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『聖天の約束地エルサ・ルーメン』

アルストラーナ。

文明の発祥地とも称されるこの古国は、太古の昔、大陸全土をその支配下に置いていたと語り継がれている。アルストラーナとは「偉大なるラーナ人の国」を意味するが、その首都ラーナの起源に至っては、文字の出現以前まで遡ってもなお、確たる答えを見出すことはできない。

この帝国の皇帝戴冠式は、天信教の総主教より宝冠を授与される儀式であり、宗教的権威が世俗の統治権の上位に君臨していた。そこには王権の正当性や権威が深く関わっているはずだが、なぜこの「主客の逆転」が生じたのかを紐解く史料は、どこにも遺されていないのである。

本来、王権とは至高のものであり、天から直接委ねられたものと解釈されるのが自然であろう。しかし実態は、宗教側が自らの都合のために、不都合な歴史とその大義を抹消したに違いなかった。すべては、宗教が施政の頂点に立つために――。

「神話のすり替え」「国家崩壊の危機」「正当性の担保」。隠された真実は、そのいずれか、あるいはすべてなのかもしれない。 だが、かつてこの地を襲撃した騎馬民族グラッデェが、その歴史的タブーを知る由もなかった。

宝冠を授かるために片膝を折り、頭こうべを垂れる人間が、世界の頂点に立ったと錯覚する。……あるいは、それこそが巧妙に仕組まれた欺瞞であったのだ。

◇

その天信教の聖地。

聖天の約束地エルサ・ルーメンの

城門前は、純白の騎士服によって埋め尽くされていた。 白地に鮮やかに映えるのは、深い緑で描かれた『四つ葉のクローバー』の紋章――『聖ゲンドラス教国』が誇る聖騎士団である。寸分も乱れることなく整列した九千五百もの大隊列が、沈黙を守る城門をじっと見つめている。

静寂の中、先頭に一歩歩み出たルシアが、陽光を受けて煌めく片腕ほどの錫杖しゃくじょうを、一閃の如く振り払った。

――轟音!

爆風とともに、いつからそこに存在していたのかさえ定かではない古城門が、遠慮なく吹き飛ばされた。

事前交渉も通達もなく、まして攻城戦すら行われない。あまりに洗練された高貴な佇まいと、「聖ゲンドラス教国聖騎士団」という威名に圧倒された守備兵たちは、戦うことすら躊躇われる恐れと畏怖に固直していたのだ。城壁の上で何一つ手出しができぬまま、彼らはただ、堅牢な門が瓦礫と化す様を見届けるしかなかった。

煙塵の向こうから、美しい隊列を崩さぬまま、騎士たちが市内への進軍を開始した。全員が長柄の錫杖を携え、一歩歩むごとに石突を石畳へと突き立てる。

シャン、シャン、シャン――。

鳴り響く錫杖の金環の音が、静けさを切り裂いていく。 街に暮らす人たちは、自分たちを救いに来た救世主の到来だと胸を撫で下ろした。一方で、この地を支配していたグラッデェ人は、自らの負い目から「何らかの惨烈な懲罰が下されるのではないか」と恐怖に震え上がった。数日前、遥か東にある彼らの本拠地ガザルカガンドが、この聖騎士団によって燃やされ、灰燼に帰したという知らせが届いていたからである。

慄くグラッデェ人たちには一瞥もくれず、聖騎士団が進む方向――それは宮殿でもなければ、政庁でもなかった。 彼らが目指したのは、エルサ・ルーメンの中央に厚かましくも鎮座する、最も高く、最も豪奢な装飾に彩られた広大な聖域。五本の尖塔を天へと突き立てる巨大な大教導司教座聖堂(マジェストゥウーズ)であった。


◇

忌まわしき建物の前で、聖騎士たちは再び美しく整列した。 最前列に立つルシア、ヴィオ、ヴォルフラム、ココロギの四名が、聖堂へ足を踏み入れようと前進を開始した、その時である。

ガチャリ、と荘厳な正面扉の錠が解かれ、重厚な音を立てて扉がゆっくりと開き始めた。 中の者たちが彼らを招き入れたわけではない。ルシアの持つ異能の力が、施錠された扉を強制的に開け放ったのだ。興味津々で遠巻きに見ていた市民たちは、その神秘的な光景に思わず固唾を飲んだ。

