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『アルストラーナ伝記』  作者: リアトト
『花の都ルミナリア』帝国歴306年
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『転生姫と、添い寝のマグロ』

セレスティア親王国に芽吹いた春の光は、日に日にその暖かさを増していた。アクアパレスを巡る太い水路網は眩しく陽光を弾き返し、爛漫と咲き誇る菜の花の甘い香りが、心地よい風とともに離宮の窓から吹き込んでいる。

しかし、その穏やかな景色とは裏腹に、親王イリアードの邸宅——セレスティア親王家は、毎朝のように小さな大騒動に見舞われていた。

すべての始まりは、セシリアが産み落とした愛らしい姫君、ルシアの誕生であった。

「……ん」

朝のやわらかな光が、贅沢な刺繍の施されたレースのカーテンを透かして寝室に差し込む。 側室セシリアはゆっくりと瞼を開け、微睡みから覚めると、隣に置かれた豪奢なベビーベッドへと視線を向けた。

そこには、すやすやと小さな胸を上下させて眠るルシアの姿がある。無垢な寝顔、やわらかな金色の産毛。その愛らしさにセシリアの口元が自然とほころびかけた——その直後であった。

「まあ……っ!?」

セシリアは思わず息を呑み、寝台の上に跳ね起きた。

ルシアの小さなベビーベッドの周囲は、足の踏み場もないほどの「宝物」で埋め尽くされていたのである。

昨日までは存在しなかったはずの、極上の手触りを誇る真っ白な綿布の反物。滑らかな光沢を放つ絢爛な絹地。高級な羊毛で編まれた温もりある毛糸の束。さらには、王冠から零れ落ちたかのように転がる未研磨の宝石や、金銀の緻密な細工が施された宝飾品の数々。それらが朝の陽光を反射し、ルシアの枕元で眩いばかりの輝きを放っていた。

「ま、また……こんなに……」

セシリアは額を押さえ、深々と溜め息をついた。

ルシアは、前世で「ロシュワルト伯爵家の至宝」と呼ばれ、断頭台の露と消えたシャルロッテの生まれ変わりであった。そして同時に、このセレスティアの地に深く根づく「リヴィエール一族」の濃厚な血を引き、生まれた瞬間から強大な「念動」や「念創」の異能を宿していたのである。

幼いルシアが無意識の夢心地の中で発揮するその超自然的な力は、夜が明けるたびにどこからか——あるいは無から有を生み出すようにして——至高の品々を引き寄せ、あるいは創造し、彼女の部屋を満たしてしまうのだった。

「ロゼッタ、エミーナ! 入っておいで」

セシリアが呼びかけると、控えていた二人の侍女が「失礼いたします」と静かにドアを開けた。しかし、一歩足を踏み入れた途端、二人はその場に凍りついた。

「な、なんですか これは……! 昨日綺麗に片付けたばかりですのに!」 十五歳の侍女エミーナが、目を丸くして部屋の中に散らばる宝石や高級絹地を見渡した。

もう一人の侍女ロゼッタも、あきれたように苦笑いを浮かべる。 「ルシア様のお力の凄まじさには驚かされるばかりですね……。毎朝がまるで宝探しのお城のようです」

「申し訳ないわ、ふたりとも。ルシアが寝ている間に、また無意識にお引き寄せになってしまったみたいで……」 セシリアは困り果てたように眉を下げ、我が子を見つめた。

「いいえ、セシリア様! これくらい、わたくしたちにお任せください。ルシア様のお宝の分類なら、もう手慣れたものですから!」 エミーナは腕をまくり上げると、慣れた手つきで金銀の装身具を丁寧に箱へと納め始めた。

だが——奇行や怪現象と呼ぶにふさわしいルシアの引き寄せは、そうした優雅な宝物だけに留まらなかった。

それは、セレスティアの春が一段と深まった、ある清々しい朝のことだった。

いつものようにルシアの部屋の扉を開けたロゼッタとエミーナは、足元から漂う「それまでとは全く異なる異様な匂い」にぴくりと鼻をうごめかせた。

潮の香りと、澄んだ湖の冷気を含んだような、不思議な匂い。

「……エミーナ、何か変な匂いがしないかしら?」 「ええ、なんだか……お宝の匂いというよりは、市場の競り場のような……」

不審に思いながらロゼッタが絹のカーテンを大きく開け、朝の光を室内に取り込んだ。そして、ベビーベッドの傍ら、セシリアの大きな寝台の上へと目を向けた瞬間——。

「「――――――っ!!!???」」

二人の喉から、悲鳴にならない掠れた声が漏れた。 腰が抜け、ふたり同時にドサリと絨毯の上に崩れ落ちる。

「ひ、ひえええっ……!? な、なに、何ですかあれはーっ!?」 指をガクガクと震わせるエミーナ。 「ま、マグロ……!? どうして親王府の離宮の、セシリア様のお隣に……!?」 ロゼッタもまた、開いた口が塞がらず、白目を剥かんばかりに呆然としていた。

