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『アルストラーナ伝記』  作者: リアトト
『聖地エルサ・ルーメン』帝国歴322年
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『厳格な仮面の裏から』


大殿での絢爛豪華な儀式が終わり、文武百官が引き上げた後の白亜宮。その一角にある皇帝の執務室は、先ほどまでの重苦しい緊張感が嘘のように静まり返っていた。

「座れ、イリアード。リアムもだ」

重厚な執務机の奥から、皇帝アラリックが声をかけた。長年身に纏っていた皇帝としての威厳の鎧を脱ぎ捨て、その表情にはひとりの兄としての温かみが浮かんでいる。

アラリックとセレスティア親王イリアードは、腹違いの兄弟である。大勢の群臣の前では厳格な絶対君主として振る舞わねばならぬアラリックにとって、こうして気置けない弟と水入らずで言葉を交わす時間は、数少ない密かな楽しみでもあった。

「公式の場では堅苦しい褒賞を下したが……改めて見事だったぞ、イリアード。そしてリアム。五十万の敵を討ち破り、ベグ・バールを生け捕りにするなど、わしも胸がすく思いだ」

「兄上……いえ、皇帝陛下。身に余るお言葉にございます」

イリアードが苦笑交じりに礼を言えば、アラリックは「ここでは『兄上』でよいと言っておろうが」と肩をすくめた。

「さて、弟よ。公の賜与とは別に、お前には新たな封地を授けると約束していたな。どこか望む土地はあるか? 帝国の版図内であれば、どこなりと遣わすが」

イリアードは少しの間を置き、深く頷いた。

「ならば……『ルミナリア』を賜りたく存じます」

「ルミナリア?」

アラリックは一瞬意外そうに眉をひそめたが、すぐに合点がいったように笑みを零した。

「なるほど、セシリアの故郷か。相変わらず愛妻家だな、お前は。……よかろう、ルミナリアとその周辺の肥沃な領地をお前に与えよう。セシリアも、それにルネッタもきっと喜ぶはずだ」

花の都ルミナリアは、イリアードの側室セシリアと、その妹で後宮にいる徳妃、ルネッタの生まれ故郷でもあった。

「感謝いたします、兄上」

イリアードが礼を述べると、アラリックの視線は静かに控える若き英雄、リアムへと移った。その目は、何か企みを含んだかのように細められている。

「ときに、リアムよ。十六にしてベグ・バールを捕縛したお前の武功、もはや一幕僚の域に留まるものではない。……どうだ、我が娘との婚姻は?」

「……えっ」

突然の打診に、リアムは思わず息をのんだ。

皇女との婚姻。それはすなわち、リアムが皇帝の女婿となり、帝国の権力の中枢へと完全に組み込まれることを意味していた。セレスティア親王家と皇室の結びつきを極限まで深める、極めて重い政治的提案である。

(皇女様とのご婚姻……断ることなど、できるはずもない)

リアムは隣の父・イリアードへ視線を送った。イリアードもまた、静かな、しかし抗えぬ宿命を受け入れるような眼差しで我が子を見つめ返していた。親王家として帝国に忠誠を誓う以上、皇帝直々の縁談を蹴るという選択肢ははじめから存在しない。

「……臣リアム、溢れんばかりの光栄にございます。謹んで、陛下のありがたきお言葉をお受けいたします」

リアムが深く頭を下げると、アラリックは満足そうに大きく頷いた。

「うむ! よい返事だ。これでセレスティアの血は我が皇室と真にひとつとなる。祝宴の準備を進めさせよう」

笑みを深めるアラリックだったが、次の一言でイリアードの表情が引き締まった。

「それからな、イリアード。先ほど大広間で申し渡した『大元帥』の職についてだ」

「は……」

「五十万の軍を打ち破ったお前の軍略と威望は、今や帝国全軍の頂点に立つに相応しい。……ゆえに、お前にはこれから大元帥として、常に帝都ラーナに詰めてもらわねばならん。セレスティアの領地を離れ、帝都に新たに用意する邸宅へ移り住んでもらうことになる」

イリアードは一瞬、目を見張った。

大元帥への就任と帝都への居住。それは絶大な栄誉であると同時に、親王家が独自の軍事拠点であるセレスティア本領から切り離され、中央の監視下に置かれることを暗に意味していた。恩賞と引き換えの高度な政治的牽制――表向きは、そう受け取れる措置である。

……しかし、その本質はまったく違っていた。

ただ単に、友達のいない皇帝が、大好きな弟とずっと一緒にいたいだけなのである。

イリアードは過去に二度も元帥就任を辞退していた。そもそも元帥の段階で帝国軍全軍の指揮権は与えられるため、わざわざ「大元帥」という職を新設したところで権限自体は何も変わらない。つまりこの「大元帥」という肩書は、イリアードの拒否権を封じるためのアラリックの苦肉の策であり、彼の切実な企みそのものだったのだ。

(お願いだから近くにいてね! ずっと一緒にいてね! 約束だからね!)

