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『暴走馬車のココロギ』


アルストラーナ将兵は大刀を頭上に高々と掲げ、全霊の力を込めて振り下ろした。

――ズシャァッ!

甲冑を断ち割り、肉を裂く凄まじい手応え。敵将の身体が力なく馬上から崩れ落ちていく。 自軍の将が討たれた瞬間、敵陣の中に絶叫と大混乱が広まった。 アルストラーナ将兵は血煙の中から高々と敵将の首級を掲げ上げ、夕日に向かって咆哮を上げた。

――ん? なんだ、あれは?

数々の戦場をくぐり抜けてきた歴戦の猛者の目が、遥か彼方に発生した奇妙な光景を捉えていた。


◇

「ひ、ひいいいッ!? なんでえええええ!?!?」

荒涼としたアンチアルマの平原に、場違いな少女の悲鳴が突風のように響き渡った。 少女――ココロギは、激しく揺れる馬車の御者台で泣きじゃくりながら、手綱を必死に握りしめていた。視界は涙でぐしゃぐしゃに滲み、鼻水を拭う余裕すら存在しない。 間違えたのだ。完全に、そして致命的なまでに。 危機を脱するために発動させたはずの異能『空間跳躍』の座標指定を、パニックのあまり盛大に二度も狂わせてしまった。 目指す先は、大好きな主人・ルシアが待つ「東の砦」。確かにこの平原をこのまま一直線に突っ切れば砦へと辿り着く。しかし、目の前に広がっていたのは……見渡す限りの鉄と漆黒の群集であった。 なんと、あの冷酷無比なる「グラッデェ帝国軍」五十万の大軍勢が隙間なく展開する、まさに死のただ中へと飛び込んでしまったのだ。

「うあああああんっ! ルシアさまぁぁぁ! たすけてぇぇぇ!!」 ココロギの絶叫とともに、馬車は猛烈な勢いで帝国軍の最前線へと突撃していく。 「な、何だあの馬車は!? どこから現れた!?」 「敵の奇襲か!? いや、乗っているのはただの泣き叫ぶガキだぞ!?」 あまりに唐突な空間の歪みと、そこから現れた暴走馬車に、百戦錬磨の帝国兵たちすら一瞬絶句した。しかし、そこは血に飢えた軍勢。すぐさま最前線を任されている騎馬民族「グラッデェ」の部隊が素早く動き出した。 「ハハハ! 命知らずの小娘が! 捕らえて奴隷にしてやるわ!」

地響きのような蹄の音を立て、強靭な肉体を持つグラッデェの騎馬兵たちが、獲物を囲い込むように馬車の左右から迫り寄る。鋭い三日月刀が、西日にギラリと不気味に反射した。 「来ないでぇえええ! 近寄らないでぇぇぇっ!!」 恐怖が頂点に達したココロギは、目をぎゅっと瞑り、手綱を無我夢中で振り回した。 その瞬間、彼女の秘められた異能が、極限のパニックと連動して暴走を始める。 馬車を中心にして、局所的な空間の歪みが連続して発生したのだ。 右側から手を伸ばそうとしたグラッデェ兵の馬が、空間の捩れに足を取られて豪快に転倒する。左側から迫った騎兵たちは、突如として現れた真空の断層に弾き飛ばされ、悲鳴を上げて落馬していった。

「ひいいっ! ゴメンナサイ! ゴメンナサイいいっ!」 ココロギ自身には、攻撃しているつもりなど毛頭ない。ただ死に物狂いで前だけを見つめ、ルシアの元に辿り着きたい一心で泣き叫んでいるだけだ。だが、その悲鳴と涙の軌跡を追うように、馬車の左右では空間が次々と爆ぜ、追いすがるグラッデェの精鋭たちがなぎ倒されていく。 「な、なんだあの馬車は……! 近寄ることすらできんぞ!」 「化物か!? どんな秘術を隠しているというんだ!?」 圧倒的な恐怖と混乱が、瞬く間に帝国軍の先鋒を包み込んだ。五十万の大軍が誇る鉄の陣形が、たった一台の、ボロボロと涙を流す少女の馬車によって強引に穿たれていく。 「ルシアさまあああああっ!!」 猛進する馬車は、煙と砂塵を巻き上げながら、悲鳴を合図に帝国軍の重包囲網を一直線に撃ち破っていく。目的地である西の砦は、もう目と鼻の先であった。

