『月下に光る錫杖』
六月の終わり、夜気を含んだ風が静けさに満ちた後宮をなでていく。深夜、深閑とした敷地の一角にある礼拝堂の窓から、ぽつりと小さな明かりが漏れていた。
このような時刻に火が灯っていれば、怪しげな秘密の儀式や、あるいは霊的な何者かの蠢きを疑われても文句は言えまい。そして実際、ある意味では「不穏な企て」がその中で進行しているのも事実であった。草むらに潜むクローバー畑のうさぎ達さえも夜の異変に眠れず、耳をそばだて、心配そうに建物の様子を覗き込んでいるのだった。
静寂が支配する堂内には、ふたつの影があった。四つ葉堂の主と、水明宮の主――。二人は膝を突き合わせ、必要以上に声をひそめて密談を交わしている。
「ぬ! 盗む……うぐっ!?」
思わず声を上げたココロギの口を、セシリアはあわててその華奢な手で塞いだ。もう片方の手で、目の前にすっと人差し指を立てて制する。
「人聞きが悪いわ。ちゃんと後で返却するのよ。……でも、もしバレたら二人とも死刑かもしれないけれど」
「し、ししししし、死刑ですかっ!?」
ココロギは驚愕のあまり目を丸くし、声にならない悲鳴を漏らした。そして咄嗟に祭壇へと向き直ると、両手をきゅっと合わせて祈りを捧げ始める。
「ああ、神様! お母様! 先立つ親不孝な娘をお許しください……!」
「ちょっと、勝手に早まらないで! 大丈夫よ、きっと」
「本当ですか……? セシリア様……」
ココロギの大きな瞳は涙で潤み、ぬぐいきれない疑念の色を浮かべてセシリアを見つめた。
「大丈夫だから! もうこんな夜更けだし、そろそろ始めるわよ。いいわね?」
「はい……っ」
◇
二人の目の前に静かに横たわっているのは、国の宝とも称される神秘の至宝――『黄金の獅子剣』であった。本来ならばアルストラーナ帝国全軍の指揮権を与えられた者のみが手にすることを許される権威の象徴である。
昨年の『元会儀礼』で起きた痛ましい事件の折、紫の憑依を受けたロザリアと、それに立ち向かうイリアードが対峙したときのこと。張り巡らされた密閉の結界の中で、この剣が異様な黄金の輝きを放っていたのを目にした。当時のセシリアは、自身の異能の封印と妹ルネッタの身に迫る危機に動揺するばかりで、その現象の真価に気づく余裕などなかった。しかし後に、リヴィエール財団においてベルナデットと言葉を交わす中で、ふとその記憶が鮮明に蘇ったのだ。――あの剣には、結界の力さえも無効化する何かが秘められている、と。
セシリアとココロギには、「念創」と呼ばれる特別な能力があった。全く見知らぬものを無から生み出すことはできないが、一度目に焼き付けたものや明確にイメージできるものならば、その内側に秘められた構造や仕組みごと具現化することができるのだった。
しかし、全く同じ剣をそのまま複製するわけにはいかなかった。帝国において、この剣は唯一無二の存在でなければならないからだ。
そこで二人が導き出した答えは、教団の聖騎士たちが携える「錫杖」の形を借り、そこに『黄金の獅子剣』と同等なる秘術の効果を宿らせることだった。試行錯誤を重ね、やがて気品ある美しい錫杖が二人の手の内に完成をみた。
二人は静かにその錫杖を高く掲げ、全身の念を深く注ぎ込んでいく。注ぎ込まれた意識の深さに比例するように、錫杖は眩いばかりの黄金色の光を放ち、暗がりを温かく照らし出した。
こうして、誰も見たことのない未知なる新たな武器が、静寂の夜に産声を上げたのである。
ふたりは輝く光の中でそっと見つめ合い、確かな手応えとともに優しく頷き合うのだった。
■ 登場人物一覧表
エミーナ・リヴィエール
セシリアの元侍女で、ルミナリア・リヴィエールの血脈を引き異能の力を持つ。
セレスティア親王軍の水明艦隊特攻隊長として数々の海戦で戦功を挙げ、「東海の鬼女」と恐れられた。後にアレスと結婚する。
アレス・マクウェン(アレス・サイリュン / 崔亜無)
15歳で志願兵として入隊後、航海長や艦隊副長を歴任し出世した優秀で勤勉な人物。
エミーナと結婚し、ツルギとミタマの父となる。教皇ゲンドラス・サイリュンの息子で、ココロギの異母兄。
ツルギ・マクウェン(ツルギ・サイリュン / 崔剣)
アレスとエミーナの息子(12歳)で、ミタマの双子の兄。男子としては珍しく異能力を発現させ、戦士としての才能を発揮している。崔厳の孫。
ミタマ・マクウェン(ミタマ・サイリュン / 崔御玉)
アレスとエミーナの娘(12歳)で、ツルギの双子の妹。リヴィエールの血を引き、12歳にして高度な水術や「新星爆発」などの技を扱う。崔厳の孫。
ルシア・フォン・セレスティア
アルヴェリア親王国王女で、「四つ葉の錫杖」を振るう圧倒的な強さを持った騎士・戦士・巫女。
戦死後、皇太子の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たした。
ココロギ・サイリュン(崔心木)
「真理の光教団」の巫女で、後宮の礼拝堂「四つ葉堂」に住まう。教皇ゲンドラス(崔厳)の実娘。
リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」などの異能を持つ。