まるで幼い子供が駄目を押すかのような叫びが、皇帝の厳格な仮面の裏から透けて見えるようであった。

イリアードは胸中で大きな溜め息をつき、静かに頭を下げた。

「……承知いたしました。我が身とセレスティアの全て、皇帝陛下とこの帝国に捧げましょう」

「頼むぞ、イリアード。お前が近くにいてくれれば、わしも心強い」

アラリックは「作戦成功」と言わんばかりに満足げに酒杯を取った。

ルミナリアの賜与、皇女との婚姻、そして帝都への移住。アンチアルマ会戦の大勝利は、アルストラーナ帝国に束の間のお祝いムードをもたらすと同時に、親王家の運命を新たな流れに変えていった。


登場人物一覧表

イリアード

アルストラーナ帝国軍の総大将であり、セレスティア親王。「軍神」と称される冷徹かつ無双の武勇を持つ指揮官。アラリック皇帝の腹違いの弟。愛娘ルシアを溺愛しており、彼女の危機には理性を失い「鬼神」と化して突撃する一面を持つ。のちに「大元帥」に就任。

ルシア(ルシア・フォン・セレスティア / 巫女ルナ)

セレスティア親王家の令嬢であり、イリアードの愛娘。『真理の光教団』の巫女「ルナ」としての顔を持ち、『聖ゲンドラス教国』の聖騎士団長を極秘裏に務める。空間や物質を操作・修復・回復させる強力な「異能」と稀代の軍略を操り、裏から大陸の歴史を動かす。

ベグ・バール

騎馬民族グラッデェ帝国の皇帝。前大王エスゲイ・バールの息子。父の復讐のため50万の大軍を率いてアルストラーナへ侵攻するが、ルシアに敗れて捕縛される。

エスゲイ・バール

グラッデェ帝国の偉大なる大王。ベグ・バールの父。前年5月に『六棘の霜華』によって暗殺された。

ジル・オテ(旧名:ジルグード)

元オテゲン皇国第4王子。11年前に燕国を占拠するもルシアに打ち砕かれ捕縛された。その後改心(ルシアにより半ば強制的に改心)させられ、聖ゲンドラス教国の司教を務める。過去には放浪の吟遊詩人・剣士としてブランガ・オデュヌと共に名を馳せた。

ヴィオ

ルシアの側選であり忠実な侍女。黒髪のショートカットに紫の瞳を持つ少女。背中に長柄の錫杖を背負い、細剣を用いた鋭く美しい剣舞もこなす。

ビー・スー

ディヌイヤ王国のボロ国王から特別な協力者として譲り受けられた青年。丸盾を背負い、冷静沈着な判断力でルシアの護衛や参謀的役割を果たす。

ヴォルフラム

『真理の光教団』アンチアルマ大聖堂の枢機卿。重厚な法衣を纏い、教団の志願兵を率いてルシアたちと合流・共闘する冷徹な知識人。

ココロギ(ココロギ・サイリュン / 崔心木)

『真理の光教団』の教祖であり、聖ゲンドラス教国教皇ゲンドラス・サイリュン(崔厳)の実子。リヴィエール一族の血を引く。空間跳躍(瞬間移動)や護符生成の異能を持つが、極度のパニックや生理現象で暴走・誤作動させることが多い気弱で優しい少女。

アラリック

アルストラーナ帝国の皇帝。イリアードの腹違いの兄。弟イリアードを非常に好いており、彼を近く(帝都)に留め置くために「大元帥」の職を新設・授与した。

リアム・フォン・セレスティア

イリアードの息子でルシアの兄。16歳で初陣を飾り、混戦を切り裂いてグラッデェ皇帝ベグ・バールを捕縛(実際は気絶したベグを縛り上げた雑用)した武功により、最年少将軍に就任し聖剣アウレリウスを賜る。

セシリア

イリアードの側室であり、ルシアの母。花の都ルミナリアの出身。「植物や緑を一瞬で爆発的に生い茂らせる」異能を持ち、市内に「神託の聖母」として光と緑の奇蹟をもたらす。

