『転生姫の白鷺宮とカラス屋敷』
後宮の裏手に位置する洗浄所せんじょうしょには、朝から冷たい水音と、衣類を叩く木の棒の音が忙しなく響いていた。後宮じゅうから集められた絢爛豪華な衣装や日常着を洗い上げるこの場所は、下働きの宮女たちにとって格好の噂話の場でもあった。
「ねえ、聞いた? 芙蓉宮ふようきゅうのエレノア様、ご懐妊なんですって!」
大きな木桶で絹の衣服をすすいでいた若手の宮女が、周囲を気にしながら声をひそめた。水飛沫を散らしながら、隣で手際よく服を洗っていた先輩宮女が呆れ顔で鼻を鳴らす。
「ええ、知っているわよ。奉儀ほうぎエレノア様でしょう? 正九品から正七品の昭訓しょうくんへ昇格されるそうね。……まったく、元は私達と同じ平民出身の女官だったのに、大出世だこと」
「最初は皇帝陛下に色目を使って、まるで相手にされないと分かった途端、狙いを皇太子様に変えたのでしょう? 自分の美貌に相当自信があるみたいだけど、節操がないというか……」
「しっ、滅多なことを言うもんじゃないわ。どこで誰が聞いているか分からないのよ」
年長の宮女が注意しつつも、手元を止めずに言葉を足した。
「でもね、皇后様は、お気に召さなくても筋を通してちゃんと昇格の手続きを進めておられるそうなの。本当にお聡明で公平なお方だわ。それに、皇太子夫婦の住まいを最初から東宮と春宮に分けておいたのも大正解だったわね。あのようなお方と同じ屋根の下で暮らさせられたら、シルヴィア様のお心が休まらないもの」
「本当にそうですよね! シルヴィア様はお優しくて、今二人目をご懐妊中でしょう? 応援したくなっちゃうわ」
「そういえば、シルヴィア様が暮らす春宮しゅんぐう……『白鷺宮はくろきゅう』の噂は聞いた? 今朝も大変だったらしいわよ」
別の宮女たちが興味津々で耳を傾けると、話を振った宮女が得意気に語り始めた。
「シェルランテ様を身ごもられた頃から、純白の大きな白鷺が住み着いたでしょう? だから『真珠のような鳥』という意味でシェルランテ様と名付けられて『白鷺姫』なんて呼ばれているけれど、あの姫様の怪現象、日に日に凄くなっているのよ! 毎朝、お部屋の横に溢れんばかりの宝物が生み出されるんですって」
「まあ! 羨ましいわねぇ」
「羨ましいのはそれだけじゃないわ。なんと今朝、様子を見に行った女官が部屋に入ったら、シェルランテ様の真横に『巨大なマグロ』が添い寝していたそうなの!」
「ええっ!? マグロ!?」
洗浄所に驚きと爆笑が巻き起こった。服を叩く手が一瞬止まる。
「そうよ! 女官は腰を抜かして大悲鳴を上げたんですって。でもね、シルヴィア様は本当にお気前が良くて、シェルランテ様が生み出した上質な綿布や高級な絹、宝石を、私達みたいな下働きの者にも惜しみなく配ってくださるの。だから春宮で働く子たちはいつも華やかで、活気にあふれているわね」
「ああ、私も春宮に配属されたかったわ……。だって、芙蓉宮の噂といったら……」
誰かがそう呟くと、場の空気が一転して重くなった。芙蓉宮——エレノアの住まう館の話題だ。
「あそこ、本当に凄まじいわよね。何故かカラスが大量に集まってきて、糞害はもちろん、仕える女官に襲いかかって突っついたりするんですって。毎日のように駆除や殺生が行われているけれど、全然減らなくて……。みんな陰で『カラス屋敷』って呼んでいるわ」
「エレノア様がいつも他者を見下して、キーキー威張り散らしているから、カラスを引き寄せているんじゃないかしら……」
「おーい! お喋りばかりしてないで手を動かしなさい! 洗濯物が山ほど残っているわよ!」
遠くから世話係の威勢の良い声が飛んできた。
「はーい!」
宮女たちは顔を見合わせてくすくす笑うと、再び水飛沫を上げながら服を洗い始めた。白鷺の祝福を受ける春宮と、カラスの影が落ちる芙蓉宮。後宮の明暗に思いを馳せながら、宮女たちの賑やかな朝は過ぎていくのだった。
■ 登場人物一覧表
エミーナ・リヴィエール
セシリアの元侍女で、ルミナリア・リヴィエールの血脈を引き異能の力を持つ。
セレスティア親王軍の水明艦隊特攻隊長として数々の海戦で戦功を挙げ、「東海の鬼女」と恐れられた。後にアレスと結婚する。
アレス・マクウェン(アレス・サイリュン / 崔亜無)
15歳で志願兵として入隊後、航海長や艦隊副長を歴任し出世した優秀で勤勉な人物。
エミーナと結婚し、ツルギとミタマの父となる。教皇ゲンドラス・サイリュンの息子で、ココロギの異母兄。
ツルギ・マクウェン(ツルギ・サイリュン / 崔剣)
アレスとエミーナの息子(12歳)で、ミタマの双子の兄。男子としては珍しく異能力を発現させ、戦士としての才能を発揮している。崔厳の孫。
ミタマ・マクウェン(ミタマ・サイリュン / 崔御玉)
アレスとエミーナの娘(12歳)で、ツルギの双子の妹。リヴィエールの血を引き、12歳にして高度な水術や「新星爆発」などの技を扱う。崔厳の孫。
ルシア・フォン・セレスティア
アルヴェリア親王国王女で、「四つ葉の錫杖」を振るう圧倒的な強さを持った騎士・戦士・巫女。
戦死後、皇太子の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たした。
ココロギ・サイリュン(崔心木)