緑の『四つ葉のクローバー』の紋章を掲げる、東の砦。いわゆる『聖ゲンドラス教国』が待機する拠点である。 城壁の上から望遠鏡を覗き込んでいたルシアが、突如として絶叫した。 「ココロギ!? なんで!? 危ない……今すぐ出るわ! ヴィオ! ビー・スー! ついてきて!!」 相変わらずの主人の無茶ぶりに、ヴィオもビー・スーもただ頷いて従うしかなかった。 (ココロギ!? なぜ? どうしてこんな場所に!?) 疑問を口にする余裕など一瞬たりともない。ただ今、彼女を救うために出撃するのみであった。


◇

アンチアルマの城壁の上。 肝心の宿敵・アルストラーナの本陣は南に展開しているのだが、アルストラーナ総大将イリアードは東門の上に立ち、ただ東の砦の動向ばかりを気に病んでいた。聖ゲンドラス教国の巫女『ルナ』の正体が、自身の愛娘『ルシア』であると察していたからである。 「閣下! 東の砦から三騎が出撃しました!」 「たった三騎だと!?」 この平野には敵が五十万も展開しているのだ。文字通り、死地に飛び込むようなものであった。 望遠鏡を構え直したイリアードの目には、はっきりとその姿が映っていた。愛する娘を見間違うはずなどなかった。 「ルシア! ダメだ……! 今すぐ出るぞ!」 「え? あの、全軍出撃ですか!?」 あまりの事態に、側近の兵が困惑の声を上げる。相手は五十万の大軍なのだ。 「当たり前だ! 総出撃だ! 南のヴェロニカ砦、西のフェルゼンヴァルデン砦にも即刻合図を送れ!」 オーレリアの『軍神』とまで称えられた男が、珍しく声を裏返らせ、なりふり構わず喚き散らしていた。



■ 登場人物一覧表


【オーレリア帝国 / アルヴェリア親王家】


イリアード・フォン・セレスティア

アルストラーナ帝国の総大将・大元帥。のちに第15代皇帝となる。「軍神」と称される名将だが、娘ルシアや孫シェルランテには滅法甘い子煩悩・孫煩悩な一面を持つ。


ルシア・フォン・セレスティア(巫女ルナ)

イリアードの娘。聖ゲンドラス教国聖騎士団長および「真理の光教団」の巫女ルナとして暗躍する天才的転生少女。極めて高い戦闘力・軍略・政治力と超常の異能を持つ。政変時に結界を破るため命を捧げるが、シェルランテとして転生/復活を果たす。


リアム・フォン・セレスティア

イリアードの息子でルシアの兄。16歳で初陣を飾り、雲麾将軍・皇太子となる。真面目だが苦労性。


リゼリア

イリアードの正室(皇后)。リヴィエールの血を引き、予知や精神干渉・感情読み取りの異能を持つ。


セシリア

イリアードの側室(貴妃)でルシアの実母。ルミナリア出身の美女。念話・念動・念創(無から有を生み出す)、植物を繁茂させる異能や古琴の才能を持つ。


シルヴィア・フォン・アルストラーナ

第14代皇帝アラリックの第6皇女で、リアムの妻(皇太子妃)。


シェルランテ・フォン・アルストラーナ(白鷺姫)

リアムとシルヴィアの間に生まれた皇女。生まれながらにして破格の念力・念動の異能を発揮し、のちにルシアの復活した姿であることが明かされる。


シンシア・フォン・セレスティア

イリアードの娘(ルシアの異母妹)。後宮で宮廷見習いとして過ごす控えめな少女。


アラリック

アルストラーナ帝国第14代皇帝。イリアードの腹違いの兄。弟のイリアードを深く信頼し、近くに置きたがる。


イスマ

アルストラーナ帝国の皇太子。弟イスファにより殺害される。


イスファ

オーレリア帝国第4皇子。紫の極光/不吉な力に侵され謀反を起こすが討たれる。


フレデリカ・リヴィエール

イリアードの母(皇太后)。強い異能と圧倒的な貫禄を持つ重鎮。


【真理の光教団 / 聖ゲンドラス教国 / 周辺人物】


ココロギ・サイリュン(崔心木)

「真理の光教団」の教祖ゲンドラス(崔厳)の娘で、四つ葉堂の巫女。空間跳躍などの強力な異能を持つが、パニックになりやすく失敗も多い愛されキャラ。


ヴォルフラム

「真理の光教団」アンチアルマ大聖堂の枢機卿。元は流浪の吟遊詩人・剣士という経歴を持つ。


ジル・オテ(ジルグード)