セシリア
帝国後宮の「貴妃」で、水明宮に居住するルシアの実母。古琴の名手であり、リヴィエールの血を引く気品と冷徹さを併せ持つ傑物。
シェルランテ
皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(中身はルシアの復活体)。「白鷺姫」と呼ばれ、宝物や巨大なマグロを出現させる能力、千里眼、空間跳躍などの異能を持つ。
イリアード
第15代皇帝で、ルシアの実父。かつて「軍神」と称されたが、現在は孫のシェルランテを溺愛している。
リゼリア
帝国の後宮最高権力者である「皇后」で、水鏡宮に座す。
冷静沈着な頭脳と高い威厳を持ち、公平に後宮を取り仕切る。
シルヴィア
春宮(白鷺宮)に住まう若き皇太子妃で、シェルランテの母。
夫の不始末に悩んでいたが、二人目の子(男児)を妊娠する。気前が良く配下の宮女たちにも優しい。
ゲンドラス・サイリュン(崔厳)
聖ゲンドラス教国の教皇で、ココロギとアレスの実父。超常的な力は持たないが、高い政治統治能力を持つ一流の政治家・亡国の元宰相であり、僭王であった。
ヴィオ
ルシアに引き取られ鍛え上げられた側近・従者で、仕込み錫杖による二刀流の使い手。
紫の儀式で憑依を受け、ルシアを刺した後にリアムに斬られ絶命した。
ビー・スー
ルシアに付き従う側近で、南部の孤島の王国末裔。
ディヌイヤ・ラーナ公国で「真理の光教団」の司教を務め、丸盾と短めの錫杖を扱う。
ヴォルフラム
「真理の光教団」の枢機卿で、エルサ・ルーメン大司教座聖堂に赴任している切れ者。元は吟遊詩人・達人の剣士。
アルル
水鏡宮(水明宮)の女官で、セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を担う。
ベルトト
皇后付き女官長を務める女性で、ベルナデットの妹。非常に優秀で「さすがベルトト」と称賛される。
リアム
皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子の皇太子で、武芸に非常に長けている。
女官エレノアの手を出したことでココロギや妻シルヴィア、娘シェルランテからも冷遇・疎外されている。
エレノア
リアムと関係を持った元平民出身の女官。芙蓉宮に住まい、奉儀から昭訓へ昇格・懐妊した。
■ 用語集一覧表
真理の光教団
ゲンドラス・サイリュンを教祖としてルシアが設立した宗教組織。紋章は四つ葉のクローバー。
心木(しんぎ / こころぎ)
真理の光教団の教義において、宇宙の中心にそびえ立ち全生命の魂と心を繋ぎ止める世界樹。
四つ葉のクローバー
教団や聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルで、「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
四つ葉の錫杖
ルシアが愛用する片手剣のように扱う片腕ほどの長さの錫杖。
神秘札しんぴふだ
ココロギが集中して創り出す札で、未来の出来事や真実が絵と文面で浮かび上がる。
六棘の霜華ろっきょくのそうか
「霜華の女王ルシア」を象徴する結晶の紋章で、義賊組織の名称でもある。
白紅百合はぐぐゆり
アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様(白紅はルシア、黄色はセシリア)。
リヴィエール一族 / リヴィエールの血
異国の漂流民の血を引くとされる土豪の一族。美貌と空間跳躍などの強い異能の発現が特徴。
アンチアルマ
七十万もの軍勢が激突した、古都アンチアルマ周辺の広大な戦場平原。
アルストラーナ帝国
『偉大なるラーナ人の国』。文明発祥の地とされる古都ラーナを首都とし、帝政に以降してから320年強の歴史をもつ。
グラッデェ
強靭な騎馬民族。
聖ゲンドラス教国
ゲンドラス・サイリュンを国家元首とする「真理の光教団」の国家。首都はクリスタルヘイム。
ルミナリア
「花の都」と呼ばれる都市で、セシリアの故郷・ルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
翡翠宮ひすいきゅう
後宮の最奥にあり、皇帝イリアードが生まれた居館。
水鏡宮すいきょうきゅう
後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
水明宮すいめいきゅう
貴妃セシリアの居館。
四つ葉堂よつばどう
後宮の片隅にある教団の礼拝堂で、ココロギの住まいでもある。
東宮
皇太子リアムの居館
春宮
皇太子妃シルヴィアの居館(別名:白鷺宮)。
芙蓉宮ふようきゅう
昭訓エレノアの住まう館で、大量のカラスが集まることから「カラス屋敷」と陰口を叩かれている。
政教商の一致
ルシアが目指した思想で、宗教(真理の光教団)・国家(セレスティア/聖ゲンドラス)・経済(リヴィエール商会)・義賊(六棘の霜華)を連動させ、世の中の歪みや貧富の差を還流・是正する仕組み。




