアードが生まれた居館。
水鏡宮すいきょうきゅう
後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
水明宮すいめいきゅう
貴妃セシリアの居館。
四つ葉堂よつばどう
後宮の片隅にある教団の礼拝堂で、ココロギの住まいでもある。
東宮
皇太子リアムの居館
春宮
皇太子妃シルヴィアの居館(別名:白鷺宮)。
芙蓉宮ふようきゅう
昭訓エレノアの住まう館で、大量のカラスが集まることから「カラス屋敷」と陰口を叩かれている。
政教商の一致
ルシアが目指した思想で、宗教(真理の光教団)・国家(セレスティア/聖ゲンドラス)・経済(リヴィエール商会)・義賊(六棘の霜華)を連動させ、世の中の歪みや貧富の差を還流・是正する仕組み。




