『うららかな祈りと追憶』
帝都ラーナに、うららかな春の日差しが近づく頃。貴妃セシリアの脳裏には、かつてエルサ・ルーメンの街で『真理の光教団』の列に加わり、荘厳たる市内を練り歩いた光景が鮮やかによみがえっていた。
あれは亡き愛娘ルシアが、実の母であるセシリアを『神託の聖母』という至高の称号をもって布告し、市民を天信教の深き欺瞞から改宗させるために仕掛けた大いなる一手であった。しかしそれと同時に、側室という日陰の身分に甘んじてきた母親を憐れみ、誰よりも高い場所へと祀り上げることで、その長年の苦労を弔おうとした娘なりの至孝の情であったに違いない。
「――私の母親は、世界で一番の女性なのです」
かつて誇らしげに語ったルシアの言葉が、風のささやきのように耳朶を打つ。『真理の光教団』の巫女の最高位ともなれば、大陸にひしめくどの国の王妃よりも格上の存在となる。今は亡き愛娘が遺してくれた一つひとつの温かな記憶を手繰り寄せるたび、セシリアの胸の奥は胸を焦がす熱い揺らぎに満たされるのであった。
そして、その愛娘がこの世に生を受けた4月11日が、目前に迫っていた。
教団を興したのは他ならぬルシアである。ならば、この4月11日を教団の聖なる祝祭の日に定め、その魂を顕彰したとて、何ら不都合はあるまい。
「あの子が遺してくれた光を、絶やしてはいけない。私は再び……『神託の聖母』となろう」
セシリアが心に固く誓う。再び聖母として行列の先頭に立ち、人々の目を奪う奇蹟の演出を披露しながら帝都を歩めばよい。市政や治安の観点から皇帝の勅許を得る必要はあるが、「ルシア」の名さえ掲げれば、問答無用で許可が下りるはずであった。
◇
そして4月11日、決意の当日がやってきた。
オクタヴィア大聖堂の静謐なる一室には、身支度を整えるココロギとセシリアの姿があった。
「貴妃様……っ! ああ、本当に……とても素敵ですっ!」
ココロギは大きな姿見の前で頬を微かに染めて佇むセシリアを見上げ、感極まったように声を弾ませた。セシリアが纏っているのは、純白の尊厳なるドレスである。最高級の絹が描く贅沢なドレープは、まるで天界の織物がそのまま滑り落ちてきたかのごとき美しさであった。
その権威と慈愛にふさわしい、圧倒的な美しさがそこにあった。
「本当によくお似合いです、貴妃様。オクタヴィアの民も、その神聖さに息を呑み、誰もがひざまずくことでしょう」
「ふふ、ありがとうココロギ。けれど今日主役となるのは私ではなく、あの子が遺した『慈愛の教え』そのものですよ」
セシリアは優しく微笑むと、ココロギの手をそっと握り返した。ココロギは身をかがめると、セシリアの美しい髪の上に白絹の宝冠を静かに戴かせた。光沢のある崇高な極上の生地には、無数の宝石が繊細に散りばめられ、春の光を受けて眩い煌めきを放っている。
ココロギ自身も、細かな銀刺繍が施された巫女らしい純白の祭事着に身を包み、セシリアの脇をしっかりと固めていた。
こうして、白一色の麗しき一行は、四つ葉の尖塔が空高く聳えるラーナ大聖堂の重厚な門をくぐり、陽光差すオクタヴィアの市街へと進み出たのである。
◇
「おい、見ろ……! 先導の聖騎士様のあとに、見たこともないほど美しい方々が……」 「あれが、布告にあった『神託の聖母』様か……? なんという神々しさだ……」
石畳の広場を進むにつれ、遠巻きに見ていたラーナの市民たちが、吸い寄せられるように集まってきた。長年、天信教の欺瞞に縛られていた民は、次なる真の心の拠り所を切実に求めていたのだ。
「聖母様! どうか我が家の不運をお救いください!」 「娘の病がどうしても治らぬのです、どうかお慈悲を……!」
たちまちのうちに、切実な祈願や悩みを口にする市民の群れが行列を取り囲む。歓声と嘆願が重なり合い、広場は熱気に包まれた。だが、供を務めるココロギに焦りの色は一切なかった。すべては想定内の出来事である。
「皆様、どうか恐れることはありません! 聖母の慈愛は、いま等しく皆様のもとへ注がれます!」
ココロギが朗々たる凛とした声で告げると同時に、セシリアとココロギの指先から、神秘的な光とともに『神秘札しんぴさつ』が生み出され、配られ始めた。それは精緻な絵や聖文字がその場で書き込まれていく不思議な札であり、受け取った者それぞれの悩みに対する神聖な啓示が示されていた。
さらに、病を患う者には「病を癒やす護符」が優しく授けられ、困窮に喘ぐ者には、背後に整然と連なる聖騎士たちから、光り輝く宝石が手渡されていく。
「おい……これはっ! ありがてぇ、本当にありがてぇ! これで子供たちに満足に腹いっぱい食わせてやれる!」
施しを受けた男が、感極まった涙を拭いながら歓喜の声を上げる。施しを終えた聖騎士は、流れるような美しい動作で列の最後尾へと並び直し、素早く次の施しの準備に回った。これは構築した無駄のない完璧な巡回システムであり、これにより巨大な人波の中でも行列は混乱することなく、整然と進んでいったのである。
そして、その中で何よりも活き活きと輝いていたのはココロギであった。泣きそうな顔で縋り付いてくる母親や小さな子供たちの姿を見るうちに、彼女の根にある優しい心根にカッと火がつくのだ。
「あ、あのっ、これ、お守りです! 痛いお腹、これですぐになおりますからねっ!」
手際よく護符を生み出し、神秘札の文様をその場で完成させていく。ココロギの内に秘められた強大な異能が、この瞬間ばかりは「癒やしの奇蹟」として完璧に制御されていた。
「わあ、ありがとう、綺麗なお姉ちゃん!」 「へへへ、どういたしまして! 風邪ひかないようにね!」
子供にキュッと手を握られ、ココロギは照れくさそうに笑いながら、次から次へと楽しげに市民たちへ対応していった。そんな微笑ましい光景を隣で見つめながら、セシリアはココロギの華奢な肩を時折いとおしそうに抱きしめ、大通りをゆるやかに進む。
恐ろしいほどの人だかりであった。だが、この大歓声と人波の熱気こそが、迫り来る危機を覆い隠す格好の「暗雲」となっていたことに、誰も気づいていなかったのであった。