静寂に包まれた大教導司教座聖堂『マジェストゥウーズ』。その広大な大理石の床に、四人の足音が鋭く響き渡る。 高天窓から差し込む一筋の斜光が、宙に舞う細かな塵を白く浮かび上がらせていた。奥に鎮座する巨壇の前には、煌びやかな法衣を纏った天信教の司教や神父たちが、青ざめた顔で身を寄せ合っている。 その中心に立つのは、金糸の刺繍が施された重厚な衣を羽織る老者――天信教総主教、カルヴァルであった。

ルシアは歩みを止めると、手に握った錫杖の石突を、トン、と静かに床へ突いた。 ただそれだけの音が、聖堂内の張り詰めた空気に爆発しそうなほどの緊張感をもたらす。

「……何という暴挙だ! 聖地エルサ・ルーメンにおいて、神聖なる大教導司教座聖堂の扉を力でこじ開けるとは! 聖ゲンドラス教国なる邪教の徒よ、神の罰を免れぬぞ!」

カルヴァル総主教が声を震わせ、威圧するように叫んだ。だが、ルシアの背後に控えるヴィオ、ヴォルフラム、ココロギの三人は、ピクリとも動じない。 ルシアは冷ややかな、しかし底知れぬ深みを持つ瞳で総主教を見つめ返すと、静かに口を開いた。

「神の罰、ですか……。欺瞞の神話の上に座し、皇帝の頭に宝冠を載せることで『主客の逆転』を演出し、この大陸の歴史を陰から操ってきたあなた方が、それを口になさるのですか」

その静かな言葉に、総主教だけでなく後ろに控える聖職者たちの顔色が一瞬にして土気色へと変わった。 触れてはならない歴史のタブー――天信教が教権を樹立するために抹消した「不都合な真実」に、この若き指導者が辿り着いていることを悟ったからである。

「た、たわ言を……! 騎士の分際で、我ら天信教の権威を脅かそうというのか!」 「権威?」

ルシアはわずかに唇の端を上げ、冷酷なまでの軽蔑を込めて告げた。

「偽りの権威は、本日この時をもって終焉を迎えます。聖ゲンドラス教国聖騎士団長として、また真理を掲げる者として、あなた方に要求を提示しに来ました」

ルシアは錫杖をゆっくりと持ち上げ、まっすぐに総主教へと突きつけた。

「第一に。この大教導司教座聖堂『マジェストゥウーズ』を即刻我らに明け渡すこと」

聖堂内に大きなどよめきが広がる。だが、ルシアは容赦なく言葉を重ねた。

「第二に。皇帝が神聖なる儀式によって戴冠し、民を支配する時代は終わりました。民を統べる皇帝は自ら宝冠を頭上に戴く事とします」

「な……自ら戴冠だと!? 愚かな民にこの歴史ある古国を治めさせろというのか! 秩序が崩壊するぞ!」

カルヴァルが激昂して叫ぶ。しかし、ルシアの傍らに立つヴィオが静かに錫杖に手を掛けただけで、総主教の言葉は喉の奥で詰まった。

「そして第三に」

ルシアの威厳ある声が、五本の尖塔が聳える巨大な聖堂の天井へ、朗々と響き渡る。

「歴史を偽り、民を欺き続けた天信教を排し、これより『真理の光教団』を新たな国教と定め、この地に真の正義を打ち立てること。……以上です」 「バカな……! 戯れ言を言うな! 騎馬民族グラッデェの侵攻に乗じて、我らの聖域を乗っ取ろうという魂胆か! そのような要求、神にかけて呑めるはずが――」 「外をご覧になるといい」

ルシアの背後から、ヴォルフラムが淡々と、しかし氷のように冷たい声で割り込んだ。

「あなた方が頼みにしていた北のガザルカガンドは、すでに灰燼と化しました。城門を守っていたグラッデェの兵たちも、外に佇む九千五百の聖騎士団の威容に言葉を失い、怯えて震えています。……今のあなた方に、交渉のカードが1枚でも残っているとお思いですか?」

総主教カルヴァルは絶句し、開いた口が塞がらなくなった。 破られた城門の瓦礫を越えて、外から規則正しく響く聖騎士たちの錫杖の音――シャン、シャン、シャン――という重厚な鳴り響きが、聖堂内まで微かに届いていた。それは彼らにとって、旧時代の終わりを告げる葬送の鐘の音に他ならなかった。

