『水平線の彼方、聖なる国へ』
甲板の船首付近――そこがエミーナのお決まりの場所だった。アルストラーナ帝国で最も戦功を挙げた軍艦、戦艦『ブラッド・エミーナ』。かつて最新鋭を誇った高速艦も、進水式からすでに14年の月日が流れている。
巨大な三角帆に映える真紅の百合の紋章は、「セレスティア軍のエミーナ」の象徴であり、かつて海の荒くれ者たちを震え上がらせてきたものだった。
「お母様。あの船は“ブラック”の名を冠しているのに、なぜピンクなのですか?」
ツルギが指さした先に浮かぶ船の名は『ブラック・ルシア』。『ブラッド・エミーナ』と同型の艦である。掲げられているのは白紅百合の旗印。セレスティア親王国、王女ルシアの専用艦であった。
「そうね。あの船の持ち主が、自分らしくありたかったからよ」
ツルギは不思議そうに首を傾げた。
セシリアもまた浮かんだ疑念と向き合っていた。
(自分らしくありたいからといって、同じことをするものなのかしら?)
先日届いた4通の書状。そこには、まるで犬や猫の肉球のような、乳児の赤い手形がぽんと押されていた。それを見て、エミーナは18年前に同じことをした娘と出会った頃の記憶を思い出していた。
「女の子らしい色だからですか? ミタマがどうしてもあの船に乗ってみたいって」 ツルギは腕組みをする。 「肌が合うのでしょうね。ミタマは私の娘ですもの」
上の空の母との会話があまりに噛み合わないため、ツルギは話題を変えることにした。
「お父様は、本当に教皇様の息子なのでしょうか?」
アレス・マクウェンの母親である崔愛さいめは40年前、燕国の沿岸にあるとある港町で内海の海賊に襲われ、連れ去られた。崔愛が妊娠していると知った海賊は、彼女をセレスティアの沿岸部に置き去りにしたのだった。崔愛のお腹の子の父親は、当時燕国で宰相を務めていた崔厳さいげんである。
崔愛はメアリー・マクウェンと名乗り、セレスティアの寒村でアレスを産むと、女手ひとつで育て上げた。アレスはそんな母に孝行しようと幼い頃から船乗りとなり、帝国歴299年にセレスティア水軍が発足した際には、当時15歳で志願して入隊したのだった。
月日は流れ、崔厳はゲンドラス・サイリュンと名を変え、聖ゲンドラス教国の教皇であり国家元首となった。それを知ったのは先月のことである。長い月日の間、真実を明かさず異国の地で息子を育て上げた母メアリー・マクウェンは、素直に認めた。
「そうです。アレスの父は崔厳よ」と。
崔厳は燕国の宰相であったが、国王一族を誅殺して自ら王位に就き、『新国しんこく』なる国を建国した。しかしアルストラーナの侵攻を受け、当時セレスティア親王軍を率いていたリゼリアとセシリアによって陥落。崔厳は捕縛されたのだった。
メアリー・マクウェンは自分と息子の身を守るため、一切口をつぐみ、真実を誰にも明かさず今日まで隠し通してきた。立派な女性である。
「ねえ、お母様! なんか最近、様子が変ですよ!」
息子ツルギにそう言われても仕方がない。実際、考え事が多すぎて自分の様子がおかしいことは、自分自身でもよく分かっていたのだ。
「そうね、ツルギ。こんな母を、あなたは助けてくれるかしら?」 「もちろんですよ、お母様!」 「嬉しいわ、私の大切な息子。母が『神託の聖母』になるために、力を貸してくれるかしら?」 「お母様が『神託の聖母』なら、僕は聖騎士になります。立派な聖騎士様になって、お母様をお手伝いしますね!」
セシリアは思わず、愛しい息子の肩を強く抱きしめた。
「嬉しいわ。母は、とても嬉しいの」
セシリア達。2隻の船は聖ゲンドラス教国へと向かっていった。
■ 登場人物一覧
*エミーナ・リヴィエール
セシリアの元侍女。ルミナリア・リヴィエール系譜でセシリアと同系統の異能の力を持っている。
セレスティア親王軍。水明艦隊所属。特攻隊長として、専用艦『ブラッド・エミーナ』にて2度のサンブリア海戦。帝国歴310年7月のシューコルン沖海戦。シューコルン占領。311年ノバージェ。ストロムホルム攻略戦。など戦功は数えきれない。可憐な見た目とは裏腹に『東海の鬼女』と恐れられた。
*アレス・マクウェン
アレス・サイリュン。
299年に15歳でセレスティア水軍発足時に志願兵として入隊。非常に優秀で勤勉な人物で、『ブラッド・エミーナ』の航海長、船長、艦隊副長と。エミーナ、セシリアと共に数々の戦功を重ねて出世街道を駆け上がって来た。共に戦い苦楽を共にしたエミーナに心を奪われて、セシリア、ルシアの承諾を得て帝国歴311年にエミーナと結婚した。聖ゲンドラス教国教皇ゲンドラス・サイリュンの息子であり、ココロギ・サイリュンの異母兄である。錦族名は崔亜無
