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『アルストラーナ伝記』  作者: リアトト
『六棘の霜華』帝国歴321年
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『転生姫への求婚と破談』

水の都アクア・パレス。網の目のように巡る水路が朝光を反射し、光の波紋を天井に映し出す蓮花宮(れんかきゅう)の静寂な一室で、フレデリカ・リヴィエールは一通の書状を前に深くため息を吐いていた。

書状は帝都ラーナの翡翠宮(ひすいきゅう)——後宮に身を置く徳妃ルネッタからのものであった。内容は、皇帝アラリックとの間に生まれた第四皇子イスファと、セレスティア親王イリアードの娘ルシアとの婚姻の打診である。

アルストラーナ帝国において、男女は十五歳をもって成人となる。今年、イスファとルシアが共に十五歳の節目を迎えたことで、後宮のルネッタが動き出したのだ。

かつてフレデリカ自身も、息子であるイリアードが十五歳で成人し、結婚して親王として領地を拝領した際、統治者としてセレスティアへ下向するのに伴って後宮を出た経験がある。親王が領地に赴く際、その生母も共に後宮を離れて暮らすことが許されるという帝国の定めに倣い、ルネッタもまた、息子イスファの結婚を機に冷たい後宮を脱出しようと模索しているのだった。

ルシアとイスファは幼少期に何度か顔を合わせており、非常に仲が良く相性も抜群であった。なにより、ルネッタとルシアの母セシリアは実の姉妹である。ルネッタは姪であるルシアに強い親近感を抱いていたし、彼女の規格外な異能と強烈すぎる人格も承知していた。不思議なことに、ルシアの棘のある強烈さは、穏やかなイスファと一緒にいるときだけは角が取れて和らぐのを、ルネッタは自らの目で確かめていたのだ。

(ルネッタの気持ちは痛いほどよく分かる……だが……)

フレデリカの心は激しく揺れていた。かつてルネッタを帝都の後宮へ送り出したのはフレデリカ自身である。できることなら彼女の願いを叶え、救い出してあげたいという情があった。しかし、大一族リヴィエールの長老としての理性が、その決断に待ったをかける。

イリアードと正妃リゼリア、側室セシリアはそれぞれ従姉妹・従兄妹同士である。もしイスファとルシアが結ばれれば、父親同士が兄弟で母親同士が姉妹という、あまりにも濃厚な「リヴィエールの血」が交わることになる。ただでさえルシアは、一族の歴史上でも類を見ないほど苛烈で強い異能の力を宿して生まれてきたのだ。血を濃くすることは危険であり、ルシアの婚姻相手はリヴィエールと全く縁のない他家から迎えるのが理想であった。

沈思黙考の末、フレデリカの頭の中に一つの代替案が浮かんだ。

「正妃リゼリアの産んだ次女、シンシアではどうか……」

シンシアはルシアより五歳年下の十歳。かつてリゼリアやセシリアも、十歳前後で翡翠宮に呼ばれ、フレデリカの侍女として淑女の嗜みを学びながら成人を待った経緯がある。シンシアをイスファの妃候補として後宮へ送り出せば、ルネッタの「息子の結婚に伴う後宮脱出」の道筋は立てられる。血の濃さもルシアほど極端にはならない。

考えをまとめたフレデリカは、すぐさま正妃リゼリアと側室セシリアを蓮花宮へと呼び出した。

事情を聞いたリゼリアは、「フレデリカ様の深いお考えであるならば、私は謹んでそのご意向に従います」と穏やかに頭を下げた。一方で、実妹ルネッタの思惑を知るセシリアは、妹の立場に理解を示しつつも、フレデリカの判断に強く賛同した。

「……叔母様のおっしゃる通りですわ。ルネッタの力になってあげたい気持ちは山々ですが、何より……ルシアを手元から離すわけにはまいりません」

修羅場をかいくぐってきたセシリアは苦笑交じりに溜息をついた。

「あの子を帝都の後宮などに送ってみなさいませ。手元に置いて監視しておかなければ、一体どんな大それた騒動を引き起こすか分かったものではありません。あんな強烈な子を産み落とした親として、世間に対する責任がございますもの」