ルシアは静かに一歩踏み出し、総主教の目の前まで歩み寄る。

「奪われた歴史を、本来の持ち主であるラーナの民へ返していただきます。拒否の選択肢はありません」

総主教の手に握られていた金の杖が力なく手からこぼれ落ち、大理石の床にカランと乾いた音を立てて転がった。

帝都ラーナを千年にわたって縛り続けてきた巨大な宗教的威光が、音を立てて脆く崩れ去った瞬間であった。

 


登場人物一覧


主要人物


ルシア・フォン・セレスティア(ルシア)

セレスティア親王イリアードと側室セシリアの娘(16歳)。圧倒的な異能(空間跳躍・攻撃・癒やしなど)と神の域に達した武芸の持ち主。義賊『六棘の霜華』や『真理の光教団』の巫女『ルナ』として暗躍し、帝都の結界を破るために命を落とすも、のちに皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たす。


ヴィオ

ルシアに付き従う同い年の忠実な侍女(16歳)。紫の瞳と黒髪を持ち、長柄の仕込み錫杖(細身の長剣+金属鞘)を操る両手生殺の凄腕の使い手。

実はルシアの念創によって誕生した初めての生命体。伝説の『月姫・紫苑のヴィオレット』がモデルとなっている。聖都クリスタルヘイムの孤児として、ルシアの元に身を寄せる。


ココロギ・サイリュン(ココロギ / 崔心木 / 四つ葉様)

教皇ゲンドラスとリヴィエール遠戚の女性の間に生まれた娘で、後宮の『四つ葉堂』の巫女。リヴィエール一族の異能(空間跳躍や護符・神秘札の生成)を持つが、当初は暴走・失敗ばかりしていた。後に成長し、異能を完全に掌握して大水没の危機を救う。


シェルランテ・フォン・オーレリア(白鷺姫)

皇太子リアムと皇太子妃シルヴィアの間に生まれた皇女。生まれた直後から強力な念動・念力を発散させ、ルシアの生まれ変わり(転生)としての記憶と意図を秘めている。


【アルヴェリア親王家・リヴィエール一族】


イリアード・フォン・セレスティア

セレスティア親王であり、オーレリア帝国の「軍神」と称される総大将(のちに第15代皇帝に即位)。親バカな一面があり、娘のルシアや孫のシェルランテを狂愛している。


セシリア・リヴィエール

イリアードの側室でルシアの母(貴妃)。リヴィエールの血を引き、念話や念動、無から植物・花々を生み出す能力を持つ。


リゼリア・リヴィエール

イリアードの正妃(皇后)。念話、念視、予知の異能を司る。


フレデリカ・リヴィエール

大一族リヴィエールの長老で、イリアードの母(皇太后)。


リアム・フォン・セレスティア

イリアードと正妃リゼリアの息子でルシアの異母兄(のちに皇太子)。グラッデェ皇帝ベグ・バールを捕縛する功績を挙げ、聖剣アウレリウスを授かる。


シンシア・フォン・セレスティア

イリアードと正妃リゼリアの次女。異能を持たない「普通の女の子」として育ち、後宮でココロギの元へ通う。


ベルトト

セシリアの側近であり、熟練の女官長(侍女)。


【オーレリア帝国皇室】


アラリック

オーレリア帝国第14代皇帝でイリアードの異母兄。

シルヴィア・フォン・オーレリア

アラリックの第6皇女で、リアムの正妻(皇太子妃)。シェルランテの母。


ロザリア

アラリックの皇后。紫の異能(黒山羊結社・天信教の暗黒の力)に侵され狂気に陥る。


イスファ

アラリックと徳妃ルネッタの間に生まれた第4皇子。紫の異能に支配され惨劇を引き起こす。


ルネッタ

帝都の翡翠宮にいる徳妃で、セシリアの実妹。


イスマ

アラリックの皇太子で、異能に狂ったイスファに殺害される。


【聖ゲンドラス教国・真理の光教団】


ゲンドラス・サイリュン(崔厳)

『真理の光教団』の教祖であり『聖ゲンドラス教国』の教皇(ココロギの父)。ルシアの下僕として表面上の統治を行う。


ヴォルフラム

アンチアルマ大聖堂の枢機卿。元・吟遊詩人かつ凄腕の剣士。


ジル・オテ(ジルグード)