*ツルギ・マクウェン
ツルギ・サイリュン。12歳。アレスとエミーナの息子。双子の妹、ミタマの兄である。男子としては珍しく異能力を発現し、戦士としての才覚を遺憾ななく成長させている。父アレスが錦族の末裔としての誇りを忘れないで欲しいという願いを込めて、錦族風の名で『剣』と名付けた。崔厳の孫である事が判明し、錦族名は崔剣さいけんとなる。
*ミタマ・マクウェン
ミタマ・サイリュン。12歳。アレスとエミーナの娘。双子の兄、ツルギの妹である。エミーナのリヴィエールの血を引き、異能の力を持っているが、水術を使う。水術は火術よりも上位に当たり、(水で火を簡単に消せるが、火で水を無くすには手間が掛かるのと同義)。12歳にしてルシアしか使っていなかった技を見せて母エミーナを驚かせた。エミーナの『隕石落とし』を阻止した技は『新星爆発』であり、エミーナの得意技でもある。303年の2度目のサンブリア海戦にてエミーナがノバージェの総大将のミヨウラ・クルカを暗殺した時に使った。
ミタマの名はツルギと同じ様に錦族風の名前をつけられており、『御玉』であり、可愛らしい。美しい。お嬢様。の意味である。崔厳の孫である事が判明して錦族名は崔御玉となった。
* ルシア
ルシア・フォン・ セレスティア。「四つ葉の錫杖」を剣の様に振るい圧倒的な強さを持つ騎士・戦士・巫女・義賊・令嬢。生前の身分はセレスティア親王国王女。母は貴妃セシリア。戦死後、皇太子妃の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たす。
* ココロギ
ココロギ・サイリュン。『真理の光教団』の巫女。帝都ラーナの白亜宮後宮の礼拝堂『四つ葉堂』の巫女。宮女達からは『四つ葉様』と呼ばれて居る。聖ゲンドラス教国教皇であり教祖ゲンドラス・サイリュン(崔厳)の実子。リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」、欲しいものを手に入れる異能を持つ。父崔厳は燕国の錦族であり、ココロギの錦族名は崔心木さいしんぎである。『真理の光教団』の教義において『心木』とは、世界――あるいは宇宙――の中心にそびえ立ち、すべての生命の魂をつなぎ止める世界樹を指す。生きとし生けるものの命の源であり、同時に「心(感情や意志)そのものを巡らせる大樹だ。天と地、現世と冥界を結ぶ軸であり、季節の巡りや人の心の調和はこの心木の脈動によって保たれていると信じられている。ゆえに心木が枯れ、傷つくことがあれば、世界中の人々の心は荒廃し、混沌が訪れると伝承されている。
* セシリア(せしりあ)
*帝国後宮の「貴妃」であり、水明宮に居住する。ルシアの実母。古琴の名手で、気品と冷徹さを併せ持つ優雅な傑物。リヴィエールの血を持つ。
* シェルランテ(しぇるらんて)
皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(生後数ヶ月)。「白鷺姫」の意味を持ち、一瞬で宝物を出現させる能力や千里眼、空間跳躍の異能で皇帝の不義・不正を見破る(中身はルシアの復活体)。父リアムはリゼリアの息子なので、リヴィエールの血を持つ。また、ルシアが亡くなる直前にリアムと秘儀『交血のイニシエート』を実施しており、非常に強い力を取得している。母シルヴィアがリヴィエールと完全無関係な血筋『純白の箱』であった為に奇跡的な遺伝を実現できた。これはルシアの意図していた事で彼女は自ら死を選ぶ代わりに更に強い力を持って生まれ変わろうとして生まれてきたとも言える。実際に3月3日の『紫炎石』による結界を『神託の聖母』に扮したセシリアの錫杖を介して、命を賭ける事なく粉砕してみせた。
* イリアード(いりあーど)
第15代皇帝。かつてセレスティア親王としてアルストラーナ軍の総大将であり「軍神」と称された。ルシアの実父。皇孫女シェルランテ(ルシア)を深く溺愛している。皇帝の執務室にて生後数ヶ月のシェルランテを入り浸しているが孫煩悩である一面。文官よりも武官気質である為、親王領の時よりも膨大な皇帝の実務を持て余し気味である事も理由の一つである。親王時は王妃リゼリアとセシリアがほぼ担っていたが、帝国の宮廷ではしきたりがある為、あからさまな政治干渉が出来ない。たがシェルランテは乳児が懐いているから世話している口実が使えるのである。
