↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『アルストラーナ伝記』  作者: リアトト
『花の都ルミナリア』帝国歴306年
6/148

『転生姫の船旅、母の帰郷』

帝国歴三〇六年、八月。

太陽が天空の頂から惜しみなく陽光を注ぎ込む真夏の中、内海(ないかい)の水面は、まるで敷き詰められた銀鱗のようにキラキラと眩しく輝いていた。 ヴェルデン・ハーフェンから南西へ——内海(ないかい)交易と芸術が交差する要衝であり『花の都』と謳われるルミナリアを目指し、一隻の軍船が帆を広げ航行していた。

ヴェルデンハーフェンとラーナの中央に位置する、ルミナリアは、四季折々の花々が咲き誇り、水路と石造りの街並みが調和した美しい都市だ。この船の船室で小さな我が子を抱く女性、セシリアにとって懐かしい故郷である。

「いい風ですね、セシリア様」

甲板へ続く扉が開かれ、侍女のエミーナが明るい声をかけながら冷やした果実水を持って入ってきた。 セシリアは窓辺のソファに腰掛け、胸の中に抱いた生後四ヶ月になる愛娘・ルシアの小さな背中を優しく撫でながら、ふっと微笑を浮かべた。

「ええ、本当に。真夏だというのに、内海の冷気を含んだ風がこんなに心地よいなんて」

あちこちから、雪解け水を川から注がれる内海の水温は低く、絶えず冷涼な気が立ち上っている。窓から吹き込む塩分濃度の低い海風は、セシリアの淡い金色の髪を柔らかく揺らした。

セシリアにとって、今回の旅は13年ぶりとなる帰郷であった。 まだ幼く9歳でルミナリアの生家を立ち、帝都の後宮へ向か今、波乱に満ちた年月を過ごしてきた彼女にとって、故郷に残してきた愛する両親——温かく穏やかな父アルベールと、包み込むような慈愛に満ちた母エレノアとの再会は、待ち望んでいた奇跡のような出来事であった。

「……セシリア様。船旅にしては、少々速すぎはしませんか? 船員たちが『自分たちの櫂の手際と帆の扱いが天下一品だからだ』と自画自賛しておりますが」

落ち着いた声でそう問いかけたのは、もう一人の侍女であるロゼッタであった。彼女は室内を整えながら、セシリアの表情を静かに覗き込む。

セシリアは小さくクスリと笑った。

「秘密よ、ロゼッタ。気持ちが焦ってしまって、ついつい船を押してしまっているの。でも、船員たちのプライドを傷つけないよう、ごく自然な風に見せかけているわ」

彼女が隠し持つ絶大な『異能』——自然の潮流や気流さえも密やかに操るその力は、今や愛しい娘を一刻も早く両親に見せたいという、一人の母親としての健気な願いのために使われていた。


◇

その時だった。 バシャリ! と甲板の方で大きな水音が響いたかと思うと、続いて「きゃっ!」というエミーナの驚きと歓喜の混ざった声が聞こえてきた。

セシリアとロゼッタが顔を見合わせ、窓から外の甲板を窺う。 そこには、甲板の上で元気に跳ね回る、体長半メートルはあろうかという見事な大魚と、それを慌てて捕まえようとするエミーナの姿があった。

「わぁ! すごい! セシリア様、見てください! 立派なルーユー(スズキ)ですよ! 美味しそう!」

エミーナはスカートの裾が濡れるのも気にせず、勢いよく魚を掴み上げてはしゃいだ。銀色の鱗が夏の太陽を反射して眩しく輝いている。

ロゼッタが静かに甲板へと歩み寄り、魚をじっと観察してから言った。

「内海のルーユーですね。上品な白身で、程よく脂がのり、ふっくらとした柔らかい食感の魚です。臭みが少なく、魚の本来の旨味がしっかりと感じられるはずです」

あまりにも淡々と、まるで博物誌の一節を暗唱するかのように語るロゼッタの姿に、セシリアとエミーナは思わず吹き出してしまった。

「ふふ、ロゼッタの説明はいつも本を読んでいるみたいね」

セシリアの言葉に、ロゼッタは少しだけ照れくさそうに姿勢を正した。

「料理長に持って行ってちょうだい。ネギや生姜とともに蒸して、みんなで昼食にいただきましょう。こんな新鮮で立派なルーユーなら、最高の清蒸チンジョンができるわ」

「はい! すぐに厨房へ運んできます!」

エミーナが嬉しそうに魚を抱えて走っていくのを見送りながら、セシリアは再び腕の中の我が子を見つめた。 生後四ヶ月のルシアは、騒ぎの中でもすやすやと心地よさそうに眠っている。セシリアは娘の丸く柔らかい頬を指先でそっと撫で、小さく語りかけた。