元オテゲン皇国第4王子。ルシアに敗れた後、改心させられて聖ゲンドラス教国の司教となる。


カシアン・ヴァロア

かつての大遠征に失敗した元宦官で、幼いルシアの手配によりシューコルン司教・オクタヴィア大聖堂司教を歴任。


【アルストラーナ帝国(バール朝・グラッデェ)】


エスゲイ・バール

中央高原を支配する隻眼の覇王。ルシアによって暗殺される。


ベグ・バール

エスゲイの次男で、バール朝アルストラーナ帝国の皇帝。大軍を率いてオーレリアへ侵攻するが、ルシアとリアムに捕縛される。


カサル

エスゲイの弟で大将軍。北方の脅威に対抗するため領地を焦土化する暴挙を行うが、ヴィオに首を討たれる。


カルヴァル

古都ラーナの天信教総主教。ルシアによって権威を失墜させられ降伏する。


【ディヌイヤ王国】


ボロ・ディヌイヤ

南南海の覇者・ディヌイヤ王国国王。ルシアと旧知の仲であり密約を結ぶ。


ビー・スー

ディヌイヤから随行した丸盾使いの青年で、ディヌイヤ・ラーナ公国の司教。ココロギの協力者。

敵対組織(天信教・黒山羊結社)


アルノルト

天信教の老総主教。虚無の終焉と「救世主の死」を望み、禍々しい禁忌の術式を行う。


アルカディアス

帝国の影で暗躍する『黒山羊結社』の頂点であり、天信教の真の黒幕である初老の男。


【用語集一覧】


【組織・勢力】


六棘の霜華(ろっきょくのそうか)

背中、左胸、右肩に「六つの尖角を持つ雪と霜の結晶」を刺繍したフード付きローブを纏う、神出鬼没の義賊。ルシアとヴィオの仮の姿。


四つ葉のクローバー(真理の光教団 / 聖ゲンドラス教国)

聖ゲンドラス教国および真理の光教団のシンボル。ルシアが真の支配者として率いる組織の象徴。


バール朝アルストラーナ帝国

騎馬民族グラッデェの征服者ベグ・バールが古都ラーナと同化して打ち立てた帝国。

黒山羊結社くろやまぎけっしゃ

三つの目を持つ黒山羊の銀紋章を掲げ、帝国の影で古代の「原始の力」や呪詛を用いて暗躍する狂信的な秘密組織。


【地名・都市】


ラーナ(古都ラーナ)

古代文明の発祥地でありアルストラーナ帝国の首都。


アクア・パレス

(ルシア宮 / 蓮花宮 / フロスト・ヴァイス城)

水の都にあるセレスティア親王家の美しき宮殿群。


聖都クリスタルヘイム

聖ゲンドラス教国の首都。ディヴァイン湖と霊峰セイクリッド山の麓に碁盤の目状に築かれた超巨大都市。


ガザルカガンド

中央高原におけるグラッデェ遊牧民族の本拠地・交易都市。ガザルカガンド会戦により陥落・焼亡する。


アシュウェスト

大運河とアシュロン川が交差する物流・交易の要衝。裏社会の「五大商人」が牛耳っており、水底にはかつて大洪水で沈められた旧大聖堂が眠る。


アルヴェリア

かつて未曽有の水害・大洪水によって沈み、長年不毛の湿地帯となっていた禁忌の地。


【武器・アイテム・特殊設定】


短錫杖 / 長柄の錫杖(仕込み剣)

ルシアとヴィオが携える武器。短錫杖は金環がついた打撃用法具。長柄の錫杖は柄を捻ると長剣が抜け、柄と石突き部分が強固な鞘となる両手生殺の仕込み杖。


聖剣アウレリウス

オーレリア皇帝直属の伝説的な名剣。真の英雄としてリアムに授与される。 


黄金の獅子剣

大元帥イリアードが携える大刀。真の力を解放すると眩い黄金の闘気を噴出させる。


神秘札・護符

ココロギやルシアが異能の力でその場で作る紙片。受け取った者の悩みを解決する注意書きや治癒・保護の奇跡をもたらす。


リヴィエールの血(異能)

リヴィエール一族に発現する超常の力。瞬間移動(空間跳躍)、念動、念視、予知、治癒、無からの生成(念創)など多岐にわたる。


紫炎石しえんせき

黒山羊結社が人工的に生み出した物質。強力な結界の展開や他者への精神憑依を可能にする。


心木こころぎ

『真理の光教団』の教義において、世界や生命の魂をつなぎ止め、心(感情・意思)を巡らせる大樹・世界樹を指す言葉。


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