* リゼリア(りぜりあ)
帝国の後宮最高権力者である「皇后」。水鏡宮すいきょうきゅうに座し、圧倒的な威厳と冷静沈着な頭脳を持つ。
* シルヴィア(しるびあ)
春宮に住まう若き「皇太子妃」。シェルランテの母。夫の不始末に思い悩んでいたが、ココロギの神秘札により新たな男児(世継ぎ)の妊娠を確信する。本来、皇太子妃は東宮の中に住まうのが当然であったが、隣の敷地の居館を設けて春宮として住まいにしていた。皇后リゼリアの意向でそうしたのだが、それが結果的に最初から別居していて正解だったとなっていく。リゼリアが何故そうしたのかは誰にも話していないが、予知なのか、風水なのか、それとも腹の中にいたシェルランテの仕業なのか謎である。
* ゲンドラス・サイリュン / 崔厳(げんどらす・さいりゅん / さいごん)
聖ゲンドラス教国の教皇。ココロギの実父で、錦族の末裔である。ルシアに教祖にされ、教皇にされたが、霊的なまたは超常的な力は一歳持ち合わせていない。ただ一国の宰相をとして君臨していた時期もあり、類稀な自尊心と承認欲求を持っている為に雛壇の人形は天職である。政治統治能力は一流である。本名は錦族の名で「崔厳」。
* ヴィオ(ゔぃお)
ルシアに付き従う側近・従者。聖都クリスタルヘイムに突如現れた孤児。ルシアが引き取って侍女としていた。ルシアに仕込み錫杖による二刀流の使い手として鍛え上げられ、右手として活動していたが、紫の儀式により、憑依を受けて、情がありヴィオに反撃出来ないルシアを刺し、ココロギの召喚したリアムに斬られ絶命した。
* ビー・スー(びー・すー)
* ルシアに付き従う側近・従者。南部の孤島の小さな王国の末裔でディヌイヤ王国に従属していた所を王の好意で預かっていた。ディヌイヤ領となったディヌイヤ・ラーナ公国にて『真理の光教団』の司教をしている。愛用の丸盾を武器の様に使う。右手にはルシアの物より短い錫杖を用いる。
*ヴォルフラム
『真実の光教団』枢機卿。エルサ・ルーメン共和国。エルサ大司教座聖堂に赴任している。若かりし頃、流しの吟遊詩人であり、達人の剣士であった。中尺の錫杖を与えられて「使いにくい」と不満を漏らす。両手剣の要領で使う事をビー・スーに指摘される。ルシアが彼を枢機卿としている事から見てもわかる通り、切れ者である。
* アルル(あるる)
* 水鏡宮(水明宮)の女官。セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を果たす。
* ベルトト(べるとと)
* セシリアの伝言先として名前が登場する人物。リヴィエール財団のベルナデットの妹。セレスティア親王家に長く仕える。リゼリアの『リヴィエールの女性は子を残すべし』の方針から唯一漏れてしまった女性である。実際はあまりに優秀であった為に、イリアード、リゼリア、セシリアが彼女を必要としたからであった。「さすがベルトト」と称賛される事が多い。現在は後宮にて皇后付き女官長を務めている。
* リアム(りあむ)
* かつてココロギに想いを寄せていたが、女官エレノアに手を出し、ココロギに合わせる顔を失った皇太子。妻、皇太子妃シルヴィアにも嫌われている。皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子。幼少期からルシアに数万回襲撃を受けた為、武芸に関しては右に出る物はほぼいない。何かとさえず、浮かばれないのはルシアに狂言回しにされているからであるが誰も気づいていない。ルシアにとって大好きで大嫌いな兄である為に『生かさず殺さず』にされているのである。娘シェルランテにも冷たい対応をされている。
* エレノア(えれのあ)
* リアムと関係を持った女官。
■ 用語集一覧
* 真理の光教団しんりのひかりきょうだん
* ゲンドラス・サイリュンが教祖を務める宗教組織。ルシアが作ったエセ宗教である。教義では内なる神を信仰しつつ、結局の所、他力本願と自力本願が同居している。紋章は「四つ葉のクローバー」。聖ゲンドラス教国の聖都クリスタルヘイムをはじめ大陸各地に拠点の大聖堂を持つ。
* 心木(しんぎ / こころぎ)
* 真理の光教団の教義において、世界・宇宙の中心にそびえ立ち、すべての生命の魂をつなぎ止める世界樹。感情や意志そのものを巡らせる大樹とされる。
* 四つ葉のクローバー(よつばのくろーばー)