元オテゲン皇国第4王子。ルシアに敗れたのち改心し、聖ゲンドラス教国の司教を務める。


ビー・スー

ディヌイヤ王国出身の青年司教。愛用の丸盾と錫杖を操る頼もしい協力者。


ベルトト

セシリアの侍女で、のちに女官長となる人物。


ヴィオ

ルシアの忠実な侍女。黒髪紫眸で錫杖や長剣を扱う精鋭。


【アルストラーナ帝国 / グラッデェ】


ベグ・バール

グラッデェ帝国の皇帝。父エスゲイの復讐のためにオーレリアへ大侵攻を仕掛けるが敗北・捕縛される。


エスゲイ・バール

グラッデェの偉大なる大王。暗殺されたことで戦争の発端となる。


バザル

騎馬民族グラッデェの猛将・最高幹部。ガザルカガンド会戦でルシアに討たれる。


【天信教 / 暗躍勢力(黒山羊結社)】


カルヴァル

古都ラーナの天信教総主教。ルシアによって歴史の偽証を暴かれ全権を没収される。


アルノルト

帝都オクタヴィアの天信教総主教。狂信ゆえに「世界の滅亡」と「救世主の殺害」を祈願し秘儀を執り行う。


アルカディアス

帝国の影で暗躍する「黒山羊結社」の首領であり、天信教の黒幕。大水没の再現を目論む。


エレノア

皇帝付きの女官で野心家。リアムの心の隙に付け込んで密通する。


■ 用語集一覧表


【国家・地域・都市】


オーレリア帝国

大陸東部の主要大国。首都はオクタヴィア。


アルストラーナ帝国

西方の大帝国。古代文明の発祥地とされる古都ラーナを首都とする。


ガザルカガンド

騎馬民族グラッデェの本拠地。聖騎士団によって急襲・焼亡させられた。


聖ゲンドラス教国

極東の島国・宗教国家。「四つ葉のクローバー」を紋章とし、白の聖騎士団を擁する。


ディヌイヤ王国

南海の大国。強力な水軍・大船団を持つ。


オテゲン皇国 / 燕国

かつて崩壊した草原の国家オテゲンおよび錦族ゆかりの東方国家(燕国)。


ルミナリア(花の都)

リヴィエール家の故郷であり芸術・文化の都。のちにイリアードの賜与領地となる。


アンチアルマ

オーレリア帝国の西を護る堅牢な要塞都市。過去の大戦および今回の決戦の舞台。


アシュウェスト

大運河とアシュロン川が交わる大物流拠点。五大商人が牛耳り、水底に古都市と最初の大聖堂が沈んでいる。


アルヴェリア

イリアードが開拓した領地。かつては広大な不毛の湿地帯であった。


【宗教・組織・血脈】


リヴィエール一族

オーレリア帝国高貴の血筋。女性を中心に予知・念動・念創・念話・空間跳躍・干渉など規格外の超常「異能」を宿す。


真理の光教団

四つ葉のクローバーを象徴とする新興教団。天信教の欺瞞を打ち払い、各地で国教や民衆の心の支えとなっていく。


天信教

歴史を偽り、宗教的権威で皇帝や民を支配してきた旧来の巨大教団。謀反・呪詛事件ののち国外追放・資産没収となる。


黒山羊結社

「三つの目を持つ黒山羊」を紋章とし、帝国の影で禁忌の術や大水没を目論む謎の秘密組織。


六棘の霜華(ろっきょくのそうか)

大陸中で神出鬼没する義賊の紋章・組織。ルシアやセシリア、ココロギらが活動時に用いる。


【術語・奇蹟・重要アイテム】


異能

リヴィエール一族などに発現する超自然的な能力(瞬間移動、念動解体・修復、植物生長、念話など)。


枡形ますがた

城門の奥に設けられた、敵を誘い込んで退路を断ち集中攻撃するための半円形・矩形の石造り要塞構造。


神秘札 / 護符

ココロギやルシアが異能を込めてその場で作る札。受け取った者に助言や癒やし、導きを与える。


紫炎石 / 紫の結界

天信教や結社が用いる人工の怪石および術。リヴィエールの特有の異能を完全に遮断・封殺する効果を持つ。


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