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『アルストラーナ伝記』  作者: リアトト
『花の都ルミナリア』帝国歴306年
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『フロスト・ヴァイス城の春光』

アクアパレスのフロスト・ヴァイス城に、春の心地よい陽光が差し込んでいた。窓の外では満開の花が風に揺れ、太い水路群が眩しく光を弾き返している。

リゼリアとセシリアが無事に出産を終えてから数日。親王府は二人の新しい生命の誕生という至上の喜びに包まれていた。


「失礼しますわね、二人とも!」


静かな部屋に、華やかで弾んだ声が響き渡った。イリアードの母、フレデリカである。彼女は二人の嫁の見舞いと、何よりも待ちに待った二人の孫をその腕に抱くため、居ても立っても居られずに本城へと駆けつけてきたのだった。


フレデリカの後ろには、完璧な足取りで配膳の盆を運ぶベルナデットと、温かなお湯や産着を整えるロゼッタとエミーナの姿があった。


「まあ、フレデリカ様。わざわざ足を運んでくださりありがとうございます」


ベッドの上で身体を起こしたリゼリアが優しく微笑み、隣のベッドのセシリアも愛おしそうに我が子を抱きながら頭を下げた。


「挨拶などよいのです。それよりも、見せてちょうだい! 私の可愛い孫たちを!」


フレデリカは待ちきれない様子でリゼリアの傍らに歩み寄り、抱えられていた男の子の赤ん坊をそっと受け取った。


「まあ……なんて凛々しくて、澄んだ目をしたお顔でしょう。イリアードの幼い頃にもそっくりだけれど、リゼリアの静けさも受け継いでいるわね。……イリアード、この子の名前は決まりましたの?」


部屋の壁際で見守っていたイリアードは、少し照れくさそうに頭をかきながら前へ出た。


「ええ、母上。一月に候補をいくつか書き出していたのですが……リゼリアと相談して、この子は『リアム』と名付けました。人々を力強く護る盾となり、このセレスティアの清らかな水のように生きてほしいという願いを込めています」


「『リアム』……とても良い名ですわ。響きも力強くて素晴らしいわね。今日からあなたはリアムですよ」


フレデリカは愛おしそうにリアムの頬を撫で、満足そうに頷いた。

続いてフレデリカはセシリアのもとへ向かい、そっと抱えられている女の子の赤ん坊へと視線を移した。小さな産着に包まれた女の子は、すやすやと心地よさそうに眠っている。


「そして、この可愛らしい姫君は……」


「この子は『ルシア』と名付けました」


フレデリカが問いかけるより先に、イリアードが嬉しそうに答えた。


「クリスタリア湖の光や、このセレスティアの豊かな水面が放つ輝き……『光をもたらす者』という意味を込めて『ルシア』です」


「『ルシア』……なんて愛らしく、華やかな名前でしょう! リアムとルシア。ふたりとも、セレスティアの未来を照らす光になるのにぴったりな名付けですわね」


フレデリカは感極まったようにルシアを優しく抱き上げた。

だが、その瞬間だった

フレデリカの抱擁のぬくもりに反応したのか、ルシアが小さなまぶたをうっすらと開けた。次の瞬間、ルシアのお腹のあたりから、目に見えぬ「力」の波動がふわりと広がった。

カタカタカタ……!

突如として、部屋のテーブルの上に置かれていた銀製のティーポットやカップ、さらには花瓶に挿された花々が、重力を無視して数センチほど浮き上がり始めた。


「な……っ!?」


イリアードが息をのむ。出産当日に見せた、あの凄まじい「念動」の力が、赤ん坊の無意識のぐずりとともに再び発揮されたのだ。


「あ……フレデリカ様、申し訳ありません!」


セシリアが慌てて身体を起こそうとした。


「この子、生まれた時から凄まじい異能の力を持っていて……私ですら少し恐ろしくなってしまうほどなのです。お怪我はありませんか!?」


セシリアの真剣な懸念に対し、フレデリカは目を丸くした――が、次の瞬間、コロコロと鈴を転がすような楽しげな笑い声をあげた。


「まあ! まあまあ! なんて素晴らしいことでしょう!」


フレデリカは浮遊するティーカップや花瓶をまったく意に介さず、腕の中のルシアをあやすように揺らした。


「セシリア、何をそんなに心配しているのですか。こんなのは少しも気にするようなことではありませんわ」


「え……? ですが、生まれたばかりの赤ん坊がこれほどの念動を操るなんて……」


戸惑うセシリアに、今度はリゼリアが静かな口調で助け船を出した。


「セシリア。実はね……リヴィエール家の一族では、それほど珍しいことでもないのよ」


「そうなの?ですか?」


セシリアが目を白黒させると、フレデリカが懐かしそうに目を細めて語り始めた。


「そうですよ。忘れもしませんわ……今から二十年以上前、私がアルヴェリアを離れて遠く離れた帝都の後宮に滞在していた時のことです」


フレデリカの言葉に、リゼリアも頷いた。


「ええ。私がセレスティアで生まれたまさにその直後のことですわ。私は生後数時間も経っていない赤ん坊だったのですが……生まれた瞬間に、遠く離れた帝都にいるフレデリカ様へ向けて『念話』を送ってしまったのです」