「真理の光教団」の巫女で、後宮の礼拝堂「四つ葉堂」に住まう。教皇ゲンドラス(崔厳)の実娘。
リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」などの異能を持つ。
セシリア
帝国後宮の「貴妃」で、水明宮に居住するルシアの実母。古琴の名手であり、リヴィエールの血を引く気品と冷徹さを併せ持つ傑物。
シェルランテ
皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(中身はルシアの復活体)。「白鷺姫」と呼ばれ、宝物や巨大なマグロを出現させる能力、千里眼、空間跳躍などの異能を持つ。
イリアード
第15代皇帝で、ルシアの実父。かつて「軍神」と称されたが、現在は孫のシェルランテを溺愛している。
リゼリア
帝国の後宮最高権力者である「皇后」で、水鏡宮に座す。
冷静沈着な頭脳と高い威厳を持ち、公平に後宮を取り仕切る。
シルヴィア
春宮(白鷺宮)に住まう若き皇太子妃で、シェルランテの母。
夫の不始末に悩んでいたが、二人目の子(男児)を妊娠する。気前が良く配下の宮女たちにも優しい。
ゲンドラス・サイリュン(崔厳)
聖ゲンドラス教国の教皇で、ココロギとアレスの実父。超常的な力は持たないが、高い政治統治能力を持つ一流の政治家・亡国の元宰相であり、僭王であった。
ヴィオ
ルシアに引き取られ鍛え上げられた側近・従者で、仕込み錫杖による二刀流の使い手。
紫の儀式で憑依を受け、ルシアを刺した後にリアムに斬られ絶命した。
ビー・スー
ルシアに付き従う側近で、南部の孤島の王国末裔。
ディヌイヤ・ラーナ公国で「真理の光教団」の司教を務め、丸盾と短めの錫杖を扱う。
ヴォルフラム
「真理の光教団」の枢機卿で、エルサ・ルーメン大司教座聖堂に赴任している切れ者。元は吟遊詩人・達人の剣士。
アルル
水鏡宮(水明宮)の女官で、セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を担う。
ベルトト
皇后付き女官長を務める女性で、ベルナデットの妹。非常に優秀で「さすがベルトト」と称賛される。
リアム
皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子の皇太子で、武芸に非常に長けている。
女官エレノアの手を出したことでココロギや妻シルヴィア、娘シェルランテからも冷遇・疎外されている。
エレノア
リアムと関係を持った元平民出身の女官。芙蓉宮に住まい、奉儀から昭訓へ昇格・懐妊した。
■ 用語集一覧表
真理の光教団
ゲンドラス・サイリュンを教祖としてルシアが設立した宗教組織。紋章は四つ葉のクローバー。
心木(しんぎ / こころぎ)
真理の光教団の教義において、宇宙の中心にそびえ立ち全生命の魂と心を繋ぎ止める世界樹。
四つ葉のクローバー
教団や聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルで、「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
四つ葉の錫杖
ルシアが愛用する片手剣のように扱う片腕ほどの長さの錫杖。
神秘札しんぴふだ
ココロギが集中して創り出す札で、未来の出来事や真実が絵と文面で浮かび上がる。
六棘の霜華ろっきょくのそうか
「霜華の女王ルシア」を象徴する結晶の紋章で、義賊組織の名称でもある。
白紅百合はぐぐゆり
アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様(白紅はルシア、黄色はセシリア)。
リヴィエール一族 / リヴィエールの血
異国の漂流民の血を引くとされる土豪の一族。美貌と空間跳躍などの強い異能の発現が特徴。
アンチアルマ
七十万もの軍勢が激突した、古都アンチアルマ周辺の広大な戦場平原。
アルストラーナ帝国
『偉大なるラーナ人の国』。文明発祥の地とされる古都ラーナを首都とし、帝政に以降してから320年強の歴史をもつ。
グラッデェ
強靭な騎馬民族。
聖ゲンドラス教国
ゲンドラス・サイリュンを国家元首とする「真理の光教団」の国家。首都はクリスタルヘイム。
ルミナリア
「花の都」と呼ばれる都市で、セシリアの故郷・ルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
翡翠宮ひすいきゅう
後宮の最奥にあり、皇帝イリアードが生まれた居館。
水鏡宮すいきょうきゅう
後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
水明宮すいめいきゅう
貴妃セシリアの居館。
四つ葉堂よつばどう
後宮の片隅にある教団の礼拝堂で、ココロギの住まいでもある。
東宮
皇太子リアムの居館
春宮
皇太子妃シルヴィアの居館(別名:白鷺宮)。
芙蓉宮ふようきゅう
昭訓エレノアの住まう館で、大量のカラスが集まることから「カラス屋敷」と陰口を叩かれている。
政教商の一致
ルシアが目指した思想で、宗教(真理の光教団)・国家(セレスティア/聖ゲンドラス)・経済(リヴィエール商会)・義賊(六棘の霜華)を連動させ、世の中の歪みや貧富の差を還流・是正する仕組み。