シルヴィア・フォン・アルストラーナ

アルストラーナ帝国第6皇女。アラリック皇帝の娘。冷徹で政治的な洞察力を持つ美少女。政略結婚としてリアムに嫁ぐ。

カルヴァル

天信教の総主教。聖地エルサ・ルーメンの大教導司教座聖堂『マジェストゥウーズ』に鎮座し、歴史を裏から操ってきたが、ルシアたちの前に屈服し権力を剥奪される。

ベルトト

ルシアたちの手配や巡行の運営を完璧にこなす手腕を持つ人物。祝宴では小堤を叩いて宴を盛り上げた。

ボロ・ディヌイヤ

南海の大国ディヌイヤ王国の国王。ルシアの要請に応じ、山脈を越えてグラッデェ本国南部を急襲・協力する。

ゲンドラス・サイリュン(崔厳)

聖ゲンドラス教国の教皇であり、ココロギの実父。

リゼリア

イリアードの正妻(親王妃)。リアムの結婚を温かく祝福する。

バザル

ガザルカガンド会戦におけるグラッデェ軍の最高幹部。大斧を振るう巨漢の猛将だが、ルシアに一撃で討ち取られる。

ルネッタ

イリアードの側室でセシリアの妹。後宮の「徳妃」。

シンシア

ルシアの妹。後宮で徳妃ルネッタの侍女を務める。

用語集一覧表

アルストラーナ帝国

大陸西部に位置する歴史ある古国。かつて全土を支配した「偉大なるラーナ人の国」。文武に長けた帝国だが、歴史の陰で天信教に主権を奪われていた。

グラッデェ帝国

50万の圧倒的な騎馬軍勢を誇る東方の大帝国。騎馬民族中心の国家で、他国を服属・奴隷化していた。本拠地はガザルカガンド。

聖ゲンドラス教国

『日の出る国』と称される東の島国。四つ葉のクローバーを紋章とし、洗練された純白の軍服と長柄の錫杖を携えた「聖騎士団」を擁する。

真理の光教団

ルシアが巫女「ルナ」として担ぎ上げ、のちに天信教に代わって国教となる新たな宗教勢力。

天信教

聖地エルサ・ルーメンを拠点とし、千年にわたり「授冠の儀式」を通じて王権の上に君臨してきた歴史ある旧宗教。都合の悪い歴史(王権と異能の真の起源)を抹消・隠蔽していた。

アンチアルマ

アルストラーナ帝国の東方防衛拠点である古都。堅牢な石造りの城壁を持ち、周囲の「ヴェロニカ砦」「フェルゼンヴァルデン砦」と共にグラッデェ50万の大軍を迎え撃った。

枡形(ますがた)

城門の奥に作られた半円形の構造を持つトラップ空間。突入した敵を鉄格子で閉じ込め、頭上から沸騰した油や火、矢を浴びせて全滅させる。

ガザルカガンド

騎馬民族グラッデェの本拠地。ルシア率いる聖騎士団の裏をかく作戦により焼き払われ、陥落した。

ガザルカガンド会戦

敗走したグラッデェ軍30万に対し、ルシアが解放を宣言して味方に引き入れた従属国兵15万+聖騎士団7千(計15万7千)が激突した決戦。グラッデェ帝国が完全に滅亡する契機となった。

エルサ・ルーメン

天信教の聖地であり「聖天の約束地」。中央には5本の尖塔を持つ巨大な「大教導司教座聖堂マジェストゥウーズ」が聳え立つ。のちにルシアによって「エルサ・ルーメン共和評議会」が設立され、民の街へと改変された。

四つ葉のクローバー

聖ゲンドラス教国および聖騎士団の象徴たる紋章。希望と神聖の象徴。

リヴィエールの血 / 異能

ルシアやココロギ、セシリアらに受け継がれる特別な血統と秘められた超自然的な力(空間操作、物質修復、植物の生長促進、瞬間移動など)。天信教が隠蔽してきた「王権の真の起源」にも深く関わっている。

心木(さいしんぎ)

『真理の光教団』の教義において、世界や宇宙の中心に立ち全生命の魂と心をつなぎ止める世界樹・大樹。

コミュシュルツ川

赤狼山脈の南を東西に流れる大河。ルシアたち聖騎士団とヴォルフラム率いる志願兵が合流した作戦上の要衝。

ディヌイヤ王国

南海の大国。ボロ国王が治めており、アルストラーナやルシアと同盟・協力関係にある。

セバスチャン

ルシアが騎乗する、チーターのごとき驚異的な脚力を持つ愛馬。

聖剣アウレリウス

皇帝直属の伝説的な武具であり、真の英雄にしか与えられない権威の象徴。リアムに授与された。

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