(ルシア……今のルーユーは、あなたが獲ってくれたのね? ありがとう)

そう、船の周囲の流れを読んでいたセシリアには分かっていた。 まだ言葉も話せず、寝返りすらおぼつかない幼子でありながら、ルシアは母譲り——いや、それ以上の強い『異能』の力を秘めている。川底深くを泳いでいた大魚が不自然なほど軽やかに水面へと跳ね上がったのは、幼いルシアが無意識に放った無垢な力の悪戯だったのだ。

母の言葉に応えるかのように、腕の中の赤子はむにゃむにゃと口を動かし、愛らしく身をよじって小さな寝返りを打ってみせた。その愛くるしい仕草に、セシリアの胸は締め付けられるほどの愛おしさで満たされた。


◇

陽が少しずつ西へと傾き始め、内海の水面が黄金色に染まり始める頃。船の厨房からは、ネギと生姜の香ばしい香りと、蒸し上がった魚の芳醇な湯気が漂ってきた。船員たちと共に味わったルーユーの蒸し料理は絶品で、ふっくらとした白身に生姜の風味が効いた醤油ダレが絡み、誰もがその美味しさに舌鼓を打った。

昼食を終え、ルシアの従僕である中年男、『崔厳(さいげん)』が甲板の隅で静かに警護に当たる中、セシリアは船首に立ち、遠くに見えてきた街の影を見つめていた。

水路の随所に美しい百合の花が咲き乱れ、白い石造りの橋がかかる街——花の都ルミナリア。 その美しい都が、夕暮れの光を受けて橙色に輝いている。

(もうすぐ……お父様、お母様とお会いできるのね)

13年の歳月は長かった。様々な困難を乗り越え、母となった自分を、両親はどんな笑顔で迎えてくれるだろうか。 期待に胸を膨らませるセシリアだったが、その幸福感の裏側には、かすかな寂しさと切なさが影を落としていた。

妹、ルネッタのことである。

セシリアには、ひとつの心残りがあった。自分と同じくルミナリアで生まれ育ち、共に笑い合った愛しい妹・ルネッタ。彼女は現在、遠く離れた帝都の後宮にて『徳妃(とくひ)』という尊い身分に身を置いている。

後宮——それは一度足を踏み入れ后妃となれば、皇帝の許可なくしては一歩も外に出ることが許されない美しくも孤独な篭の鳥の城だ。

(ルネッタ……あなたも一緒に、このルミナリアに帰ってこられたらよかったのに。お父様とお母様、そして私の新しい家族であるこのルシアに、あなたを引き合わせたかったわ)

帝都の絢爛豪華な宮殿で、皇帝の寵愛を受けながらも、常に権力闘争の渦中に身を置く妹の苦労を思うと、胸が痛んだ。かつて姉妹でルミナリアの水路を小舟で巡り、花を摘み合ったあの日々は、もう遠い思い出の中にしかない。

「セシリア様、そろそろ着岸の準備が整います」

崔厳が静かに近づき、低い声で告げた。セシリアは深く息を吸い込み、妹への切ない想いを胸の奥にそっと仕舞い込むと、しっかりと頷いた。

「ええ、ありがとう崔厳」

船が滑り込むようにルミナリアの港へと近づいていく。 桟橋の上には、豪華な馬車と、懐かしい面影を残す老僕、そして……セシリアの帰還を今か今かと待ちわびる、愛する父アルベールと母エレノアの姿が見えた。両親は船の上にセシリアの姿を見つけると、いとおしそうに手を振り、涙ぐんでいるようだった。

「ルシア、見て。あれがあなたのおじい様とおばあ様よ」

胸の中で目を覚ましたルシアが、母の輝くような笑顔を見上げ、きらきらとした大きな瞳を瞬かせた。

日没前——茜色の光に包まれた花の都ルミナリアにセシリアは帰って来たのであった。



登場人物一覧表


•ルシア・フォン・セレスティア

•セシリアとイリアードの間に生まれた娘(生後数ヶ月)。前世は「ロシュワルト伯爵家の至宝」と呼ばれたシャルロッテ。生まれた瞬間から極めて強大な「念動」「念力」「念創」「念話」などの異能を発揮する。無意識に宝物や巨大なマグロを引き寄せたり、手紙を出して崔厳を呼び寄せ「真理の光教団」を設立・手配するなど、幼子でありながら圧倒的な才能と洞察力を見せる。