母親としての切実すぎる本音に、フレデリカも思わず苦笑を漏らした。

最後に立ちはだかるのは、ルシアの父親であるセレスティア親王イリアードであった。イリアードは娘のルシアを異常なまでに溺愛しており、ルシアがわがまま放題に育った原因の半分は彼の過保護さにあると言っても過言ではない。彼との話し合いに臨んだフレデリカであったが、イリアードの反応は予想通りであり、同時に意外なものでもあった。

「ルシアを遠く帝都へ嫁かせるなど、断固反対です! あんな愛くるしい宝物を手放せるはずがありません!」

ルシアの婚姻に関しては頑として首を縦に振らないイリアードであったが、次女シンシアをイスファに嫁かせる案に対しては、あっさりと納得した様子を見せた。

「シンシアか……。あの子は大人しく、慎み深い良い娘だ。帝都へ行っても見事にやっていくだろう」

もちろんイリアードとて、シンシアへの父親としての愛情は人並みに持ち合わせている。しかし、正妃リゼリアに似て、文句のつけどころがない品格ある貴族の令嬢として育ちつつあるシンシアならば、皇室へ嫁いでも何一つ恥じることはないという事実を、冷徹に理解してもいたのだ。

こうして、一族の血筋、後宮の思惑、そして親たちの様々な愛情と計算が交錯する中、ルシアの知らぬところで大きな決定が下された。

「では、これより翡翠宮のルネッタへ返書を書こう。ルシアではなく、シンシアを皇子イスファの許嫁として迎えていただくように、と」

フレデリカが筆をとる。アクア・パレスの静かな朝の光の中で、二人の少女の運命がひそやかに動き始めていた。



登場人物一覧表

* ルシア(ルシア・フォン・セレスティア)