「えっ……!? 帝都へ!?」


セシリアだけでなく、控えていた侍女のエミーナやロゼッタも驚きに目を見開いた。


「ええ」とフレデリカは笑う。


「あの時、私の脳裏に突然『おば様、はじめまして』と、生まれたばかりのリゼリアの声がはっきりと届いたのですよ! 帝都とアルヴェリアははるか遠く離れているというのに、赤ん坊のリゼリアは私と当たり前のように念話で会話を始めたのです。あの時も後宮の自室でどれほど驚いたか分かりませんわ」


フレデリカはリゼリアへ温かな視線を送り、それからセシリアとルシアを見つめた。


「だからね、セシリア。生まれた時に強烈な異能を発揮させるのは、リヴィエールの一族として極めて正しい血の証なのです。あなただって、生まれた時はきっとこのルシアと同じように、周りの物を浮かせて大人たちを仰天させていたはずですよ」


「私……私がですか?」


セシリアが自分の手を見つめると、フレデリカは「間違いありませんわ」と深く頷いた。


「血が濃く、才能に恵まれている証拠です。だから『恐ろしい』だなんて言わないであげてくださいな。この子は自分の力を素直に表に出しているだけの、愛おしい私たちの姫なのですから」


フレデリカの温かくブレない言葉に、セシリアの胸の奥につかえていた不安が一気に溶け去っていった。自分の産んだ子の異能を「恐ろしい」と感じてしまった自分を恥じるほど、フレデリカの言葉は優しく、力強かった。


「……はい! ありがとうございます、フレデリカ様!」


セシリアは心からの笑顔を取り戻した。

その時、ルシアが小さなあくびをすると、浮遊していたティーカップや花瓶が、まるでスローモーションのように静かに元のテーブルへと着地した。カタリ、と小さな音が響き、室内の重力が元に戻る。

フレデリカは部屋を見回し、浮遊から戻った道具たちと、それを見て呆然としている侍女たちを眺めると、悪戯っぽく微笑んだ。


「でも……そうですね」


フレデリカは少し思案する仕草を見せ、それからクスクスと笑った。


「この通り、部屋の中で色々な物が前触れもなく浮遊してしまうようですから……ふふ、このルシアちゃんは、自覚して力をコントロールできるようになるまでのしばらくの間、リヴィエールの人間以外には会わせない方が良さそうですね」


「ええ、母上……。一般の使者や貴族が見たら、腰を抜かして『離宮に幽霊が出た』と騒ぎ出しかねませんからね」


イリアードが苦笑いしながら同意すると、ベルナデットも手帳を閉じながら静かに頷いた。


「畏まりました。ルシア様のお披露目につきましては、親王府内のリヴィエール一族および信頼できる極一部の者に限定するよう、面会制限の手配を整えます」


「頼んだわね、ベルナデット。ふふ、秘密の多い姫君というのも、なんだかロマンチックで良いではありませんか」


フレデリカはルシアをセシリアの腕へと優しく戻し、隣のベッドでスヤスヤと眠るリアムの頭を撫でた。


「リアム、ルシア。二人がどんな子に育っていくのか、今から本当に楽しみですわ。セレスティの豊かな水と光が、いつでもあなたたちを守ってくれますように」


窓から吹き込む春風が、菜の花の甘い香りを部屋の中へと運んでくる。

力強い異能を宿した小さな姫と、静かな知性を秘めた小さな若君。一族の深き絆と溢れんばかりの愛に守られながら、新しい二つの命は、豊かなセレスティアの地で幸せな第一歩を踏み出したのであった。



登場人物紹介


〇イリアード

アルストラーナ帝国の第五皇子。

セレスティア親王。母フレデリカからリヴィエール一族の血を引いている。妻たちのように異能の力を自在に操れるわけではなく、せいぜい「人一倍、勘が冴える」という程度。しかし、彼の真の才能は別のところにある。皇太后、皇后、そして皇帝といった最高権力者たちを前にしても決して物怖じせず、失言や失敗は皆無。皇宮内では、母譲りの卓越した世渡り術を持つ「侮れない皇子」として一目置かれている。武術が人より秀ででいるのは、無意識な感の鋭さからである。一方で、私生活では超常能力のプロフェッショナルである2人の妻に完全に手の内を読まれており、愛の告白すらする前に看破されてしまう始末。今ではすっかり開き直っているものの、サプライズの一つも仕掛けられないため、「一般的な男女のロマンスを楽しめない」のが密かな悩みである。父である皇帝からは「出来の良い息子」として高く評価されがちだが、それが却って後宮の標的になることを危惧した母から、「決して寵愛を受けすぎてはならない」ときつく釘を刺されている。


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