なんと、絹のシーツの上に悠然と横たわっていたのは、巨大な、あまりにも巨大な銀色のマグロであった。

獲れたてのように青く光る鱗をみずみずしく輝かせ、冷気をうっすらと纏ったその巨大魚は、ルシアとセシリアの間に割り込むようにして、どっかと鎮座していたのである。

そして当のルシアはといえば、その巨大なマグロの滑らかな側面に小さな頭をちょこんと預け、何事もないかのように「すぅ……すぅ……」と愛らしい寝息を立てて添い寝をしていたのだった。

「あら……? ふたりとも、どうしたの……?」 騒ぎに気づいて目を覚ましたセシリアが、ぼんやりと身体を起こす。そして自分のすぐ隣に横たわる「巨大な塊」と目が合った。

「……まあ」 セシリアは目を瞬かせ、それからくすりと優しく微笑んだ。

「今日のルシアのお引き寄せは……少し生きが良すぎるみたいね」

「セシリア様! 笑っている場合ではありませんわ! 早く厨房の料理人を呼んで参ります!」 腰を抜かしたまま這うようにして部屋を飛び出していくエミーナと、膝をガクガクさせながらルシアをマグロの脇からそっと抱き上げるロゼッタ。

そんな二人と母のドタバタ劇を知ってか知らずか、ルシアは小さな手を「うーん」と伸ばすと、可愛らしいあくびを噛み殺した。

その瞬間、ルシアの体からふわりと透明な波紋のような念力が広がり、散らばっていた小さな宝石たちがカタカタと空中へと浮き上がった。

「まあまあ、ルシアちゃん。朝からまた賑やかですこと」

部屋の騒ぎを聞きつけてやってきたイリアードの母・フレデリカが、扉の隙間から覗き込み、浮遊する宝石やベッドの上の巨大マグロを見て、コロコロと鈴を転がすような楽しげな笑い声をあげた。

「セシリア、ルシアちゃんの才能は本当に底が知れませんわね。明日はいったい何をお部屋に招待してくださるのか、毎日朝起きるのが楽しみで仕方がありませんわ」

「フレデリカ様まで……」 セシリアは苦笑しながら、腕の中の我が子を優しく抱きしめた。

かつて断頭台の上で冷たい死を受け入れ、激しい怨嗟とともに世界を呪ったシャルロッテの魂は、いまやあたたかな愛と、呆れるほどの賑やかさに満ちた親王家の中で、愛される姫「ルシア」として静かに、しかし力強く新しい時を刻んでいた。

毎朝届けられる不思議な「宝物」と、それを巡る温かな笑い声。 これら、かつてなら恐れられたはずの奇行や怪現象は、セレスティア親王家にとって、愛おしい日々の「当たり前」となっていったのである。

「おはよう、ルシア。今日も素敵な朝をありがとうね」

セシリアがその小さな頬に優しく 接吻を贈ると、ルシアは光を映した美しい蒼の瞳をうっすらと開け、満足そうに小さな唇をほころばせるのだった。



〇フレデリカ・リヴィエール

婕妤(しょうよ)フレデリカ。イリアードの母。リゼリアの叔母で義母。セシリアの叔母で義母。

アルヴェリアの一族・リヴィエール家の出身である。宮女として帝都の皇宮に入り、古琴の奏者となった彼女は、やがて皇帝の目に留まって側室となった。身分の低い宮女上がりでありながら、その類まれな美貌と音楽的才能によって皇帝の寵愛を独占した。しかし、政治的な後ろ盾を持たなかった彼女は、後宮の羨望と激しい嫉妬を一身に集めることとなる。やがて妊娠し、第五皇子イリアードを出産したフレデリカは、自身の位(身分)が上がるのを辞退しつつ、後宮内で生き残るために尽力した。イリアードが11歳になった頃、彼女は故郷アルヴェリアから姪を2人帝都に呼び寄せ、自身の侍女として教育を施した。その頃すでに、フレデリカの頭の中には、その姪たちをイリアードの妃(嫁)にするという青写真が描かれていたと思われる。帝国のしきたりでは皇子が15歳になると結婚する事ができる。そして親王の称号をえて後宮を出て帝都に居を構える事が出来る。または領地に赴き自らその地で統治する事が可能であった。そしてその母親が側室であった場合。夫である皇帝の許可をえて後宮を出る事が可能となる決まりがあったのだ。


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