* 教団および聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルマーク。「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
* 四つ葉の錫杖よつばのしゃくじょう
* ルシアが愛用していた片腕ほどの長さの錫杖。素早く回転させると先端の四つの金環が揃って開く構造を持つ。片手で剣の様に扱う。
* 神秘札しんぴふだ
* ココロギが手を合わせ集中することで創り出す特別な札。未来の出来事や隠された真実が絵と文面で浮かび上がる。
* 六棘の霜華ろっきょくのそうか
* 寒さに際してガラス等に浮かび上がる氷の結晶を模した紋章。「霜華の女王ルシア」を象徴し、悲哀を喜びや幸せに変える意味を持つ。
* 白紅百合
* セレスティア親王家の威厳を象徴する百合の刺繍・紋様。白紅はルシア。黄色はセシリア。
* リヴィエール一族 / リヴィエールの血(りゔぃえーるいちぞく / りゔぃえーるのち)
* セシリア、ルシア、ココロギらに共通して流れる血脈。空間跳躍など特有の異能を発現させる力を持つ。アルヴェリア周辺に根を張る土豪の一族。遥か昔、この地に流れ着いた「異国の漂流民」の血を引くという伝説があり、一族には独特の雰囲気を纏った美貌の持ち主が数多く生まれる。しかし、彼らが秘めている真の謎はそれだけではない。一族の根幹に関わる「もう一つの秘密」が存在するが、それについて語ることは、一族の者たちの間では暗黙のタブー(公然の秘密)となっている。
* アンチアルマ(あんちあるま)
* 七十万もの軍勢が激突した、混沌の坩堝と化した広大な戦場平原。古都アンチアルマ周辺の平原。
* アルストラーナ帝国
*文明発祥の地、古都ラーナを首都する『偉大なるラーナ人の国』。帝政となってからは320年強を数える。
* グラッデェ(ぐらっでぇ)
強靭な肉体と高い騎乗能力を持つ騎馬民族。
* 聖ゲンドラス教国せいげんどらすきょうこく
* ゲンドラス・サイリュンを国家元首とした『真理の光教団』の国、四つ葉のクローバーを紋章とする国家。
* ルミナリア(るみなりあ)
* 「花の都」と呼ばれる都市。セシリアの故郷でありルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
* クリスタルヘイム(くりすたるへいむ)
* 聖ゲンドラス教国の聖都。
* 翡翠宮ひすいきゅう
* 後宮の最奥に位置する、イリアードが生まれた居館。フレデリカ・リヴィエールやルネッタ・リヴィエールの居館であった。
* 水鏡宮すいきょうきゅう
* 後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
* 水明宮すいめいきゅう
貴妃セシリアの居館
* 四つ葉堂
後宮の片隅にある『真理の光教団』の礼拝堂。クローバー畑や菜園があり、兎や牛、ヤギが飼育されている。ココロギの家でもある。
* 東宮 / 春宮(とうぐう / しゅんきゅう)
皇太子および皇太子妃シルヴィアの居館。
*政教商の一致
ルシアの目指した理想的な世界の在り方。人の信仰心と経済の健全化で平和な世の中が保たれる思想である。財の偏りを少なくし、流動性を高める。人の多くには信仰心があるが、真実の宗教はない、ならば信仰心から財を生み出して、偏って滞留したところから還流させるとこにより、世の中の不具合を減らしていく。そこで生み出したのが宗教『真理の光教団』や聖ゲンドラス教国。義賊『六棘の霜華』。国のモデルとして富国強兵なセレスティア親王国であった。『真理の光教団』が世の中に放出し続ける宝石の数々は富者が買い取り、貧しい人に金がいきわたる。宝石は次第に価値が下がっていき、逆にアルヴェリアのフルビアルトのガラス製品は価値を上げて行く。『真理の光教団』からリヴィエール商会を通して国にお金が流れる事によって、兵士を養える。安定した支配体制がとれている国は圧政をせず、官吏や役人の腐敗は義賊『六棘の霜華』で処断していた。ただこれらすべては強い異能の力と強い意志があるものが存命している場合のみに有効であった。そしてインフレを起こさない手法として金銀をばら撒かず宝石をばら撒く手法にしたために、ルシアが命を落とす切っ掛けになった『紫炎石』の原料の一部もばら撒いている宝石に含まれていたことが安易に『紫炎石』を作れるようになった事に繋がってしまっていた。リヴィエールの者達はそれに気が付いていない。