* セレスティア親王イリアードと側室セシリアの間に生まれた15歳の姫君。

* 一族最強と謳われる強力な異能(数千キロ離れた異国へ一瞬で転移する能力など)を持つ。

* 裏では義賊『六棘の霜華(ろっきょくのそうか)』のリーダーとして、短錫杖を手に悪徳貴族や海賊などを討伐・蹂躪している。

* 『聖ゲンドラス教国』を陰から操る真の支配者という顔も持つ。

* ヴィオ

* ルシアに付き従う同い年(15歳)の専属侍女。

* 乱雑な黒髪と紫の瞳が特徴で、5歳の頃に孤児だったところをルシアに拾われた。

* 長柄の仕込み錫杖(長剣と金属鞘)を巧みに操る「両手生殺」の精鋭であり、ルシアの絶対的な忠臣。

* セシリア

* ルシアの母であり、セレスティア親王イリアードの側室。

* 自身も異能の力を有し、察知能力に優れる。娘を深く溺愛しており、秘密で夜出かけるルシアを心配している。ルネッタの実姉。

* ベルトト

* セシリアの側近であり、熟練の侍女。眼鏡をかけた冷静沈着な女性で、ルシアやヴィオの寝坊などにも対応する。

* イリアード

* アルヴェリア親王(セレスティア親王)で、ルシアやシンシアの父親。

* 帝国軍で「軍神」と称されるほどの猛者だが、ルシアを異常なまでに過保護・溺愛している。

* リアム

* ルシアと同歳の15歳の青年。

* ルシアから日常的に不条理な「手合わせ(襲撃)」を受け続けた結果、帝国軍の猛者や軍神イリアードをも凌駕するほどの極限の強さを手に入れた。

* フレデリカ・リヴィエール

* リヴィエール一族の長老であり、イリアードの母。一族の血筋や政治的バランスを冷静に判断する重鎮。

* リゼリア

* セレスティア親王イリアードの正妃で、シンシアの母。品格ある貴族の女性。

* シンシア

* イリアードと正妃リゼリアの間に生まれた次女で、ルシアの5歳年下の妹(10歳)。大人しく慎み深い性格で、第四皇子イスファの許嫁に選ばれる。

* ゲンドラス・サイリュン

* 『真理の光教団』の教祖であり、『聖ゲンドラス教国』の国家元首・教皇。表向きは絶対的な指導者だが、裏ではルシアの忠実な下僕・傀儡である。

* トールズ

* 海賊の集落「フロスト・ヴィーク」の首長を務める大柄な巨漢。愛用の大斧で戦うが集落最強の彼もルシアに叩きのめされた。

* ハガル

* 『黒き森』に住む「鹿族(しかぞく)」の若きリーダー。鉄の槍で戦うが、集落とともにヴィオらに倒された。

* エスゲイ・バール

* 中央高原を支配するバール朝グラッデェの隻眼の覇王。巨大都市「ガザルカガンド」を建設したが、ルシアに瞬殺される。

* カサル

* エスゲイ・バールの弟で大将軍。過去の敗北から焦土作戦を行ったが、ヴィオによって即座に首を刎ねられた。

* ベグ・バール

* エスゲイ・バールの次男。父と叔父を討たれた際、ルシアから「アンチアルマで相手をしてやる」と呼び出しの伝言を残される。

* ルネッタ

* 帝都ラーナの翡翠宮後宮にいる徳妃で、セシリアの実妹。第四皇子イスファの母。

* イスファ

* 皇帝アラリックと徳妃ルネッタの間に生まれた第四皇子(15歳)。ルシアの幼馴染で初恋の相手。

* グラッデェ貴族

* 帝都ラーナで私兵15人を雇い、貧民から絞り上げた財宝を溜め込んでいた肥満体の悪徳貴族。

用語集一覧表

* 六棘の霜華(ろっきょくのそうか)

* 六つの尖角を持つ雪と霜の結晶が描かれた紋章、およびそれを掲げる神出鬼没の義賊。

* 背中、左胸、右肩の3箇所に銀糸などの刺繍が施されたローブを纏い、悪徳貴族や海賊などから富を奪い貧民に還す活動を行う(ルシアとヴィオの裏の顔)。

* 四つ葉のクローバー

* 聖都クリスタルヘイム(聖ゲンドラス教国)において、真の支配者であるルシアとヴィオがローブに刻んでいる紋章。裏の絶対権力を象徴する。

* 短錫杖(しゃくじょう)

* ルシアが主に使用する武器。片腕〜剣ほどの長さで、金環がついており、洗練された剣術の足さばきと合わせた苛烈な打撃を繰り出す。

* 長柄の錫杖 / 仕込み剣

* ヴィオが使用する身丈を超える長柄の武器。柄を捻ると長頭部から澄んだ刃文を描く長剣(仕込み剣)が抜け出し、残った柄と石突きは強固な金属鞘として機能する。両手で剣と鞘を操る「両手生殺」の演武を行う。

* アルストラーナ帝国

* 古き文明の発祥地である大国。帝都は「ラーナ」。

* ルシア宮

* 水の都アクア・パレスに所在する、ルシアの居所・寝室がある白い外壁の宮殿。

* 聖ゲンドラス教国 / 聖都クリスタルヘイム

* かつてのノバージェ共和国を打倒して樹立された教国、およびその大都市。ディヴァイン湖や霊峰セイクリッド山の足元に位置する。表向きはゲンドラスが治めるが、実権は10年前の建国からルシアが握っている。

* 真理の光教団

* ゲンドラスを教祖(表向き)とする教団。『黒き森』の未開部族(鹿族)を殲滅した跡地にも大聖堂を建て、農耕と交易の秩序をもたらした。

* フロスト・ヴィーク

* フィヨルドの深い底に位置する海賊(ヴァイキング)の集落。ルシアとヴィオの襲撃・放火によって壊滅させられた。

* 鹿族(しかぞく)

* 『黒き森』のオーク原生林に住む、ハガルが率いていた狩猟採取部族(森の民)。野蛮で未開とみなされ、ルシアとヴィオによって全滅させられた。

* ガザルカガンド

* 覇王エスゲイ・バールが建設した巨大交易都市。苛烈な通行税により商業としては衰退したが、遊牧民の競り市や宴が行われていた。


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