•リアム

•リゼリアとイリアードの間に生まれた男の子。ルシアと同時期に誕生した。「絶対的な知恵と調和」の精神的波動(念視・予知の力)を秘めている。


•セシリア

•イリアードの側室で、ルシアの母親。リヴィエール家の一族の血を引き、念動・念力・念創の異能や自然の潮流・気流を操る力を持つ。ルミナリア出身(13年ぶりに帰郷)。


•リゼリア

•イリアードの正妻で、リアムの母親。念話・念視・予知の異能を司る。高い知性と深い慈愛を持ち、遠方から念話でセシリアの相談や状況把握を行う。


•イリアード

•セレスティアの親王。リゼリアとセシリアの夫であり、リアムとルシアの父親。


•フレデリカ

•イリアードの母親(リアムとルシアの祖母)。予知の力を持ち、ルシアの強大な異能や珍騒動も面白がって温かく受け入れる包容力を持つ。


•崔厳(さいげん) / ゲンドラス・サイリュン

•かつてバルマート王国の宰相であり新国『サンドラ』の元国王。敗戦後に捕らえられ「ポチ」と辱められていたが、恩赦後にルシアの手紙によって呼び寄せられる。自尊心が高く圧倒的な存在感を見せ、ルシアの計画のもと「真理の光教団」の教祖「ゲンドラス・サイリュン」に擁立される。


•ベルナデット

•親王府に仕える侍女。完璧主義者で、冷静に事務処理や面会制限などの手配をこなす。


•エミーナ

•15歳の侍女。賑やかで感情豊かな性格をしており、ルシアが引き寄せる宝物の整理や怪現象への対応に奮闘する。


•ロゼッタ

•15歳の侍女。冷静で知識が豊富(博物誌のように詳しく説明する)。念話の波動を同調させて痛みを和らげる異能の補助も行う。


•アルベール

•セシリアの父親で、リヴィエール商会ルミナリア支社長。孫(ルシア)を溺愛する好々爺。


•エレノア

•セシリアの母親。包み込むような慈愛を持ち、13年ぶりに帰郷したセシリアと孫のルシアを温かく迎える。


•ルネッタ

•セシリアの妹。現在は帝都の後宮で「徳妃」の身分にあり、皇子を出産した。


•アラリック

•アルストラーナ帝国の皇帝。


用語集一覧表


•アルストラーナ帝国

•本作の舞台となる大帝国。歴306年の出来事が描かれる。


•セレスティア親王国 / アクアパレス

•帝国に属する親王国、およびその中心都市。水路網が縦横無尽に走り「水の都」と称される。フロスト・ヴァイス城が所在する。


•フロスト・ヴァイス城

•セレスティア親王国の居城。離宮や本城、広大な庭園などを備える。


•リヴィエール一族

•常人を遥かに超える強力な「異能」の血を引き継ぐ一族。リゼリア、セシリア、ルシアなどがこれにあたる。


•異能(念話・念視・予知・念動・念力・念創)

•リヴィエール一族などが身に宿す超自然的な力。


•念話 / 念視 / 予知: 心の中で会話する、離れた場所を見る、未来を見通す力(リゼリアやリアムなど)。


•念動 / 念力 / 念創: 物体を動かす・浮遊させる力、物理的衝撃波を放つ力、無から有を生み出し物や宝を引き寄せる・創造する力(セシリアやルシアなど)。



•クリスタリア湖

•セレスティア親王領に位置する綺麗な湖。


•ルミナリア(花の都)

•交易と芸術が交差する要衝都市で、水路と石造りの街並み、咲き誇る百合などの花々が特徴。建国から300年一度も戦火に見舞われていないが、表面上の華やかさの裏で深刻な貧富の格差が固定化している。


•真理の光教団

•生後4ヶ月のルシアが立案・プロデュースし、崔厳を教祖「ゲンドラス・サイリュン」に据えて設立した新興宗教。白亜の大聖堂や「聖なる山(エレスティアル山)」の巡礼などを整え、ルミナリアの被搾取層・貧民の信仰心を集めて巨大な裏の経済圏と救済システムを形成する。


•エレスティアル山

•ルミナリアの西の外れに位置する山。麓にはニルニラ家から買い取った城(後の大聖堂)があり、山肌は巡礼登山用の「聖なる道」として整備された。


•リヴィエール商会

•一族が運営に関わる一大商会。ルミナリア支社はアルベールが支社長を務め、経済戦争や特産品の買い付けなどを通じて莫大な利益と強固な基盤を得ている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。